教会オルガニストに求められる能力(専門性より総合力で勝負できる音楽の仕事も存在するということ)

 ある分野で突出したものを持っている必要はないが,広範囲にわたるしっかりした基礎力を備えていること。一般的な教会オルガニストに求められる能力の特徴を一言でいうと,こういうことになるだろう(大聖堂のオルガニストなどともなれば突出したものも求められるが)。

 具体的にはどういうことか,一般的な教会オルガニストが「できなくてもよいこと」「できると便利であること」「できる必要があること」を思いつく限り挙げる。なお,「一般的な」といっても以下に書くことは私の仕事に基づいており,一口に教会オルガニストといっても勤め先/奉仕先の宗派・風土・会衆の人数・聖堂/礼拝堂の大きさなどなどにより事情はさまざまであるということを断っておく。

教会オルガニストが「できなくてもよいこと」

難曲や長い曲を弾くこと
 もちろん,できるにこしたことはないが。

教会オルガニストが「できると便利であること」

即興演奏あるいはそれに準ずること
 ミサ/礼拝の内容,伴奏譜がどの程度整っているか,レパートリーがどのくらいあるかなどの事情にもよるが,とにかくこれはできればできるほど便利。便利だというだけでなく,特に,その時歌われたり説教で言及されたりその日のテーマから連想されたりする聖歌・讃美歌に基づいて何か弾くと,たとえ簡単なものであっても効果的であることが多い。

だいたい1~5分ほど(教会により,この上限は2~4分ほどに下がる)のさまざまな曲想の曲をいろいろ弾けること
 即興演奏ができない場合,これは「便利」ではなく「必須」。即興演奏が一応できても,それだけだと質や多様性がもうひとつになる場合が多いので,やはりこれはできることが望ましい。

移調奏
 会衆の歌の伴奏程度でよい。

初見や初見に近い状態で歌ったり弾いたりすること
 これは葬儀でのリクエストというケースが多い。ほかには,めったにないことだが司式者の急な思いつきなど。無理なら断ればよいので深刻に考える必要はない。

出来が悪かったり無駄に弾きづらかったりする曲を改良すること
 残念ながら,少なくともドイツの教会音楽の世界ではそういう質の悪い楽譜がたくさん出回っている。また教会音楽に限らず,編曲ものや通奏低音のリアリゼーション譜ではよくあること。

編曲

楽譜作成

耳コピー
 楽譜がないか,あっても使い物にならないような曲をリクエストされた場合。特に結婚式においてたまにある。しかしこういうのは断ってもよいので気にしなくてもよい。

教会オルガニストならば「できる必要があること」

典礼暦/教会暦,一つのミサ/礼拝の中での位置,朗読される聖書箇所や説教などをよく理解し,状況に合わせた音楽をすること
 つまり,神学的なことを中心に,音楽以外の能力,特に「言葉」を理解・感受する能力がある程度要求されるということ。さらには,その教会の慣習,その時の会衆の様子といったことにも配慮する必要がある。

聖歌・讃美歌をよく知っていること
 そのミサ/礼拝で会衆が歌う歌を選ぶところまで行うこともあるが,これは司式する司祭や牧師の方針次第である。一般にプロテスタント教会では牧師が歌を選ぶと聞いたことがある。カトリックではいろいろで,私のところではたいていオルガニストの担当。

歌うこと
 美声でなくてもよいが,とにかくまともに歌えること。しかしやはり人間の声の持つ力は大きいので,もちろんよくできればできるほどよい。なお,常に先唱者が別に存在する場合は一応不要。

簡単な弾き歌い
 これも,常に先唱者が別に存在する場合は不要。

伴奏
 普段は会衆が歌う聖歌・讃美歌の伴奏だが,合唱や楽器の伴奏を行うこともある。

高度な音楽教育を受けた者としてのこだわりを場合によっては一時的に手放すこと
 会衆の伴奏などにおいていえる。この意味ではプライドが高くないほうがよい。

本番の直前や最中にオルガンの一部や周辺機器が故障する,司式者が式次第を間違える,自分が想定外の失敗をするなどの事態にすばやく適切に対応すること
 具体的にどう対応するか,オルガンに不具合が生じたときの場合でいうと,(特定の鍵を避けるために)別の調で弾く,弾く予定だった曲を諦めて即興演奏する,急遽ピアノを用いる,楽器を弾く代わりに適当な詩篇を選んで独唱するなどであり,つまりこういうときの対応力を支えるものはやはり幅広い基礎力であるといえると思う。

