アドヴェント第4主日・入祭唱(グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ14)

最終更新:2021年12月21日 (冒頭にYouTube動画を埋め込み。それ以外の変更はない)

 GRADUALE TRIPLEX pp. 34-35, GRADUALE NOVUM I pp. 15-16.(最近NOVUMをついに買った。今後はこのように,両方のページ番号を記す。)
 2018年は12月23日がこの日にあたる。
 タイトルがいつもと違ってアドヴェント第4ではなく第4主日となっているのは,私のうっかりミスではない。すぐ下で説明する。

 アドヴェント第3週のどこかで,12月17日が来る。この12月17日からの日々はアドヴェントの中でも特に大切にされており,グレゴリオ聖歌のミサ固有文は日替わりになる(ただし,同じものが数日おいて2回使われる部分もある)。本当ならばまずそちらを訳したいところなのだが,そんなにたくさん訳している余裕はないので,今回は直ちにアドヴェント第4主日の入祭唱に向かう。「第4」でないのはなぜかもうお分かりいただけただろうか,上記のとおり,この時期には平日も毎日異なる歌が歌われるためである。
 この入祭唱は "Rorate caeli(ロラーテ・チェリ)"「露を滴らせよ,天よ」という言葉で始まる。"Rorate" というモチーフはこの日に限らずアドヴェント全体で好んで用いられ,暗い時間帯にろうそくの光だけで行う随意ミサ(正規の典礼の枠外で,任意のテーマで挙行されるミサ)のことをRorateのミサと呼んだりする。この入祭唱とは別に,正規の典礼外で用いられるもので "Rorate caeli.." という言葉を含んでいる有名な聖歌もある。ドイツ語でも,Rorateに基づく聖歌がよく知られたものだけでも少なくとも2つあり,アドヴェント第4主日に限らず歌われている。
 日本のカトリック教会でアドヴェント第4主日の入祭に用いられている日本語版Rorate,「天よ露をしたたらせ」(高田三郎作曲)は,13年前に出会ったときも今も,私にとって,聴けば否応なしに心を動かされる歌の一つである。中間部が特に好きなのだが,そこの言葉はここで訳出するラテン語の詩篇唱には対応していない。いったいどこからあの素晴らしいテキストを取ったのだろう。お聴きになりたい場合,今年2018年であれば12月22日(土)の晩か23日(日)にカトリック教会で日本語のミサに出席なされば,たぶん冒頭で歌われると思う。ただし歌・オルガンのないミサも時々あるし,ほかの歌が使われる可能性もないわけではない(特に「フォークミサ」や「子どもとともにささげるミサ」と銘打っている特殊なミサでは,別の歌が用いられる可能性が非常に大きい)。録音で聴いてみたいという方には,まず私が聴いていたCDをおすすめしたい。高田三郎自らが指揮しており,合唱は「典礼聖歌研究会」,いわば公式盤のようなものである。YouTubeには,抜粋でなく全曲録音されたものでは,迷いなくおすすめできるものが見つからなかった。いや,1つかなりよいと思うものがあるにはあったのだが,なぜか最後の最後がブツ切りになっていた。

 今年2018年は,アドヴェント第4主日の翌日にもうクリスマス・イヴが来る。本稿の発表後,クリスマス(4種類もミサがある!)の聖歌の翻訳はアドヴェント第4主日が終わるのを待たずに次々に投稿してゆくことにする。しかし本業が忙しい時期なので,全部は間に合わないかもしれない。

Dominica quarta Adventus アドヴェント第4主日

IN[TROITUS] 入祭唱

【テキストと全体訳】

Rorate caeli desuper, et nubes pluant iustum : aperiatur terra, et germinet Salvatorem. 
Ps. Caeli enarrant gloriam Dei : et opera manuum eius annuntiat firmamentum.

天よ,上から露を滴らせよ,雲は義しき者を降らせよ。地は開かれよ,そして救い主を芽生えさせよ。
詩篇唱:天は神の栄光を(詳しく)語り,彼の手のさまざまな業を大空は告げ知らせる。

