入祭唱 "Gaudete in Domino semper"(グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ13)

GRADUALE TRIPLEX p. 21; GRADUALE NOVUM I p. 11.
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更新履歴

 些細な変更の場合は記録しないこともある。

2021年12月21日
● 音源 (YouTube動画) を埋め込んだ。本文に変更はない。

2019年11月18日 (日本時間19日)
● 
現在の方針に合わせてタイトルを変更し,導入部もすっかり新しくした。
●「テキスト,全体訳,元テキストとの比較」を追加し,それに伴い「対訳・解説・考察」を書き直した。その際特に,"Dominus prope est. Nihil solliciti sitis" の部分のネウマからの解釈に初歩的ともいえる誤りが含まれていたので修正した。

2018年12月9日 (日本時間10日)
● 投稿


【教会の典礼における使用機会】

 昔も今も,アドヴェント(待降節)第3週に歌われる。ただし,新旧いずれの典礼でも,第3週はどこかでいわば中断されるような形になっているので,1週間ずっと歌われることはない。

 まず1969年以前の典礼(=現在の「特別形式」の典礼)では,アドヴェント第3週の水曜日・金曜日・土曜日が「四季の斎日」と定められている。「四季の斎日」というのはその名の通り四季それぞれにあるので,アドヴェントだけでなくほかにも3回実施される。ともかくこれは節制と悔い改めのための日々で,ミサも含め典礼の式文は固有のものが定められている
 ちなみにこのアドヴェントの「四季の斎日」のうち,水曜日のミサの入祭唱は "Rorate caeli desuper",つまりアドヴェント第4主日のそれと同じである。もとはといえば四季の斎日の水曜日に歌われたのが先で,それが次の主日にも流用されたという経緯になっている。

 次に現在の(「通常形式」の)典礼では,「四季の斎日」をどう扱うかが各教区に委ねられるようになったためか,ローマ・カトリック教会全体で共通に用いられる聖歌書GRADUALE TRIPLEX(というより,そのもとであるGRADUALE ROMANUM)にはこれらの日々について何も書かれていない。ただし旧典礼の名残か,アドヴェント第3週の水曜日に "Rorate caeli desuper" を歌うよう定められているのは変わらない。
 しかしそれより重要なのは,12月17日からのアドヴェント最後の日々がはっきりと特別扱いされるようになったことで,これらの日々には一日一日固有の式文が定められている。12月17日はどんなに遅くともアドヴェント第3週の土曜日にはめぐってくるので,今回扱う入祭唱 "Gaudete" が歌われるのは長くとも金曜までである
 なお,アドヴェント第3週の水曜日が12月17日以降だったらどうするかだが,この場合は「12月17日以降」であることを優先し,その日の定めに従った聖歌を歌う。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Gaudete in Domino semper : iterum dico, gaudete : modestia vestra nota sit omnibus hominibus : Dominus prope est. Nihil solliciti sitis: sed in omni oratione petitiones vestrae innotescant apud Deum. 
Ps. Benedixisti, Domine, terram tuam: avertisti captivitatem Iacob.
【アンティフォナ】喜びなさい,主にあって常に。もう一度言います,喜びなさい。あなたたちの柔和さがすべての人々に知られるように。主は近いのです。何も心配せずにいなさい。そうではなく(心配するのでなく),あらゆる祈祷において,あなたたちのさまざまな願いごとが神に知られるようになさい。
【詩篇唱】主よ,あなたはあなたの地を祝福なさり,ヤコブの捕囚を終わらせてくださいました。

 アンティフォナの元テキストはフィリピ人への手紙第4章第4-6節で,珍しく新約聖書がもとになっていることになる。Vulgataでは,終わりの "sed in omni oratione petitiones vestrae innotescant apud Deum" という部分にもう数語はさまっており,この部分の全体は次のようになっている。

sed in omni oratione et obsecratione cum gratiarum actione petitiones vestrae innotescant apud Deum
そうではなくて,あらゆる祈祷において(よって),また感謝をささげることを伴う(あらゆる)切なる願いにおいて(よって),あなたたちのさまざまな願いごとが神に知られるようになさい。