 ちなみに,ドイツにおいてはほとんどの教会音楽家はオルガンを弾くだけでなく聖歌隊(大人/子ども)の指導もするので,上記に加えて合唱指導,子どもに適切に接することなどもできる必要がある。あと,コンサートをはじめとするイベントの企画力が要求される場合も少なくない。私の場合,これらはいずれもかなり苦手とするところなので,こういうことをほとんどしなくてよい職場を選んだ。

教会音楽家/教会オルガニストという仕事:専門性より総合力

 「できると便利であること」「できる必要があること」をずいぶんいろいろと挙げたので大変そうだとお感じになるかもしれないが,ポイントは,(あまりよい言い方ではないかもしれないが)どれも「そこそこ」できればよいということである(※)。伴奏にせよ即興演奏にせよ編曲にせよ,一つ一つの能力だけみればプロとしては通用しないような水準であっても,そこそこであれば一通りできるということで立派に通用するし,そういう総合力こそが求められる,教会音楽家/教会オルガニストとはそのような仕事である。
 この点に限っていうと,私自身は経験のない仕事だが,学校の音楽の先生に求められるものと似ているのではないかと推測する。実際,ドイツの大学において,教会音楽家の養成課程と学校の音楽教師の養成課程とには共通するものが多い。

※ それに,本職の教会音楽家でもこれらのことがすべてできるとは限らず,各人得意不得意がある。日本の国立大学の入試においては,科目が多いぶん1教科くらい苦手があってもほかで少しずつカバーして突破できるという場合があるかと思うが,教会音楽家というのも,要求されることの範囲が広いぶん苦手分野が少しくらいあっても許される雰囲気が何となくあるように,個人的には感じている。

音楽を仕事にする道は,一つの専門で飛び抜けた実力をつけることばかりではない

 本当は最後に,「だから,一つの専門でトップレベルになれないということで音楽を仕事にすることを諦めようとしている人は,こんな道もあるということを考えてみてください(信仰の問題はありますが)」などと書きたかったのだが,残念ながらミサ/礼拝に参列する人々がここ数十年間どんどん減っているので,20年後30年後に職があるかどうか分からない。今現在は逆に教会音楽家は不足しており,就職に困ることはないそうだが(※1)。
 というわけで,今からこの職業に就くこと自体を責任をもっておすすめすることはできない(※2)が,とにかく,「何かで突出してはいないけれど,総合力でならけっこう勝負できる」タイプの人々にも音楽を仕事にする可能性は開かれているのだということを言いたかった。今はどうか知らないが,少なくとも私が中学生のときに音楽高校を目指す決断をしたころ(23年近く前)は,「音楽を仕事にする」というとどうも「作曲活動や演奏活動で生きてゆく」という狭いイメージしかなく,そしてこのような認識が私と私の周りだけのものではなかったのだとしたら,これのために多くの若い人々が音楽の道に進むことを躊躇したり諦めたりしてきたのではないかと思うからである。
 上述の通り教会音楽家という職業の将来が危うい以上,これだけだとこの私のメッセージは弱くなってしまうので,ほかにもそういう仕事をご存じの方がいらっしゃれば教えていただけると嬉しい。

※1  なお,私の知る限り,教会音楽家が職業としてごく普通に成り立つのはドイツくらいである(よく知らないが,あとスイスも?)。しかしもしかすると私が知らないだけで,ほかにもそういう国があるかもしれない。
※2  もしそれでも教会音楽家になるなら,教会音楽でMasterの学位(昔でいうA-Diplom)まで取ると安全かもしれない。容易なことではないが。ちなみに私は(教会音楽では)取っていない。このレベルになれば,ドイツ以外の国で働く道も開けてくるかもしれない。

 私自身は,これまでさまざまなことに手を出してきたが何の専門家にもならずにいるということを引け目に感じてきた人間なので,それぞれ少しずつ勉強してきたことを総合的に生かしてくれる教会音楽家という仕事があること,そして自分がそれを務めることができていることを,本当にありがたく思っている。10年後20年後に職を失うのかもしれないが,だからこそ,できるうちにこの仕事をしておこうという思いでいる(まあ本当のところをいうと,将来のことは分からないのであまり考えていないというほうが大きいが)。

↓ この記事を書く直接のきっかけになった,植松努さんの素晴らしいお話(もしうまく表示されない場合,こちらへどうぞ)

僕は中学生の頃に、マンガ(のようなもの)を書いていました。 絵を描くのが好きでした。 でも、「そんなんじゃあ、食っていけないよ」と言われました。 時は流れて・・・ 僕は、名古屋で仕事をしていました。 飛行機やロケットの開発です。 その職場...

Posted by 植松 努 on Friday, May 22, 2015


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