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【キャリア】主語を「子ども」にしてほしい

私はマイノリティである

先生になりたいと思い

生きてこなかった


高校を卒業し

大学で先生の免許を取って

先生になっている人は

どのような理由があり

先生になったのだろうか


聞いていると大きく分けて3パターンぐらいに分かれる


子どもと触れ合うのが好き

尊敬する先生がいた

教えるのが好き


子どもと触れ合うのが好き

単純に楽しいという気持ちや

子どもの成長を間近で見たい

そんな気持ちが強いのかもしれない


尊敬する先生がいた

その先生にあって人生が変わった

学校に良い思いがあるのだろう

そんな先生にあこがれる気持ちもわかる


教えるのが好き

小学生のころから人に教えていた

何かを突き詰めて考えることが好き

職人気質な気もする


大学で免許を取るということは

高校受験時には教師という道が

人生の想定内にあったはずだ


18歳にして自分が何をしたいか

考えることができていた人たち


けどそんな人たちはマイノリティではないだろうか

多くの若者は「自分が何をしたいか」を理解しているだろうか


自分が何をしたいのか

自分が何者なのか

訳が分からぬまま

就職活動という波にのまれて

自分を納得させるために

「やりたいこと」を無理やり作り出している


そんな現実を変えたいと思った

そんな社会を変えなくてはいけないと感じた


早くから自分がどんな人間になりたくて

何に挑戦をしたいのか

常に考え続ける人を育てたい

そんな思いで先生になった

マイノリティだ


一度社会を見て

この社会には教育が必要だと思った


だから

子どもと触れ合えていれば何でもいいとは思わない

だから

尊敬する先生がいなくても自分の先生像を持っている

だから

教えるのが楽しくなくても教え方を工夫しようとする


子どものためにならない

理不尽なことには抵抗をする

子どもにとって何が一番成長できるのか

常に考えるようにしている


先生という仕事は

「自分がどうなりたいか」

よりも

「子どもにどんな力をつけさせたいのか」

が大切である


「自分は」子どもと接することが好き

「自分は」尊敬する先生がいた

「自分は」教えるのが好き

で子どものためになっていればいい


子どものためではないと感じた時には

管理職、委員会に対してでも

抵抗する力を見せてほしい


「自分が」よければいいのではない

子どもにとって良いのか

この視点を教師は忘れてはいけない


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