インターネットがいつまで残るかわからないが

インターネットに残すと、消したくてもずっと残ってしまう恐さを強調されるが、個人的には死んでも残るかもっていう生きた証遺した若干安心感が結構勝ってるんだが、やっぱりこれもいつかなくなるのか?

どんどん発信する人が増えて、読みたい本も見たい動画も聴きたい音楽がいっぱいあってかつなんとなくネットを見る時間もほしいし何もしない時間もほしいし、全く追いきれていない。

何年か前に、もう見たいものは見尽くしたと絶望していたが、あれはいったいなんだったんだ。また興味や考えは変わるから早まっちゃいけない。

なんか作っても、ほんとに必要なのか?こんなにいっぱいものがあって。と謎のだるさに襲われる時があるし、
ネットにもたくさん色んなことを言ってる人がいて、これだけあればおんなじこと書いてる人いるだろうけど、とりあえず周りには同じこと言ってる人いないから便秘解消のようにして書いている。
でもここに書き始めたら、ネットのアルゴリズム様々なのか、偶然か、そういう考えを実践している人の情報が目に入るようになってきた気がするから価値はあるのか。
人がやりたいことはなんでこうもかぶるんだろう。

自分が1000年前に生まれてても、結局大したもの作れなかったのかもしれないけど、
モーツァルトとかより前に生まれて何も知らなかったら、また違う発想ができたのかなとか、
もしやなんか一曲くらい、単純だけど何故かずっと残ってて、皆が聞いたことあるような曲が作れたんだろうか?とか夢想してしまう。

源氏物語とか枕草子とか、写して残そうという人が出るくらいの価値があったというもあるが、その時は娯楽としての文章を書く行為がそこまでメジャーじゃなかったから残ったというのもあるんじゃないかと思う。
紙ってそんなに残るんだと改めてびっくりしている、もしかしたら意外とネットより紙のほうが信頼性あるのか
高齢者を散々混乱させて全てをネットに移行した途端全部パーとかいうことが起きないといいが

もし残ったとして、
これだけ複雑になって、違いが細分化して遠目から見たら違いなどわからないものが膨大にあるというかんじに見るのかもしれないがネットさえあれば何百年後の市井の生活文化研究は安泰だな

多すぎて見てもらえるかわからないがたまたま見つけて、この時代の偉くない人はこんなんだったんだーと思う人が未来にいたら面白いなと思って書いとく




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