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権利と義務の論争は残業を生む

「あいさつをしたくない」「あいさつをしない自由がある」「あいさつって義務じゃないだろう」という若者の意見に対して、「非常識な人間だと思われるぞ」「それでもいいなら勝手にしろ」と突き放す大人がいる。「それも自由だ。自由を楽しんでくれ」「ただ、挨拶をしているとちょっとだけ良いことが起こるぞ」と、訓たれるのが大好きな人生の先輩が多すぎる。ああ、面倒だな。こんな論争を何年やってきたんだろう。

なあ、もう終わりにしないか。

同じような論争はいくらでも起こせるからキリがない。「飲み会に行きたくない」「飲み会を欠席する自由がある」「強制参加の場合は残業代を支給せよ」が定番だ。飽きないのか。「職場では好きな服を着る自由がある」というのもある。これらどれも「自分の自由だから」という理由で、若者はほぼすべてを正当化することはできる。それに対しての大人の答えはいつも同じだ。君は「他者」がどう思うかを考えられていない。「他者」がどう思うか考えられないやつが「他者」相手に仕事ができるのか。仕事ができないやつがこんなこと言い出すんだ。

なあ、頼むから静かにしてくれ。

あいさつがどうだ。飲み会がどうだ。永遠につづく「権利と義務」の議論。ここに時間を使いすぎる人は、若者だろうが大人だろうがどちらも仕事ができないと思う。こういう会議に巻き込まれたら、「はいはい、いつもの「権利と義務」の論争ね。好きにしたらええやん」で終わりにしてくれ。ルールが決まっていないなら、さっさと決めて仕事に戻ろうよ。

あいさつや飲み会が面倒くさいというが、あいさつや飲み会にいかないほうが面倒なことになるんだよ。あいさつは一瞬で終わる。飲み会も大抵2時間で終わる。でも議論になったら、数ヶ月ひきずる。人間関係でいえば、数年ひきずる。軋轢も広がる。論争を起こすことそのものが、もっとも悲惨な結果を生む。そう思わないか。

いや、そう思わないね。というパターンに出くわすと、もうおれに逃げ場はない。若者が上に権利を主張することに酔って、先輩は下に訓たれるのに酔っている。もうふたりで飲みに行ってくれよ。双方とも正義に包まれ気持ちよくなってるパターンは、もはやジハードと十字軍の争いである。どっちにつくんですか、という状態は、トップがしっかりしていない民主的な組織でよく起こる。逆に言えば、ビッグモーターのような組織では絶対に起こらない。

なんでもかんでも面倒だから俎上にのせるべきではない、と言っているわけじゃないんだ。

きょねん、経済産業省に勤めるトランスジェンダーの職員が、職場の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた裁判があったが。「議論すべき権利」って、こういうのだよ、こういうの。これに比べたら、あいさつがどーこー、なんてくだらんと思わぬか。体は男性のトランス女性が女湯に入っている。体は女性のトランス男性が男子トイレに入れない。ここには尊厳をかけて主張すべき「自己の権利」があり、それでも尊重すべき「他者の権利」がある。これからの時代に向けて、どちらの権利も両立させるような、しなやかな発想が求められている。これなら、考えがいがある。

社内メールで、あいさつはいらない。いや、あいさつはいります。

そんなレベルの会議に巻き込まれて時間を失い、おれは、いま、残業をしている。もー。11時だぜ、おい。

今日の音楽は、MCバトルとかにしておこう。くだらん議論はもうラップバトルでケリをつけるという法律をつくってほしい。エンタメ化したら双方の軋轢はプロレス的ストーリーとして昇華されるだろう。社内ルールとして提案してみようかな。いやだめか。「では、ラップバトルで決めたらいかがでしょうか」と言った瞬間、権利と義務の両陣営からシメられる。でも、それで会議から締め出されるなら、こちらとしても都合がいいのか。

うーん、我ながらやぶれかぶれな終わり方だ。
おれは今、確実に、つかれている。

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