【対訳と解説】

Rorate caeli desuper, et nubes pluant iustum :
天(※1)よ,上から露を滴らせよ,雲は一人の義人を(※2)降らせよ。
改訳1(詳しくは下):(……)雲は義しき者を降らせよ。
改訳2(詳しくは下):(……)雲は義を降らせよ。
※1 この「天」は複数。「もろもろの天」と訳すのもよいだろう。「諸天」だと仏教用語にそういうものがあるらしく,別の意味になってしまうだろうから避ける。なお「雲」も複数。
※2「義人を」と訳した "iustum" は,「正しい」を意味する形容詞 iustus(男性形)/ iusta(女性形)/ iustum(中性形)が名詞化したもので,つまり「正しい人」(男性形または女性形の場合)または「正しいもの・こと」(中性形の場合)を意味する。ここでは直接目的語として現れているので,対格(日本語でいう「~を」)をとっている。対格で "iustum" という形になりうるのは,男性形または中性形(いずれも単数)である。男性形ととれば「正しい人を」,中性形ととれば「正しいもの・ことを」となるが,どちらがよいか。
 (註:以下述べることについては,投稿後すぐに自ら疑問を持ったが,誤りも含めて考えた過程を全部示すのも面白いかと思うので,ひとまずこのまま残す。現在持っている別の考えは下に記す。結論を先取りして書くと,「正しい人を」「正しいもの・ことを」のいずれでもない。)この箇所に続く部分が決め手になりうる。「地は開かれよ,そして救い主を芽生えさせよ」。これは「天よ,上から露を滴らせよ,雲は……」と対になって,同じようなことを別の言い方で言っている(あるいは,「天」と「地」であるから,相互補完的な面もあるといえるが)ものだと感じられる(旧約聖書の詩文における基本的な表現法である平行法 Parallelismus の一種)。そうであれば「救い主を」に対応する語がここにくると考えるほうがよいと思われ,したがって「もの・こと」ではなく「人」のほうがふさわしいだろう。それゆえ「義人を」という訳にした。さらに,これが単数であることがいかにも特定の人物を暗示しているようで意味深いと思うので,それを強調して「一人の義人を」とした。
 ただし,ヘブライ語の聖書原典がどうかということはまた別である。いろいろな聖書を見る限り,ヘブライ語原典ではそもそも次の箇所に出るのは「救い主」あるいは「救う者」ではなく「救い」である,少なくともその可能性があるようであり,それならばこの箇所も「義人」でなく「義」「正義」とするほうがよいことになる。しかし,今問題なのはあくまで入祭唱のラテン語テキストである。
 ちなみにNova Vulgata(新Vulgata)は "iustum" を "iustitiam" に替え,一義的に「正義」を意味するようにしている。
元テキスト:イザヤ書第45章第8節。

(以上述べたことについて投稿後まもなく自ら疑問を持ち,考えたこと)
 「雲」から「義人」が降ってきて,「地」から「救い主」が芽生えるのでは,1人ではなく2人の人物が現れるように感じられる。「雲」と「地」とが似たような意味の2語だったら単に1つのことの言い換えだなと思えたのだが,この2語がそうでない以上,それぞれから現れるべき「義人」「救い主」もまた別々の人物のように感じられてしまうのである。この私の感覚が正しいならば,"iustum" を「義人を」と訳すのはまずいことになる。イエス・キリスト以外の誰かで,ここで暗示するにふさわしい人物がいるならよいのだが(私は洗礼者ヨハネを一瞬考えた),「救い主」が「地」つまり下から現れようというのに別の「義人」が「雲」つまり上から現れるというのはおかしいだろう。
 また,「天よ(……)」の部分と「地は(……)」の部分との関係自体をもう一度考え直したほうがよさそうである。上で私はこれを「平行法(Parallelismus)」の一種ととらえた。平行法にもいろいろあり,上ではここで関係ありそうなものとして「同じことの言い換え」と「相互補完」という2パターンに言及した(そして,前者ととるのは苦しそうだということをこの追記部分の上の段落で述べた)。しかし,実はそもそも平行法ではないのではないか。天から露が滴る,つまり雨が降る。地からは芽が出る。これは,前者を原因,後者を結果とする,因果関係ではないのか。「平行法」についてドイツ語版Wikipediaの記事を改めて読んでみたが,こういう平行法はどうもないようである(私の理解が間違っていたらご指摘をお願いする)。
 ……ここまで書いて,雲から降ってくるべき「正しいもの」とは何か,そして救い主を芽生えさせるべき「地」とは何かということについて,素直に考えたらすぐたどり着きそうな考えに今さらながらたどり着いた。「救い主」を生む(産む)「地」,これはまず聖母マリアと考えるのが自然ではないか。そしてマリアという「地」からイエス・キリストが「芽生える」ことを引き起こした天からの雨といえば。――ここにおいて上の「義人」問題は解決する。"iustum" で暗示されているものはやはり「もの・こと」ではなく人格的存在者であり,しかもその者は "Salvatorem" という語で指されている者(イエス・キリスト)とは別の者である,そしてそれは人間ではない人格的存在者だが人間ではない,すなわち神,聖霊である。
 この解釈にさらに説得力を与えてくれるのは,アドヴェント第4主日には必ずマリアが登場する福音書箇所が読まれるということ,またこの日の拝領唱のテキストが「見よ,処女が身ごもり……」(イザヤ書第7章第14節)というものであることである。
 結論として,"iustum" はまず「義人を」でも「義を」でもなく,「義しき者を」と訳すことにする。しかし,だいぶ解釈が入った訳ではあるので,「義を」という訳も一応併記しておく。
 なおここでも,旧約聖書(イザヤ書)の一部なのだから聖霊やマリアが関係あるはずがない,ということは考える必要がない。元はたしかにキリスト教以前にヘブライ語で書かれたイザヤ書だが,これはキリスト教的に読み直され,ラテン語で新たに定着し,イエス・キリストの記念を行う教会の典礼の中で実用されてきたテキストなのである。