それ以外の点では,アンティフォナのテキストはVulgataと完全に一致している。

 詩篇唱の元テキストは詩篇第85(Vulgataでは84)篇第2節であり,Vulgataと完全に一致している。
 この詩篇の第10節は,アンティフォナのメッセージに通ずるものを含んでいる(本来,入祭唱の詩篇唱は1節だけでなく全体を歌うものだった〔そして今も場合によってはそうしてよい〕ということについては,こちらの記事を参照)。

Verumtamen prope timentes eum salutare ipsius, ut inhabitet gloria in terra nostra.
確かに,主を畏れる者たちに彼の救いは近い,栄光が私たちの地に住むために。

また,太字強調しなかったが,"inhabitet gloria in terra nostra"「栄光が私たちの地に住む」というのはヨハネによる福音書の冒頭部(のうちなんといっても第14節)を想起させ,そしてこの福音書箇所が読まれるクリスマスをも思わせる表現ではないだろうか(この箇所が読まれるのは12月25日の「主の降誕・日中のミサ」)。
 第11節は「(十字架によって実現した)神の正義とあわれみの両立」というキリスト教の中心的なメッセージを読み取ることもできる内容であり,

Misericordia et veritas obviaverunt sibi; justitia et pax osculatae sunt.
あわれみと真理とが出会い,正義と平和とが口づけを交わした。

さらに,第12節の言葉が次の主日の入祭唱 "Rorate caeli desuper" を思わせるのも興味深い。

Veritas de terra orta est, et justitia de caelo prospexit.
真理は地から現れ(芽生え),正義は天から見下ろした。


【対訳】

【アンティフォナ】

Gaudete in Domino semper :
喜びなさい,主にあって常に。
解説:
 「喜びなさい」という勧め(というより命令)は,このアンティフォナの出典であるフィリピ人への手紙ではここに限らず何度も出てくる(第2章第18節,第3章第1節)。
 冒頭の "Gaudete"(「喜びなさい」)という語はアドヴェント第3主日全体の性格(クリスマスの喜びを先取りして喜ぶ)を規定しているため,和訳するときもこれを最初に持ってくるべきだと思い,敢えて倒置文にした。

iterum dico, gaudete :
もう一度言います,喜びなさい。

modestia vestra nota sit omnibus hominibus :
あなたたちの柔和さがすべての人々に知られるように。
解説:
 ここで「柔和さ」と訳した "modestia" は「寛大さ」「慎ましさ」などと訳すこともできる。ギリシャ語原文から訳されたさまざまな聖書でもいろいろに訳されているので,もとのギリシャ語からしてそうなのだろう。
 この入祭唱には引用されていないが,もとの聖書ではすぐ前に,仲たがいしている2人の女性に仲直りを促す言葉(それから,周りの人たちもこの2人を助けてやるようにと頼む言葉)がある。その箇所とここの「喜びなさい」以下の言葉とがつながっているのかどうか,はっきり決めることはできないが,つながっていると考えるならば「柔和さ」または「寛大さ」という訳をとりたい。英語の "modest" を考えるならばまず考える訳語は「慎ましさ」であるけれども(それに,これも仲直りと関係あるといえばある語だけれども)。

Dominus prope est.
主は近いのです。
解説・考察:
 ギリシャ語原文では英語でいうbe動詞(このラテン語文では "est")がなく,「主が」と「近い」という2語だけのさらに簡潔な表現であるらしい。
 この文は「主は(いつも)近くにいてくださいますよ」という意味にも,「主(の再臨)は近いですよ」という意味にもとれる(ここで「近くに」と訳した "prope" という語は,空間的な近さにも時間的な近さにも用いられる)。しかし,アドヴェントに歌われる以上,基本的には後者の意味,さらには当然「主(の降誕)は近いですよ」という意味に聞こえる(再臨=第2の来臨を降誕=第1の来臨と結びつけて考える傾向をアドヴェントという季節は持っている。関連:前回の記事の中ほど,ハイモ Haymo のイザヤ書第30章第30節の解釈についての部分)。
 いずれにせよ問題は,この文が直前の「あなたたちの柔和さ(寛大さ,慎ましさ)」云々と関連しているのか,それとも直後の「何も心配しないでいなさい」と関連しているのかである。前者だとすれば,たとえば「主の再臨は近いから,それに備えてちゃんと生きなさい」という諭しだと考えられ,後者だとすれば,たとえば「主はいつも近くにいてくださるから(主はすぐ来てくださるから,というのも考えられる),何も心配いりませんよ」という慰め・励ましだと考えられる。
 GRADUALE TRIPLEXにある句読点どおりに読むとしたら,この "Dominus prope est" の前の文の終わりにあるコロン(:)はピリオド(.)より区切りとして弱いので,前者の解釈が適切だということになるはずである。クリスマスの準備の悔い改めの期間であるアドヴェントにふさわしい,とも言える。
 ところが,この入祭唱の旋律がこのような解釈に対立する(本シリーズで初めて,旋律を問題にする)。簡単にいうと,直前の "modestia vestra nota sit omnibus hominibus" という部分の終わりは明らかに一段落するような形になっているのだが,"Dominus prope est" は一段高い音域に移って盛り上がり,そのまま次の "Nihil solliciti..." に向かって大きな弧を描くように入ってゆく,という形になっているのである。(次の楽譜はGRADUALE NOVUMに基づくもので,TRIPLEXに記されている旋律とは少々異なる。今回の議論ではどちらの旋律を見ても問題ないが,NOVUM版のほうが以下述べることをいっそうよく実感できるとは思う。)

