アンケートに答えられない

小さい時から簡潔にしゃべれと言われるが、なかなかうまくできない。
結果に至るまでのこまごました全てのことが自分にとっては大事で、何かを抜くと正確に伝わらないような気がした。
それでも全部しゃべりたいのでせめて時間短縮のために早口でしゃべったが、それはそれで早口すぎると言われ、
無理に短縮すると本当に殺伐とした印象を与えたり、事情を弁明すべきところでそれを短縮してしまい誤解を受け関係がおかしくなったり
どうしていいのかわからない。
はい、いいえで答えるのも物によってはかなり悩み、
特に否定文をベースとした疑問文で聞かれると、文法的にどちらがどっちの意味になるのか混乱する。Noの意味ではいと答えると(英語ならいずれにしても回答は一緒)いいえに訂正される時があり、
はい、しませんと書き込みたくなる。

英語の検定試験みたいのも、英語話者が作ると根本的に脳の構造が違うのか、どの選択肢も若干違うような気がする、というようなことが起きる。

就職でも強みとか弱みとか聞かれると、頭がくらくらしてくる。
得意ですか?と聞かれてもうーんどの程度で得意って言っていいんだろう、なんか得意といって全然できないじゃんと後から失望されんのもやだしなあかといって全くできないと思われるのもななどとくどくどくどくど考えて時間だけが過ぎていく。
何でもできますと言って、そこに自分を合わせていくバイタリティがあればいいが、、

自分でもしんどい。
面接やらで延々質問するより、とりあえず試しで仕事場に行って、なんかやらせたりしたら大体わかるんじゃないの、と思ってしまう。
自分の会社自体がハズレくじである可能性があるのに、あの企業の意地でもハズレを引きたくないという気迫というか、狭い部屋で椅子に座ったまま全てを正しく判断しようとしすぎて互いの時間を浪費しているかんじなんなんだろう。
言葉のニュアンスには鈍感なのに、全てを言葉で判断しようとしているというか

昔学校でやった適職診断とやらは、1から10の10段階で興味あるなしを選べたのでだいたい中間の4-6あたりの少し興味あるを選んでいたらほぼ何にも興味がない人と認定されてしまった。
友達に聞くと、こういうのは全部1か10で答えなきゃだめだヨ!!私は4とか6なんて使ったことがないヨと言われ、驚いた。じゃあ2から9の存在意義はなんなんだ?こっちは細かいスケールがあるので、6か7かで真剣に悩んでしまっていたが、結局いずれも興味がないと認定されるのだから、全く無駄な悩みだったということだ。

こんなに早く(私以外は皆そうなのかもしれないが)この世の真理を知って割り切っていた彼女は、今ごろきっと頼もしくこの世を渡っていることだろう。
自分も歳をとって疲れてきて、だいぶ適当にはなってきたが、それがいいことなのか順応なのか、あまり手放しには喜んでいいことなのかわからない。

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