(さらに追記:私の最初の解釈を支持する例)
 本稿の導入部で,Rorateに基づくドイツ語聖歌が有名なものだけでも少なくとも2つある,と書いたが,そのうち1つはFriedrich Spee (1591-1635,イエズス会司祭) による "O Heiland, reiß die Himmel auf" である。この歌では,

(第1節)
O Heiland, reiß die Himmel auf,
おお救い主よ,天を裂き開いて,
herab, herab vom Himmel lauf.
こちらへ,こちらへ天から降ってきてください。
(後2行省略)

(第2節)
O Gott, ein Tau vom Himmel gieß,
おお神よ,ひとしずくの露を天から注いでください,
im Tau herab, o Heiland, fließ.
その露においてこちらへ流れ降ってきてください,おお救い主よ。
Ihr Wolken brecht und regnet aus
雲たちよ,雨として降らせよ,
● 動詞 "ausbrechen" は,何かの一部であったものを取り去るという意味だが,うまい訳語を思いつかないので,また結局言っていることは "regnen" と同じなので,訳出していない。
den König über Jakobs Haus.
ヤコブの家に君臨する王を。
● ヤコブの家=イスラエルの民=神の民。

(第3節)
(最初2行省略)
O Erd, herfür dies Blümlein bring,
おお地よ,この小さな花を芽生えさせよ。
● "herfür" は今なら "hervor"。「芽生えさせよ」は「育たせよ」「咲かせよ」かもしれない。
o Heiland, aus der Erden spring.
おお救い主よ,地から跳び出てください。

このようになっている。救い主が来ることが,天からという方向でも地からという方向でも求められており,つまり私の最初の(自ら否定した)解釈がとられていることになる。

aperiatur terra, et germinet Salvatorem. 
地は開かれよ,そして救い主を芽生えさせよ。
元テキスト:同上。上述のとおり,"Salvatorem"「救い主を」あるいは小文字にして "salvatorem"「救う者を」というのはVulgataでとられた解釈であって,ヘブライ語原典では(少なくとも,必ずしも)そうでないらしい。七十人訳でも違うようである。
 ここでは "Salvatorem" にピリオドがついて文が終わっているが,もとはコンマになっており,"et iustitia oriatur simul: ego Dominus creavi eum"(「そして正義はそれとともに起き上がれ。この私,主が彼を創造した」)という言葉が続く(「起き上がれ」は「現れよ」「産まれよ」とも訳せる)。「天よ,露を滴らせよ」云々と命じているのが「主」であることが分かる(この入祭唱に対応する部分の直前で語っているのも「主」である)。

Ps. Caeli enarrant gloriam Dei :
詩篇唱:天(※)は神の栄光を(詳しく)語り,
※ ここでも「天」は複数。
元テキスト:詩篇19(Vulgataでは18)第2節。

et opera manuum eius annuntiat firmamentum.
彼の手のさまざまな業を大空は告げ知らせる。
元テキスト:同上。

【逐語訳】

Rorate 露を滴らせよ(動詞roro, rorareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

caeli
天(複数)よ

desuper
上から

et
(英:and)

nubes
雲(複数)が

pluant
降らせるように(降らせなさい)(動詞pluo, pluereの接続法・能動態・現在時制・3人称・複数の形。要求話法)

iustum
正しい者・人を/正しいもの・ことを(いずれの場合も単数)

aperiatur
開かれるように(開かれなさい)(動詞aperio, aperireの接続法・受動態・現在時制・3人称・単数の形。要求話法)

terra
地が

et
(英:and)

germinet
芽生えさせるように(芽生えさせなさい),育てるように(育てなさい)(動詞germino, germinareの接続法・能動態・現在時制・3人称・単数の形。要求話法)

Salvatorem
救い主を 

(詩篇唱)

Caeli
天(複数)が

enarrant
詳しく語る/説明する/描写する(動詞enarro, enarrareの直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)
● 手元の辞書には最初に「全部語る(語りつくす)」という意味が載っているが,神の栄光を「全部語る」「語りつくす」ことがありうる,と聖書を書いた人やグレゴリオ聖歌を作った人が考えていたとは思えないので,少し控えめにして「詳しく語る」ということだと考える。

gloriam Dei
神の栄光を(gloriam:栄光を,Dei:神の)

et
(英:and)

opera
業(わざ)を,仕事を,作品を(複数)
● 単数・主格の形は "opus",つまり楽曲などの作品番号に用いられているあの語である。

manuum eius
彼の手(複数)の(manuum:手の,eius:彼の)

annuntiat 告げ知らせる(動詞annuntio, annuntiareの直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)

firmamentum
大空(単数)が

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