画像1

本来これが豊かな緩急などを伴って歌われるのだが(それはネウマから読み取ることができる),緩急なしでもよいので歌ってみていただきたい。まず "omnibus hominibus" のところで,ラの音でしばらく朗唱した後にゆるやかに下りてきてファの音で終止して一段落すること,それから "Dominus" 以降で次第に盛り上がって "Nihil" の最高音ドを頂点とする弧を描くようになっていることを感じ取っていただけるだろうか。
 ネウマに基づいてもっと詳しい話をすると(ここから2段落読み飛ばし可),"prope" の "pe" についているネウマはGodehard Joppich(ゴデハルト・ヨッピヒ)氏が「stringendoネウマ」と呼ぶものの一種である(参考:同氏の講義録 "Die Liqueszenz. Eine semiologische Studie im Codex Hartker St. Gallen 390/391", in: Cantate canticum novum. Gesammelte Studien anlässlich des 80. Geburtstages von Godehard Joppich, Münsterschwarzach 2013, S. 313-388, 本件についてはS. 357-358)。Stringendoはイタリア語だが,楽語として通用しているのでご存じの方も多いかもしれない。楽語としては「急(せ)き込んで,次第に速く」という意味で用いられているが,ここでは必ずしも次第に速くという意味ではなく,「迫る,切迫する」という意味に捉えるのが適切であろう。つまり,緊張感を増してゆき,次にくる大切な語を強調する準備をするのがこのネウマの役割である
 というわけでここでは次の "Nihil" が特に強調されている語であり,この語のアクセント音節 "Ni" についているBivirga,さらに終わりの音節 "hil" が長く歌われ融化ネウマまでついていることがそれを裏書きする。終わりの音節がこのようになっているとなぜその語が重要である(強調される)ことが分かるかというと,強く強調されればされるほど,そのエネルギーに収まりをつけるための時間が必要だからである(参考:同講義録。ただしこの "Nihil" 自体についてここに書かれているわけではないので,不適切な解釈であれば私の責任である)。
 少々脇道にそれたが,ともかくそういうわけで旋律からすると "Dominus prope est" で一区切りになるとは考えられず,GRADUALE TRIPLEXについている句読点とは矛盾するものの,この一文は前ではなく次につながるものだと解釈して間違いない。「主は近いのです,何も心配せずにいなさい」。そもそもこれらの句読点は後の時代につけられたものなので,グレゴリオ聖歌が成立したころ・書き留められたころの人々の解釈とは関係ない。
 そしてGRADUALE TRIPLEXも,テキストにはこのように句読点を打っているにもかかわらず,四線譜では "omnibus hominibus:" の後に大区分線,"Dominus prope est." の後に中区分線を引き,同様の解釈をとっていることが分かる。GRADUALE NOVUMでは前者が中区分線,後者が小区分線で,"Nihil" に向かう勢いが失われないという点でさらに改善されているといえる。

