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"お受験”という手段で何を得る?

私と妻、娘の3名は、2022年の1月から11月まで"お受験"というレースを走り続け、なんとか完走することができた。正直苦しいことが多く、一時期は「受かっても受からなくてもいいから、早く終わってくれ」が口ぐせだった。

私が住んでいる東京都目黒区のある地域では、公立小学校の生徒の半数が中学受験をするような地域だ。私は東北の片田舎で育ったので、中学受験をする子供はマイノリティで、かくいう私も高校受検が初めの受験だった。そんな私が"お受験"をすることになるとは・・。

小学校"お受験”を考えたきっかけは何?

娘が保育園の年中の師走、妻と2人で楽しいお酒の時間を過ごしている時に、突然彼女は私に言った。「小学校ではインターナショナルスクールに通わせたい。」

衝撃だった。

私も妻も英語は疎い。インターナショナルスクールは片親は英語が流暢である必要がある、のような前提があった気がする。。冷静を装いもう少し深ぼり聞いてみる。すると、彼女にとってインターナショナルスクールは手段であり、目的は「英語」「選択肢を増やす」ということであることがわかった。

であれば、なんとか検討の余地があるか。。インターナショナルスクールは小学校の6年間通わせた場合に、1,200万円の学費がかかる、それはあまりに非現実的だ。そこで私は手段の候補に"お受験"を盛り込んだ。私立小学校では1年生から英語を学ぶことが多いのだそうだ。

なぜ"お受験”をするの?

これは身近な方々にもよく聞かれた質問だ。その度によく回答していた話を整理すると、以下の3つに集約されると思う。

①学区域の小学校では教師の質や高学年の生徒の素行に不安がある。

私も妻も学区域の小学校をあまり好ましく思っていなかった。近所の公園で遊んでいる公立小学校の生徒が、公園にいる鳩に石を投げていたらしく、妻が生徒にブチギレていた。少し大袈裟だが、あんな生徒がいる学校に通わせたくないと、思ってしまったいた。

また、教師の質にも懸念があった。近所に住む2つ年上の子供が、教師に目をつけられていて、不当な扱いをされている話を聞いていた。その子供は普通の男の子で問題を起こすタイプではないため不思議だったが、先生の運が悪かった、今時風にいうとハズレガチャをひいてしまったのだ。そうなってしまうと、時間が解決することを待つという選択をするご家庭がほとんどだろう。。

「引っ越せば済む話では?」とお考えの方もいらっしゃるだろう。私の見立てでは、公立と私立のハズレガチャ率は明らか違うし、質というベースラインにも大きな違いがある、と考えている。※個人の意見です。

②子供の成長にとって貴重な時期を中学受験勉強に一色に染めたくない。

私の身の回りでは「小学校4年生から塾に通い、子供は塾先でごはんを食べるから一緒に夕飯が食べれない」という話が嫌でも耳に入ってくる。
人気塾では、4年生から入ろうとしても枠が埋まっていて、2年生から入塾する必要がある、という事もあるらしい。

「小学校ってそんなに勉強しないといけないの・・?」

私の娘は運動が得意という訳ではない。勉強も頭ひとつ抜けることもなさそう。だが、歌や、絵を描いたり、何かをつくったりすることが好きで、保育園から毎日作品を持って帰ってくる。極力娘の得意なことや好きなことを伸ばしてあげたいと考えているため、塾に通い詰めになってしまうのは何か違和感を強く感じてしまう。

③子供の将来の選択肢を増やしたい。

私も妻もあまり裕福な家庭ではなかったという共通背景があり、自分の子供には、本当に望む学校や世界があったら絶対行かせてあげたいし、いろんなものに触れて、将来の可能性は無限であることを伝えたい。

私立小学校は1年生から外国語の授業があるところが本当に多いし、面白い授業が豊富だ。(もちろん勉強勉強の学校も多いが・・)楽器も潤沢に揃っていて、好きな楽器を選んで演奏できるらしい。鍵盤ハーモニカじゃない以外の選択肢があるのだから驚きだ。

これらの背景や想いから、妻からも"お受験”という手段を勝ち取ることができた私であった。

お受験を決めたら何から始める?

お受験を決めたら「お教室」に通うことが初めの一歩だ。素人ながらに私立の小学校情報をリサーチしようとしても、まさにブラックボックス、全然情報がでてこない。どんな学校が存在して、そこはどんな特徴で、どんな準備が必要で、そもそも試験はいつで、いくらなのか、など、本当に何もわからないのだ。

とにかく、アドバイザーが必要だ。

私たちがお教室に通い出したのは年中の2月の初めだ。相場としてはかなり遅い。神奈川の受験が10月、東京都が11月上旬、国立が11月下旬から12月にかけて試験が行われる。お教室に通い始めるのは、年中の11月がよい、とされていて、つまり約1年間準備に時間をとるのだ。早慶を目指すようないわゆる"ガチ勢"は、年少から通わせているケースもあるようだが。。

時間もなかったので、幼なじみの男の子が通っているお教室を紹介してもらって入塾した。振り返ってみると「お教室選び」は本当に重要だ。そこで全てが決まると言っても過言ではな。なぜなら「お教室」にはそれぞれ、パイプが太い学校が存在する。パイプが太い学校であれば、校長先生を直接お教室にお招きし講演会を開いたり、受験の前に塾長から直接小学校の先生に推薦する機会を設けることができる。

