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【楽曲分析】J. S. Bach, 平均律クラヴィーア曲集第2巻第12番フーガ (ヘ短調) BWV 881,2

 公開するためにいろいろ説明を加えたりはしているものの,客観性を大切にした分析・解説を提供することを初めから目指したものではなく,基本的には自分のために分析したこと考えたことの記録です。つまり,思いついたこと感じたことを自由に述べている部分が多めに含まれています。というわけで,一般論としてもそうですが本稿については特に,私の言葉にとらわれず,「そう言いたければ言えるかもしれないが,自分はそう思わない」など,ご自分の感覚を大切になさってください。


基本情報

  •  手鍵盤・2手のため

  •  ヘ短調 (f-Moll),4分の2拍子,弱起,全85小節

  •  音域:C – c''' (まあ端から端までと言ってよいだろう。もう少し低い音が出てくる曲もあるが)

  •  純然たる3声 (声部分割なし)

  •  対唱 (対主題,contre-sujet) なし

主題

  •  同音の3連打 (2回) が特徴的で,これは後で間奏 (嬉遊部) でも用いられる。

  •  大きく見て,I – V – V – I (1小節1和音で) という和音進行を感じさせる (厳密には,一瞬とはいえ第1小節第2拍の裏はIVと分析せざるを得ないし,3声そろってからはこの小節にさらにVIが加えられていることもあるが)。これはドイツ語ではharmonischer Chiasmus (和声的キアスムス) と呼ばれるもので,古典派には普通に見られるものだったと思うが,バロックではどうだろうか。
     ともかく,このような (大きなシンコペーションともいえる) 和声リズムのせいで「Vに進んでからしばらく解決せず放り出される感じ」が生じている。といっても,同じ和声リズムでもこれが古典派であればそのような感じはせず,安定感のある雰囲気の中で問いかけて答えが返ってくる,あるいはキャッチボールをしているような感じになることが多いと思う (例:Mozartのピアノ・ソナタ第5番ト長調 [KV 283] 第1楽章冒頭)。これは主に,小節の区切りをはっきり感じさせることで4小節の大きなリズムを明確に感じさせてくれる (4小節を大きな4拍子として感じさせてくれる,つまり2小節+2小節のまとまりとして感じさせてくれる) 伴奏の存在によるものだと考える。試みにこのフーガ主題にアルベルティ・バスでもつけてみれば,私の言っていることがご理解いただけるかと思う。バロックでも通奏低音がついていればまた印象が違ったのかもしれない。

今回のフーガ主題にアルベルティ・バスをつけたもの
  •  というわけで,このフーガ主題において「Vに進んでからしばらく解決せず放り出される感じ」を与える上で決め手となっているのは,むしろリズム上の構成であるといえるだろう。第1小節と第2小節が8分音符 (それも連打) によって実にはっきりと拍を感じさせているのに対し,第3小節は第2小節後半から始まった16分音符の流れの継続であり,前の2小節に比べるとカッチリとした区切りなしに浮遊している印象を与えるからである (この「区切りのなさ」つまり第2小節との境目のなさという印象は,第1小節と違って第2小節では3音めを打ってすぐ16分音符の流れに入っていることによってさらに強化されている)。もしこの「カッチリとした区切り」が第1小節と第3小節にあったならばもっと均整がとれて安定している印象を与えていたことだろうが (そしてこれよりもだいぶ平凡な主題になっていたことだろうが。下の譜例を参照),そうではないものだから非対称的・ややいびつな感じがするのである。

「カッチリとした区切り」が第1小節と第3小節にくるよう改変した例

全体の構成

  •   「教科書通り」といえる点が多く,まず「主調 (&答唱で属調) →平行調 (&答唱でその属調) → (今回は主調を経ているが) 下属調→主調」という全体の調性プランがそうである。各部についても「教科書通り」といえる点が多いが,後半はそうでもないところがある。詳しくは各部分析のところで述べる。

各部の分析

第0~16小節 (第1提示部)

  •  主唱―答唱―主唱の形で各声部で1回ずつ主題を提示している。教科書通り。

  •  第8小節:早くも最高音c'''が出現する。クライマックスまで取っておこうという計算は特にしていないようである。

  •  答唱から主唱に向かう短いつなぎの部分 (第9~11小節):単純な反復に陥ることをうまく避けている。旋律の動きに変化がつけられているだけでなく,和声リズム (2声ということもありそれほどはっきりとは感じられないが) も変化している (4分音符2つ→2分音符1つ→4分音符2つ。解釈はほかにもありうるが,とにかくリズムが変わっているのは間違いない)。

  •  第3の主題導入 (下声) のときの対旋律:初めの2小節 (主題が8分音符主体の部分) では16分音符で埋めているが,その際2声部間の対話という形にしている。なお中声には上声の音から出発した「経過音」といえるもの (c''とf') が見られる。

