Ep.7好きってなんだろ
恋とか愛とかリアコとか推しとか、そんな垣根を超えたところに私の感情はあってほしいと願っている。
自分の意思や、尊重したい感情が伴っている愛情に、勝るものは無いと思っていながら、いつも不純的に推しを愛している。大事にされたいんじゃなくて、推しがどんな選択をしようとも幸せであればいいと思っていたい、絶対的ヒロインなんて存在しない世界線で生きているなら、全力で推しだけを推していたい。そう思って数年、私の愛がおぞましい形になって、そろそろ崩壊しそうだ。
募っていくばかりの気持ちは、原作者様に伝えてもSNSで書いても、泣いても、叫んでも、消えてくれないのだと、ようやくわかったよ。
ところで、私はコナンを自分の中での幸福材料として利用してる部分は少なからずあると思うんです。
それは好きである以上、自分の幸福度合いを高めるためだとか欲を補うという工程として当たり前なんだけど、そこじゃない部分に気付いてほしい。
それこそ冒頭で言ったように《恋》とか《愛》とか辞書にある言葉に乗っ取られない独り歩きできる感情であってほしい。
そもそも私は快斗くん以外とは結婚しないし付き合わないし現実世界の男なんて論外だし〜!って思ってるわけではなくて、私が毎日仕事に行くための後押しであって、それがイコールして生きていくことだと思っているから、青山先生が好きなように書くことが、キャラクターの幸せなのかなって思うから、私はずっと原作者様が神々しく見えるのです。
疲れた時に推しの顔を見てじわじわ好きだなって何度も痛感して、幸せだなって思えることが、それがもう幸せで、推しの人生には箸にも棒にもかからない私だけど、好きでいていいよって言ってくれる気がして、それが安心と直結する愛。
何故愛を表現する場所としてnoteを開設したのかって話になるんですけど、SNSを始めたら愛情って比べられるんだってことに気が付いたんです。べつに格付けしてませんよってみんながみんな思っていても、私に「依茉さんみたいになりたいです」って言ってくださる方がいて、それはもう当たり前にもちろんずっと嬉しい言葉なんだけど、その時点で私とご本人を比べていることになっていて、それってすごく自己を否定してしまっているなと思いました。だからnoteという文章をメインコンテンツにする場所を作成して、好きなだけ話せたらなと思ったんです。自己を否定しない上で、誰かの愛情の示し方が興味深いと思ったこととか、自分はこう考えてこうやって表現していきたいと思ったとか、話したいなって思ったんです。
(Instagramって写真がメインで、私は写真撮るの下手くそだから……多分愛情が100あったとして0.5くらいしか伝わって無さそうだなって思ったのが始まりです。)
全く比べないなんてこと生きてる上で不可能なんだろうけれど、それはそれで、あくまでも平等でいたい気持ちの存在は知って欲しいです。
感情を皆とリンクさせたいわけじゃないんです。
私は、自分のなかで自己完結している愛情に、何故誰かが価値を見出そうとするのか、私にはさっぱりわからない。わからないから知りたいと思うし、そんな価値観の違いを共有したいと思うし、自分の視野や思考を広げるために聞きたいんですけど、あんまり表立って「あなたとは考え方が違うぜ!」って言ってくださる方はいません。
私が変なのか?
理解できない考え方がこの世にあって、それにぶつかった時に、自分の感情を上手く飲み込めるようになりたいし、そんな考え方を噛み砕けるようになりたいんです。
全部知ったら私の推しくんみたいに、物事を先まで見据えることが出来て、たまに自分の感情に振り回されるけど自分のフォローは自分で出来るような人間になれるかな〜って思ってます。勝手に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?