通わせたい学校が既に決まっている場合、その学校に対して太いパイプがある「お教室」に通わせることがとても重要だ。

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最後まで慣れなかった「お受験」の不思議

お受験をするのであれば「郷に入りては郷にならえ」という言葉を忘れてはならない。「え?なんで?」ということが日常茶飯事だ。納得はできないが、自分の心を優先し、子供を泣かせても意味がないので、目をつむってきた。他のご家庭もそうだと信じたい。

①戦闘服が紺色と決まっている。

とにかく紺色。紺色が正義である。お教室にお送りの場合でも、学校の説明会でも、講演会でも、紺色を纏ってない家族は、マジで浮くのでご注意を。

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引用:https://www.mistore.jp/shopping/feature/baby_kids_f3/mensetsu_bk

②季節の勉強をめっちゃする。本当に本番のテストで出たのかは未確認だが、とにかく季節の勉強をする。子供と遊ぶときも「季節カード」。娘とお風呂に入っても「季節ポスター」で問題を出し合って遊びながら学ぶのが慣習。そのうち、外を子供と外を散歩していると、「あ、見て!菜の花だ!春だねー」なんて季節の会話をめちゃくちゃするようになる。

③「お礼状」「願書」「身上書」など書かねばならない物がやたら多い

まず「願書」だが、お受験されるご家庭は絶対通る道だ。願書を書く上で重要なことは「スペースを空けてはならない」だ。本当にびっちびちに書かないとならない。願書をコピーして何度も何度も練習する。願書は複数もらえる(買える)学校もあるが、1部しかもらえない学校もあり、書き損じができないのだ。

次に「お礼状」。お受験パパ・ママは、何度も何度も志望する学校に足繁く通う。学校側としては、"本当にうちにきたいのか?"という尺度を測る物差しとして、頻度を指標に置いているらしい(学校によっても方針は様々)。お教室主催の講演会に参加した場合、我が家庭をアピールするために、感銘した内容などを纏めて手紙を送るのだ。

本当に読まれているのか、ポイントになっているのかは不明だ。

第1志望に見向きもされない悲しい現実

平均すると3−4校受験するご家庭が多い、受験日も様々で、皆戦略的に受験する学校を選んでいく。当時私達は第1志望の学校に惚れ込んでいて、何度も学校に通ったし、お手紙も多く認めた。私は器用でないため、他のご家庭のように複数校バランスとって受験することが難しいと判断し、2校のみとした。第2志望の学校は、1度学園祭に参加させて頂いただけで雰囲気はとても気に入ってたが、第1志望の学校への熱が強すぎてほぼ単願。こんだけやってるんだから、第1志望で受かるだろうと心のどこかで甘い考えがあった。

私たちの第1志望の学校は、11/1に1次試験、11/2に2次試験、11/3に3次試験と3回受けることができて、その当日の夜にWEBで結果が発表されるため、受験者はタイムリーに結果を把握することができた。

まさかの3日間全て不合格という結果だった。
そんなことあります?
絶望の淵だわ。

私も妻もあからさまに落ち込んでいて、家はお葬式モード。脱力して動けないという経験は人生で初めてだった。力が入らないからぼーっと「どこか田舎に引っ越すかー」なんて現実逃避をしていた。

急に娘が「もっと試験頑張りたい。私、あの学校の方がすき」と第2志望の学校のことを話してきた。第2志望の学校は生徒の女の子達が本当に親切でやさしい人ばかりで、娘にもとてもよくしてくれた。娘もこんな人たちみたいになりたいと思っていたようだ。

最後までやってみるか・・。

翌日の11/4、第2志望の試験を受けた。面接は10月に済んでいたので、娘のペーパーと行動観察の試験のみだった。倍率がとても高かったので私と妻は諦めモードであったが、なんとかご縁を頂くことができた。

あんなに娘を誇りに思ったことはなかった。

辛かった"お受験"を振り替えって

お受験には、親の執念が絶対必要能力だ。勉強をしたがらない子供に毎日勉強を促すのは本当に辛く心が折れそうになる。何のために勉強させているのかわからなくなり、実際私は途中何度もやめようと考えた。並大抵の精神力では最後まで続けることは難しい。

そうまでしてお受験当日を迎えても定員割れの学校なんてほとんどないので、ご縁を頂けない家族も残酷ながら多く存在する。子供自身も当時の頭がおかしくなっている家族の様子や、試験で落ちたことを、成人してからも記憶に残すケースも多い。

お受験という選択肢が正解だったのかは全くわからない。道半ばだ。ただ「子供の将来について思考放棄しなくてよかった」という想いは強くある。多くの方がそうであろうが、私たちは毎日を過ごすだけで精一杯。そのため、私も公立の学校に通わせて後は子供の自主性に任せよう、というスタンスを維持していたのではないかと思う。妻に子供の将来について考えるきっかけをもらえて感謝している。

なんとかダサいなりに、エスカレーター式に高校まで通えるレールは用意することはできた。このレールの上で娘と妻と小学校になっても夜ご飯を一緒に食べれるといいなと心から思う。一方で、娘が自分の意思で、このレールをぶっ壊してくれることも心から期待している。

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