  •  第17小節からのドラマチックな5度下行型反復進行に向かってゆく部分 (第14~第16小節):主題の終わりを下にずらして反復しつつ,VとIとを往復するだけの単純な和音進行と上声のdes'' c''反復 (短調における「ファ–ミ」の反復という点で,Mozartの交響曲第40番冒頭に通ずるかもしれない) とによって力をためている。ただ,これで中声までもが同じ音型を繰り返していたらさすがに単純すぎになっていたろうと思われるが,そこはうまく変化がつけられている。

第17~24小節 (間奏/第1嬉遊部)

  •  もしかすると教科書的には主題提示が終わった瞬間からなのかもしれないが,音楽の流れ上,第17小節で反復進行に入ったところからを間奏 (いわゆる嬉遊部) と見たい。

  •  反復進行 (それも最も多用される5度下行型反復進行) を用いて第2提示部の調に移っている。教科書通り。

  •  間奏/嬉遊部とはいえ,この反復進行はこの後も何度も現れるので (あと,単純にインパクトが強いので),もう一つの主題のようなものにも私には感じられる。適切な言い方かどうか分からないが,便宜上,以下これを「間奏主題」と呼ぶことにする

  •  少し,Vivaldiの「冬」第1楽章に出てくるあの反復進行のようでもある。

  •  改めて考えると,下声が16分音符で分散和音以外の何物でもない動きをするというのはフーガらしくない (ポリフォニーらしくない) といえばらしくない? そしてこれもまた,Vivaldi的な劇的な感じを出すのに寄与しているのかもしれない。3声というよりtutti。

  •  主題の特徴である同音3連打を,もう一つの声部 (ここでは中声) で重ねることでさらに強烈にしている。そしてその声部は3連打の後そのまま音を伸ばしっぱなしにしており (短い音符から長い音符へのタイという「規則違反」をしてまで),つまり次の小節で何もせず,これによってこの小節の密度を下げている。前の小節における上述の "tutti" 効果も相まって,この反復進行部分で1小節ごとに強弱が交替する感じが出ている (声部数は変わらないのに)。

  •  反復進行部分は,上声と下声とが代わる代わる16分音符を (8分音符を) 担当する形。反復進行から抜けた後は,16分音符で歌う上声と8分音符で伴奏する下声という単純な形。1小節ごとに異なる音価→各声部一定の音価,という切替により,うまく弛緩に持っていっている (同時に声部が一つ減っている)。この弛緩が,短調の曲における平行長調という一時の平和な場面での主題導入のよい準備になっている。

  •  第22小節上声:中声の音から出発した「経過音」(f')。

第24小節第2拍裏~第32小節 (第2提示部)

  •  教科書通り,平行調 (As-Dur) およびその属調 (Es-Dur) で主題を提示している。当初2声 (この部分に入る前から既に2声になっている),2つめの主題提示で3声。

  •  Es-Durでの主題提示はIではなくVIの和音で始めている。

  •  Es-Durでの主題提示の前半,下声を上声が模倣している。

第33~40小節 (間奏/第2嬉遊部)

  •  前半,すなわち第33~37小節は,第17~21小節と同じ形 (「間奏主題」)。5度下行型反復進行だというだけでなく,各声部の動きも,上声と中声とが入れ替わっていることを除けば同じである。バッハでは別に珍しくないと思うが,いわゆる学習フーガであれば間奏 (嬉遊部) ごとに異なるモティーフを用いることになっているので,こういうことは決して起こらない。

  •  異なるのは,直前の主題提示部との調関係である。第17小節~のときは第1提示部で最後に主題提示した調でそのまま反復進行に入っており (f-Moll→f-Moll),そして反復進行を用いて転調していた。このように,転調は普通は (教科書的には) 反復進行で行うものである。ところが今回はそうではなく,反復進行に入るところでもうEs-Durからc-Moll (この間奏/嬉遊部の最終的な行先でもある調) に転調している (第32~33小節)。
     どうしてそうしたかだが (普通にEs-Durで反復進行に入ってc-Mollに行くことだってもちろん可能なのである),2つの理由が考えられる。1つは,Es-Durで反復進行入りすると上で軽く言及した「上声と中声との入れ替え」が起きそうになく (何とかしようはあるのかもしれないが),変化に乏しいということ。もう1つは,そして私が思うに最大の理由は,単純に格好良くないことである。実際にやってみれば分かる。

第31小節以下を,最後に主題提示した調 (Es-Dur) から反復進行が出発するようにした上で原曲と同じところに行き着くように書きかえたもの。特に反復進行の第2ユニット (譜例中の第4~5小節) がなんとも美しくない。早い話が,この「間奏主題」は事実上 (音楽理論的にではなく美的に) 短調専用だといってよい
  •  第40小節:曲尾以外で唯一の全終止。c-Moll (ただしピカルディ3度) で,主調 (f-Moll) から見てV度調 (属調)。この直後に主調での主題提示に戻ることもあり,ここで全体が大きく2部に分かれると見てもよいだろう。

