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駐在妻の迷走アイデンティティクライシス

ベトナム・ハノイからこんにちは!
秋がやってきましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
突然ですが、本日のnoteは私のEdubalアンバサダー卒業記事となります。これまでの帯同生活を振り返りながら少しその経緯をお話したいなと思います。

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海外駐在員の妻になる

25歳で結婚した私は26歳の時には夫の駐在で香港にいました。家族は一緒にいて当然、海外生活への期待、当時就いていた仕事への疲れもあり、未練なく仕事を辞めて香港へ帯同しました。初めは旅行気分で楽しんでいた私。しかし段々と感じ始めたのが自分の存在が「影」となってしまった感覚でした。帯同家族として「ついてきた人」…。今でも覚えているのが、当時、夫の友人に自己紹介をする際「この人の妻です」と自分を紹介していました。仕事なし、友達なし、やりたいこと探しの毎日…習い事をしたり、ボランティア活動をしたり、資格の勉強をしたり、自分の存在意義を探るような日々を過ごしていました。

子どもの誕生

香港生活3年目に長女が生まれました。なんだかホッとしたのは子どもによって「自分がここにいる価値」を見出せたからかもしれません。赤ちゃんとの生活は忙しく、母親同士の新しい繋がりもできました。「ナニモノ」でもなくなってしまっていた私に「母親」というラベルと、この子を一生懸命育てなければならないという存在意義が与えられたことは大きな安心でした。

しかし、その後、アメリカ・サンフランシスコに引っ越し、次女が生まれるとなんだかうまくいかなくなってきたのです。いつも何かにイライラしているような…。

こちらの期待をことごとく裏切ってくる2歳児と新生児との生活。
友達はいても結局は孤独な子育て。
自分のことは後回しで常に振り回されている感覚。
さらには、経済的に頼らざるを得ない窮屈さ。

「母親」というラベルと存在意義が与えられたと思ったら今度は「個としての人生」が奪われてしまったような感覚に陥り、それが腹の中でグツグツとしながら、苛立ちやモヤモヤとなり子育てがうまくいかなくなっていたように思います。

コーチングとの出会いと取り戻した「自分の人生の手綱」

そんな人生と子育てのつまづきの果てに出会ったのが子育てコーチングでした。自分ととことん対峙し、「コーチングのノウハウ」と「自分のあり方」、その両輪を深めながら子育てをしていくことで少しずつ良い方向へ向かっていきました。その時既にシアトルに移動していた私たち。そんな私の変容を近くで見ていた仲間が、子育てコーチングを教えてほしいと言ってくれたのをきっかけに、学びを体系化し、ワークショップや小さなクラスを開催するようになりました。そして、学びながら一緒に子育てをしていくコミュニティを発足させたのです。そうして家庭外の人へ価値を提供し喜んでもらう中で「自分の個としての人生」、「自分の人生の手綱」を取り戻した感覚を覚えたのでした。

家庭外での活躍

そんな子育てコーチングの活動が少しずつ成長し、ベトナムに来てから有難いことに「一緒に仕事をやろう」というお声がけをいただくようになりました。十数年前、夫の影となり「ナニモノ」でもなくなってしまった自分が「母親」になり、子育てのつまづきを経て、社会に認めてもらえるようになった…そんな嬉しい気持ちでいっぱいになりました。その時声をかけてもらった一つが今ここにいる「Edubalアンバサダーとしての活動」だったのです。その他にもさまざまなプロジェクトに参加させてもらったり、学校のコミュニティ活動にも積極的に参加しながら家庭外に活躍の場を見出し、充実した日々でした。そして私の生活は段々と「山積み」の毎日へと変貌していったのです。

家庭への皺寄せ

色々な仕事や活動をし、とても楽しい日々でした。そして下のような構図が自分の中でできていました。

様々なことを忙しくやっている自分=充実=GREAT

しかしこの構図に歪みが出てきてしまったのはちょうど1年位前からでしょうか。様々なことをやることで、どれもこれも中途半端なパッションで取り組んでしまっている自分に気がつきました。そして生活が散漫になり、家で携帯を見る時間も増え、子供たちの忘れ物が増えたり、ご飯も適当になったり、必要なもの(トイレットペーパーや洗剤、牛乳etc)をいつも切らしていたりして、家庭に皺寄せがきていたのです。外へ外へとベクトルを向けて活躍の場を求めてきたことによって、一番大切な家庭を蔑ろにしてしまったのでしょうか…自己嫌悪に陥りました。

問いながら存在証明をしていく

帯同を始めてから、家庭のことばかりになると外へ向きたくなり、外に向きすぎると家庭が疎かになる…この綱引きのような抗争をずっと続けているような気がします。バランスを取ったりバウンダリー(境界線)を作るのが苦手で、常に「私の生きる道」を問い続けているように思います。そんな自分に嫌気がさすこともしばしば…しかしそんな時この言葉を思い出します。

“物事に疑問を持つのは、自分が生きるそのままの現実に出会うことであり、言わば、自分の「存在証明」である。私たちは問うことではじめて、自分の人生を生きることができるのだ。”

問うとはどういうことか~人間的に生きるための思考のレッスン〜 梶谷真司 (著)

「自分らしい生き方」を常に問い、葛藤することは自分の”存在証明”だとこの言葉は教えてくれます。問い、葛藤し、自分の大切なものや譲れないものを幾度となく確認しながら、迷走するかもしれないけど、でもそれは自分の人生を生きているという証明なんだと。自分の人生を自分らしく作っていく時、その時その時に沸き起こる問いと丁寧に対峙しながら決断し、自分の存在証明をしていけばいい。迷走しているように見えてもきっとそれは螺旋階段のように上に上に進んでいるはず。死ぬまで「ありたい自分」を目指しながら自己形成・存在証明をしていったら良いのですよね。

改めて人生を作り上げていく

そんな私も今年40歳を迎え、帯同生活ももうすぐ15年目に入るところとなりました。座ってふと考えると、迷走しながら散漫な生活を送ってしまっているけど、それでも健康で、近くで大事な人が笑っていてくれて、本当に幸せだなと思います。

しかし、この散漫で、大事なものを丁寧に大切にする余裕を失い、中途半端なパッションで様々なことに取り組む「山積み」の生活を一度リセットすることにしてみました。「駐在員の夫の影」「子育てに翻弄する母親」となり自分の人生を見失い、活躍の場を外へ見出そうとしすぎて大切な家庭のことを疎かにしてしまった自分…全部まるっと抱きしめて、一度手放せるものを手放し、「改めて自分が本当に大事なことを丁寧に大事にする!」「自分の心が燃えることを心を込めてやる!」そんな生き方を今一度目指してみたいと思うのです。

なので、このnoteが私のEDUBALアンバサダーとしての最後の記事となりました。コミュニティメンバーの皆様やEDUBALアンバサダーの仲間には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これまで本当にありがとうございました!私の駐妻迷走生活はまだ続くかもしれません。でも同じように葛藤しながら生きている駐在ファミリーがきっとどこかの国にもいるかもしれない…と思いを馳せながら、前を向いて進んで行きたいなと思います。


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