Nihil solliciti sitis:
何も心配せずにいなさい。

sed in omni oratione petitiones vestrae innotescant apud Deum.
そうではなく(心配するのでなく),あらゆる祈祷において,あなたたちのさまざまな願いごとが神に知られるようになさい。
別訳:そうではなく(心配するのでなく),あらゆる祈祷によって,あなたたちのさまざまな願いごとが神に知られるようになさい。
解説:
 ここで「あらゆる祈祷において」となっている部分が,聖書のギリシャ語原文ではどうも「すべてのことにおいて,祈祷によって」であるらしく,取り急ぎ5つほどの翻訳を見たがどれもそのように訳している。
 「あらゆる祈祷において」の「あらゆる」にあたるのは "omni" という形容詞(単数・奪格)である。しかしこれを「すべてのこと・もの」を意味する名詞ととれば,この入祭唱のラテン語文もギリシャ語原文がそうであるらしいように「すべてのことにおいて」と訳することができるのではないか,と思った。そこでコンコーダンスを用い,Vulgataにおいて "in omni" という形で「すべてのことにおいて」を意味する部分があるかどうかを少し調べた。
 結果(全部見たわけではないが,ある程度見てもう十分だと思えるくらいはっきりしていた)を一言でいうと,否である。"in omni" ときたら "omni" は必ず形容詞として何かの名詞にかかっていた。「すべてのことにおいて」と言いたいときには,"in omnibus" と複数形になっていた。もしやと思ってNova Vulgata(新Vulgata)を見たら,果たして "sed in omnibus oratione"... となっていた。
 というわけで,入祭唱のこの部分は聖書原文と同じようには訳すことができない。
 別訳として掲げたのは,教会ラテン語では「"in" + 奪格」で手段を表すことがあるのを考慮したものである。しかし今回はどちらの訳でもあまり変わらないか。

【詩篇唱】

Benedixisti, Domine, terram tuam:
主よ,あなたはあなたの地を祝福なさり,

avertisti captivitatem Iacob.
ヤコブの捕囚を終わらせてくださいました。
解説:
 イスラエルの民の「イスラエル」はもともと個人名からきており,その族長イスラエルのもとの名は「ヤコブ」である(創世記第32章第29節を参照)。このことから,「ヤコブ」の名でイスラエルの民を指すことがよくある。

【逐語訳】

【アンティフォナ】

Gaudete
喜びなさい(動詞gaudeo, gaudereの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

in Domino 主にあって,主において(Domino:主〔奪格〕)

semper 常に

iterum
再び,もう一度

dico
私が言う(動詞dico, dicereの直説法・能動態・現在時制・1人称・単数の形)

gaudete
(同上)

modestia vestra
あなたたちの柔和さ/寛大さ/寛容さ/慎ましさ/謙虚さが(vestra:あなたたちの)

nota
知られている

sit
~であるように(動詞sum, esse〔英語でいうbe動詞〕の接続法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)

omnibus
すべての

hominibus
人々に

Dominus
主が

prope
近い

est
~である(動詞sum, esse〔英語でいうbe動詞〕の直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)

Nihil
何においても~ない,決して~ない
● 英語でいうnothing(否定の不定代名詞)の意味で用いられることが多い語だが,ここでは単に強い否定の副詞として用いられている。

solliciti
心配している,不安である,穏やかでない状態である

sitis
~でありなさい → 上の "Nihil" と合わせて,「決して~でないようにしなさい」(動詞sum, esse〔英語でいうbe動詞〕の接続法・能動態・現在時制・2人称・複数の形。要求話法)

sed
(英:but)
● 英語でいう "not ... but ..." のbut。

in omni oratione あらゆる祈祷において(omni:すべての,あらゆる,oratione:祈祷〔奪格〕),あらゆる祈祷によって

petitiones vestrae
あなたたちの願い(複数)が(petitiones:願いが,vestrae:あなたたちの)

innotescant
知られるように(しなさい)(動詞innotesco, innotescereの接続法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)

apud Deum
神のもとで(Deum:神〔対格〕)

【詩篇唱】

Benedixisti あなたが祝福した(動詞benedico, benedicereの直説法・能動態・完了時制・2人称・単数の形)

Domine 主よ

terram tuam あなたの地を(terram:地を,tuam:あなたの)

avertisti あなたが転換した,それ以上続かないようにした(動詞averto, avertereの直説法・能動態・完了時制・2人称・単数の形)

captivitatem Iacob ヤコブの捕囚を(captivitatem:捕囚を,Iacob:ヤコブの)
● "Iacob" は格変化しない。

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