第40小節第2拍裏~第71小節

  •  もちろんもっと細かく分けてもよいのだが,便宜上この31小節間をまとめて扱うことにする。

  •  第40小節第2拍裏以下:あまりにもあっさりと主調 (f-Moll) での主題提示に帰ってきている。学習フーガであれば,あらゆる近親調 (近親調というのはいろいろな意味で用いられる語だが,今回は,属調・下属調・平行調・平行調の属調・平行調の下属調の5つを指している。5つのうち,このフーガではここまでで3つしか出ていない) をめぐり,3回の主題提示部と3回の嬉遊部で存分に音楽を展開させてから主調での主題提示に戻るものであって,少なくともその感覚を持った者には,このあっさりとした回帰は唐突な感じあるいは「消化不良」感を与える。

  •  第45~46小節で主調の下属調 (b-Moll) がほのめかされ,第50~52小節でバスが属音を保続し,さらに第54小節に入るときに偽終止的進行 (V→VI) をして,と,曲が終わりに向かうサインが揃っているのだが,まだ終わらず,ここからこの曲最長の間奏 (第54~71小節) に入る。そして,以上の3要素すべてが後に最後の主題提示部と結尾 (第71小節第2拍裏~) で再び出現してやっと曲が終わる。
     このようにいわば「1回終わりに向かったが終わることができなかった」のは,先ほどの「消化不良」感によるものとも考えられる。この「消化不良」感は,最長の間奏で展開を存分に行い,真のクライマックスである最後の主題提示部を経て見事に曲が終わることで解消されることになる。最長の間奏のうち特に第56~65小節では,主要モティーフが新たな形で展開されており,ここまでで言いきれていなかった (言えないまま曲が終わってしまうところであった) ことを「実は」とばかりに言っている感がある。
     なお,「曲が終わりに向かうサイン」に「偽終止的進行」を含めたのは,単にインヴェンション第3番ニ長調や第4番ニ短調の印象があるためである。どのくらい一般的にいえることか調べたわけではない。

  •  第45~46小節でほのめかされた主調の下属調 (b-Moll) は,第54~59小節で明確に出るが,これは間奏である。その後第71小節以下で最後に出る際には主題提示を伴っている。このように,複数回に分けて次第に存在感を増すという形で下属調が出されている。なお,後半で下属調を出すこと自体はバロックの典型的な調性プランである。

  •  第45~46小節の下声は第43~44小節を上に移したもの。第47~49小節の下声も,高さを変えて同じ形を3回繰り返し用いている。この形はさらに,第50小節の上声,第54小節の上声,第55小節の下声などにも現れる。

  •  第50小節:中声は少し休んだ (第49小節) 後なので,主題提示で入ればよさそうなものだが,それにとらわれず音を入れている (g,as,bの3音)。

第71小節第2拍裏~第85小節 (最後の主題提示部と結尾)

  •  このフーガ唯一の追迫 (ストレッタ) を含む部分。正真正銘の追迫である第74小節だけでなく,第77小節で「間奏主題」へのアウフタクトが入るタイミングも主題が終わる前なので追迫を感じさせる。

  •  主調の下属調 (b-Moll) での主題提示で大きなIVを感じさせた後,第77小節で大きなV (V保続と見るべき。後述) に入る。最終決戦。
     この最終決戦に向かう雰囲気が,第75~77小節でIV→VII→Vと,IVから直接Vに行くのでなく両者の間に位置する和音 (下の譜例を参照) を挟んで時間をかけて進むことによって見事に醸し出されている。VIIが減七の和音なのも効いている。なおVIIが第1転回形である (下声がg音,すなわちiiの音である) ことにより,「IVとVとの間」感がさらに増している。(そもそも第76小節をVIIと解釈することに疑問を抱かれる方,つまりこれは「属九の和音の根音省略形体」ではないのかとお思いの方もいらっしゃるかと思うが,根音省略という捉え方は後世のものだし,とにかくここで実際に鳴っている音を3度重ねにしたとき一番下にくるのはe音なのだから,第76小節から第77小節に進むとき根音が変わっている [e→c] と見るほうが自然な感じ方だといえるだろう。)

IVとVとの間にはIIとVIIとがある
  •  第77~83小節はずっと低音でV保続が行われていると見るべきであろう。一瞬とはいえ第78小節のはじめまで下声のc音が伸ばされていること,第80小節と第82小節で下声が直前の音からの流れを無視するように (それぞれ,普通ならe音,f音に進むところ) まずC音を鳴らしていることがそれを裏付ける。
     先に「主調の下属調が次第に存在感を増しつつ3回に分けて現れる」ことを述べたが,実は存在感を増しつつ3回に分けて現れているものがもう一つあり,それがこの「大きなV」である。1度めは第40小節のc-Mollピカルディ全終止,2度めは第50~52 (あるいは53) 小節の3~4小節間のV保続,そして最後がここの第77~83小節の7小節間のV保続 (+第84小節,全終止直前のV) である。

  •  これまで常に反復進行という「移り変わり」を感じさせる和声を伴って現れていた「間奏主題」が,ここではf-Mollの主要三和音とともに現れ (保続音上だが,I – IV [&II] – V – I),つまりf-Mollという調性にしっかりと「留まる」印象を与え,もう移り変わらないこと,物語が終結しつつあることを感じさせている。 


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