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親子国内留学ー5月の気づき(学校編)

2022年4月より、自宅から1700キロも離れたとある場所で親子国内留学をスタートさせ、娘は市街地のマンモス校から全校生徒20人にも満たない超小規模校・複式学級へ転入した。

留学後の変化や成長、学校の様子など、今都会にいて国内留学を検討している方への一つの参考例となれば嬉しい。


2ヶ月が過ぎ、良い変化だと思われる効果が出てきた。

それは、まず挨拶ができるようになったこと。高学年にもなって今更恥ずかしいが、前の学校では地域の方がボランティアで見守りしてくれていても、向こうから挨拶をしてくれても、通学班のまま無表情で通り過ぎるような児童がわが娘を含めほとんどだった。

「なぜ挨拶できないんだろう。。。」「なぜ無視してそのまま通り過ぎられるんだろう。。。」と不思議だった。どんなに私が見本になって明るく挨拶する姿を見せても、「失礼だよ、ちゃんと返事をかえそうね」と言っても何の改善も見られなかった。だまって通り過ぎるのが「ふつう」のカルチャーだったから。

でもここでは、子どもが近所の人はもちろん郵便屋さんや知らない人に対しても挨拶することが当たり前になっている。自転車で通り過ぎる中学生でも、見ず知らずの私たちにさわやかに挨拶していってくれる。恥ずかしがったり、声が小さかったりという子はまずいない。うちの娘も2ヶ月を経て徐々にこちらの「ふつう」に染まっていき、もう今は何も言わなくても勝手に挨拶するようになった。

今思うに、人が多い集団のなかにいると、良い意味でも悪い意味でも一人一人の存在が薄く、簡単に背景の一部になりすますことができるんだろう。

やってもやらなくても、結果は変わらない・・・みたいな。でも人が少ないと、1対1の人間関係は一気に増える。名前で呼ばれて、目を見て話をされる事が否が応でも標準になってくる。

そうすると、今まで背景になっていれば済んでいたことが、済まなくなってくる。自分ごととして関与しないといけなくなってくる。

「私」に向けての問いかけ、「私」に向けての挨拶など。挨拶は一つの例に過ぎないが、今周りで起きていることを自分事として捉えられること、自分のことを影響力をもった1人の存在だと認められることは、今後外の世界へ子どもが巣立っていく上で非常に大切な資質だし経験だと思う。

次に積極性だ。これもまだ芽がでてきたばかりと言えるが、小さな学校に来てから気づいた変化だ。特に高学年の場合は、学校運営のなかで色々な役割を任される。どんなに頼りなくても、他に代わりはいないのだから、先生たちから頼りにされ、下級生からも頼りにされる。心理学の世界でピグマリオン効果というものがある。まわりからの期待値が高いと、そこに到達するようにと子どもの行動パフォーマンスが自然とあがっていくと実験結果だ。まさしくこの現象が起こっていると思う。

大きな学校の場合、もともと出来る子にしかチャンスは与えれない。学級委員、生徒会、リレーの選手、学校代表・・・。秀でていない子には土俵にたって挑戦してみるチャンスすら与えられない。どうりで無気力で無感動になっていくはずだ。どうりで自己肯定感の低い子どもが多数生まれるはずだ。


できるからやれるのではなく

できなくてもやらないといけないからやる

やるからやれるようになる。



積極性の成長をを裏付けるエピソードは他にもある。

うちの娘は、先日図工で描いたポスターを学年代表として選ばれコンテストに出してもらった。娘は図工は2しか取ったことがない。これまで学年代表なんてどの分野でも選ばれた事がなかった。親から見ると、でも同級生4人のなかの代表でしょう?と苦笑いしたくもなったが、本人はとても得意げだった。

私は気づいた。4人の中の一番でも、40人の中の一番でも「一番の価値」は子どもにとって変わらないのだと。「一番は一番なんだ」と。

当然規模が違うのだから、この学校での1番や代表は、大きな学校の代表には比も及ばないだろう。でもここで本当に意味があるのは、能力の高さ(結果)ではなくて、子どもが成功体験をたくさん積んで、自分の力や存在価値を信じられるようになるという「過程」なんだと思う。

小さい学校では、小さな成功体験を積める機会がごろごろしている。ダイヤの原石に刺激を与えて磨いてもらえるチャンスが毎日のようにある。自信のもてない子供には、相対的に自信のもてる環境へ連れてきてあげること。たったそんなことで人間は変わるんだ。

それに気づいたとき、本当にここにきてよかったと思った。あのまま大きな学校で空気みたいになりながら、ただ指示されたことだけを、平社員のようにこなすような子供時代を送らせなくて本当によかったと思った。

先日は、学校総会で板書係をさせてもらったらしい。学校総会は全児童が参加。高学年は当然のごとく何らかの役割を任される。そんな板書係や司会係は、前の学校では学級委員か代表委員しかやれなかったと言う。

娘は、話し合いを記録する板書係は難しかったけど、先生に教えてもらえて何とかできた、今度は1人でもやりたい。司会もやってみたいと日記に書いていた。

一度自信をつけた人間は、積極性を発揮してどんどん人生を好転させていくのかもしれない。そんなことをふと思った。自分なんて・・・という考えは、自分の成長も可能性も自らやすやすと手放していくようなものだ。でもそんな認識が本人からではなくて、今いる環境でつくられているとしたら・・・?!

私は公教育に疑問をもってから、ホームスクーリングも検討してきた。でも今小規模校での学びを見ていると、これこそが家庭ではなくて学校という集団のなかで学ぶ最大のメリットなんだと感じる。

まだまだ始まったばかり。
彼女の変化を引き続き追っていきたい。

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