母語の文化を豊かにしてゆくことの重要性

 2019年2月16日のFacebook投稿 (文章表現をほんの少し改善,内容はそのまま)。タイトルは今仮につけたもの。
 日本は翻訳大国であると言われますが,これは本当に素晴らしいことであり,また大切なことでもあると思います。
 


 基礎が欠けていると盲点が多くなる,あるいは少なくともいろいろ非効率になるということは知っているので,このところ【註:2019年2月】聖書・典礼・教会史などについての本をいろいろと読んでいる。どれだけドイツ語に慣れても,やはり,日本語文献があると実にありがたい。母語だと速いし頭の中によく定着もするということは,少なくとも私においては,間違いない。
 日本語は世界的にみてメジャーな言語ではないということ,そして日本においてキリスト教 (それも古代・中世初期) は全然中心的な存在でないこと,この二重の不利なはずの条件にもかかわらず,私の関心分野について日本語だけでもずいぶん勉強できるというのは,決して当たり前のことではない。母語の文化を豊かにすることの大切さを改めて感じ,それを高度に実現してきたこれまでの日本に讃嘆の念を抱く。そして,これからもこの水準が保たれあるいはさらに高められてゆけばよいと思う。
 ちなみに今読んでいるのは,加藤哲平氏のヒエロニュムス研究書 (博士論文なのに読みやすい) と,聖グレゴリオの家の西脇先生【註:当時。現在は西南学院大学教授】の「グレゴリオ聖歌研究」シリーズ (『南山神学』2009–2013) である。
 なお,私のもう一つの関心分野である音楽理論においても,最近日本語文献が素晴らしく充実してきている。


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