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【アメリカ駐在】帯同1年目がハードだった娘の「ミドルスクールの成績表」

こんにちは、EDUBALアンバサダー小川のぞみです。私には3歳差で帰国高校受験を経験した第一子長女と、帰国中学受験を経験した第二子長男がいます。
私が綴るnote第二弾は、再び「つぶやき」コーナーへの投稿で、息子に続き娘バージョンで書きたいと思います。小学校高学年という多感な時期に渡米した「娘のアメリカ現地校エピソード」、どうぞお付き合いください。

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小5の冬、アメリカ現地校に編入したと思ったら、すぐに卒業した娘

娘は小5(11歳)の1月に、私と小2(8歳)の弟とともに渡米し、その月末にアメリカの現地校のフィフスグレード(日本と同じく小5)として編入しました。娘にとっては、カリフォルニア州のシリコンバレーエリアに住み、近所の小学校へ通学するという新たな人生の始まりです。

思い返せば、小学校最終学年の5年生(アメリカでは6年生から中学生になります)に編入してすぐ、2月にはウィンターブレイク(冬休み)、4月にはスプリングブレイク(春休み)、そして6月初旬にはエレメンタリースクールの卒業を迎えたのでした。
渡米したと思ったら、あっという間に小学生ではなくなったんです(汗)。

校庭で行われた娘のエレメンタリースクール卒業のセレモニー

現地校に慣れる間もない感じで、実質的にトータルで数ヶ月の登校日数だったと思いますが、娘のアメリカの印象は学校を通して上々でした。明るく朗らかな担任の先生のおかげで。
英語ができない娘のためにGoogle翻訳でコミュニケーションを取ってくれたり、避難訓練の日の態度が特に素晴らしかったからと「ノーホームワーク(宿題しなくてOK)のご褒美カード」をくれたり……。

「もうすぐタレントショー(家族が観賞する発表会みたいなイベント)があるんだけど、編入したばかりだから見学でもいいよって話したら、娘さん舞台に立つって! 勇気があって偉いですね」と私に娘の前で話してくれたこともありました。この記事の最初の写真は、その日のものです。緊張しながら参加している姿に感動した思い出があります。

幸運なことに、そんな感じのステキな先生のクラスだったので、慣れない環境で慣れない英語の世界だけれど、「娘が学校を、アメリカを、嫌いになることはなさそうだ」と心底安心したのを覚えています。

渡米半年ほどで入学したミドルスクールの成績は言わずもがな

エレメンタリースクールの少々の経験で飛躍的に英語力が伸びるわけもなく。2カ月ちょっとの夏休みが終わり、渡米した年の8月にミドルスクール生になった娘はちょっぴり不安そうでした。エレメンタリースクールで「アメリカの学校ってこういう感じ」とワンクッションあったのは良かったのですが……。

ミドルは、エレメンタリーとはガラッと雰囲気が違いました。それは入学前のガイダンスの段階でも、感じ取ることができました。「遅刻、ホームワークの未提出、低い成績を取るということがないよう気を付けていく段階なのが中学生。ハイスクールに向けてです」というような説明があったんです。ネイティブと思われるご家庭でも、不安そうな親子がいたぐらいです。

娘が通っていたミドルスクール前の交差点

しかも学校に日本の駐在ファミリーはおらず、日本語が話せるハーフの子が1人、日系人が数人という環境。シリコンバレーには日本人が数十人程度いる学校がありますが、うちは郊外のため少なかったんです……こう振り返ると、我が子ながら、いかにも大変そうな状況です(苦笑)。

しかしながらエレメンタリーとは違い、ミドルではランゲージアーツ(国語)とソーシャルステディ(社会)だけは非ネイティブの生徒を集めた授業が用意されていました。そこで韓国、中国、タイ、トルコ、コロンビアなどにルーツを持つ友達が娘にできたのは幸いでした。お互いネイティブではないので、つたない英語でも気心が知れるようでした。
ただ、そういった授業はその2科目だけでしたので、マス(数学)、サイエンス(理科)、P.E(体育)などはネイティブと一緒のクラスでした。

そんな中、ある日、成績表が郵送されてきました。そこにはA+、A、A-といった最上級の成績が1個ぐらいあったような記憶がありますが、Bはもちろん、CやDなどがメインでした。C以下がある生徒は要コンタクト、とも書かれていました。

急いで先生方にメールをすると(確か2教科でした)、1週間以内に面談となりました。学校に出向くと、「提出されていない宿題が多いので、このような成績になっています」と言われました。
夫が「今年日本から来たばかりなので、何が宿題か分からないことが多いようなんです。どうするべきでしょうか?」と聞きました。英語が堪能でない上、教科ごとに教室が変わるミドルでは、宿題について尋ねることができる友達がいない場合もあったようでした。

「なるほど、そうなんですね。大丈夫ですよ。今までの分は、明日から取りかかって徐々に提出してくれれば。こちらもこれからは、宿題をホワイトボードに書くようにしますね」と言ってくれました。宿題をメモして娘に渡してくれることもあったようです。
「授業後に質問してくれてもいいし、メールなどで分からないことは聞いてね」とも(そもそもそれがハードルが高いのですが)。しかしながら先生方のそういった言動は、ちょうどいい具合のヘルプだと感じました。特別視して過剰なサポートはできない&本人の努力が必要ですよ、とでもいうような塩梅。

とにかく良かったのは、親子3人で面談に挑み、どうすれば成績を挽回できるかが分かって娘が安心したことでしたーー私と夫が反省した瞬間でもありました。
1年目は成績なんかとれないのが当たり前だから、ミドルに慣れるだけでOKと考えていたんです。でも、娘も同じ気持ちとは限りませんよね。ミドルはエレメンタリーより格段に成績を重視する雰囲気でしたから、本人は感じるものがあったのでしょう。

こうして現地校1年目の娘を思い出すと、頑張って明るくふるまい、できるだけ楽しく過ごしながら追いついていこうという、いじらしさに改めて気づかされます。
機会があれば娘の後日談、ミドルのバックトゥスクール(保護者向けの次年度説明や懇親会のようなもの)で先生に呼び止められて褒められたエピソードなど、這い上がりっぷりも書きたいと思います。
また、2年目以降は成績が劇的に改善してオールAだったことは、娘の名誉のために最後に記しておきます(笑)。