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帰国子女と英語のちょうど良い関係~英語はツール

こんにちは、アンバサダーの葉子です。今回は帰国子女と英語について、完全に私見ですが書いてみました。

私も子供たちもアメリカからの帰国子女なので「英語」となっていますが、必要に応じて別の言語に置き換えて読んでもらえたらと思います。

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英語が上手くなりたい!

 私が初めて渡米したのは小学5年生のときでした。当時の英語力は、ローマ字で自分の名前を書けるくらい。あとは現地校に入る前に母から簡単な単語や表現――dog, cat, desk, can I go to the bathroom(←最重要!)――を教わった程度で、突然かかってきた電話に ”I can’t speak English.” と対応する母に「英語で喋っている、すごい!」と感動するレベルでした。

私の初めての英語の先生は母だったんですね(画像は関係ありません)

 なので、現地校に入って半年、1年……と経つうちに英語がメキメキと上達すると、嬉しくてたまりませんでした。すぐに母を追い抜き、6学年下の妹はさておき年子の弟はライバルのようで、もっともっと英語を上達させたい! という気持ちがずっとありました。

 とくに印象に残っているのが、週に1度のスペリングテストで初めて満点をとり、担任の先生やクラスの子たちが喜んでくれたこと。2人1組でラジオ番組を作るという課題で担当箇所に出てきた単語の発音を間違い、パートナーに笑われたこと。発音を改善するべく部屋でカセットテープに適当な英文を吹き込み、聞き直して気になったところをやり直して(をひたすら繰り返す)……密かに頑張っていたこと。その甲斐あって、「アクセントがないからアメリカ生まれだと思っていた」と言われてものすごく嬉しかったこと。

 振り返ると、当時の私の最大の目標は、現地の人と遜色のない英語力を身につけることになっていたと思います。

英語ができるだけじゃダメ

 
 ところが、大人になるにつれ気づいたことがありました。それは、英語ができるだけでは何にもならない、ということです。英検の高い級はとったし、TOEFLやTOEICでも高得点をとった。ネイティブの人たちと何不自由なく話せる。でも、それだけ。日本人が日本語を使えるように、英語圏の人なら誰でも英語を使えるわけで、結局は英語で何をするかが大事だったのです。

 私の場合は夫の帯同で再度渡米したので、そのときは英語が大いに役立ちました。ですが、そんなふうに英語圏でまた生活するということでもなければ、私は単なる英語が得意な日本人でしかありません。これは、中3の冬に帰国してから30代に入って再度渡米するまで、常に自分の中にあったモヤモヤでした。現在は英語を使った仕事をしているので、そうした葛藤はありませんが、2度目の渡米前は「このままずっと日本で英語を使わずに死んでいくのかな」と考えることがあり、英語がいつのまにか自分のアイデンティティになっていたのだと思います。

 ですが、英語は1つのツールに過ぎません。大切なのは使い道です。私は「英語が上手くなる」ことにフォーカスし過ぎていた結果、肝心な中身が伴わないまま大人になってしまっていたのです。

英語がアイデンティティになることのリスク

 帰国子女にとって、英語は突然放り込まれた環境の中で生き抜くための、ツラい・苦しい経験を重ね、何度も心が折れそうになりながら必死で身につけた自分を守るための大切な武器です。なので、帰国して英語力がだんだんと低下してくると、自分が不完全になっていくかのような不安や焦りを感じる帰国子女も少なくないように思います。

 一切の戸惑いも苦労もなく日本に馴染む子はいません。すんなり馴染んでいるように見えたとしても、密かにいろいろな葛藤を抱えていたり、数ヶ月や数年経ってから問題が表面化することもあると思います。


英語はツールだと理解する

 では、どうすれば良いのか? 大人になった今、英語はツールだと割り切れば少しはマシになるのではないか、と私は思っています。海外生活中は(日々の暮らしに精一杯で)そう考えられなくても、帰国後、もし子供が英語力が落ちてきていることを思い悩んでいる様子があれば、それが普通であり、また本気で英語をやりたくなったときに頑張ればすぐ戻ってくるから大丈夫、と伝えてあげてほしいです。

 その上で、英検の準1級・1級なり、TOEFL・TOEICの高得点は受験や将来におけるツールになるし、グローバル化が進む今、どの職業に就いても思わぬかたちで英語が役に立つことがあるはずなので、そういった明確な目的意識(英語の使い道)を持って英語と付き合っていくのが良いと思います。

まとめ

 せっかく身につけたのにもったいないから英語力アップ・保持に励むのではなく、目的を明確にすることができれば、一度でも自転車に乗れるようになれば何年かブランクがあってもまた乗れるように、必要なときにまた頑張れたり、不必要に囚われたりせずに、英語との健全な関係を築けるような気がします。