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そのしっぽを捕まえろ!〜「子供に教える」を考える

「◯◯くんがお勉強しないから泣いちゃったんだよ」

保育園からの帰り道、息子が珍しく園でのことを話し出しました。
(普段あんまり話さないんだよね。お友達の名前とかもあんまり出てこないし)

ふーん、そーなんだー。
よくわからないけど泣いちゃったお友達がいるのねー。
そーゆー時もあるよねー。

私もぼけーっと聞いてたのですぐに忘れちゃったんですが、翌日事情が飲み込めました。

お迎えの時間にある男の子のママが少し険しい顔つきで先生と何やら話しています。
横を通り過ぎようとしたら、

「うちの子が☐☐君と△△ちゃんにお勉強しないとダメなんだよって言われたって、家で泣いてたんですけど‥」

と聞こえてきました。
先生は「うーん、特に喧嘩してた様子はなかったんですけど、、」と少し困惑気味。
あー、昨日息子が言ってたのはこれか。
まだ4歳とかなのに、こーやって人間関係が複雑になっていくのか。
現代っ子って感じだなぁ。

年中さんともなると、各ご家庭で習い事をさせたり色々あるのでしょう。
うちもピアノしてますし。
お家でお父さんお母さんが「お勉強しないとダメよ」なんて何気なく(案外真剣に)言った言葉を保育園で何気なく使っちゃうのかな。
それを言われて気にして泣いちゃう子もいるのか。
うちの息子だったら…、
いや、この人別になんともないわ。
そもそも人にあんまり関心ないしな。(Super Dry)

でもな、◯◯君、おばちゃんは知ってるゾ。◯◯君だって毎日いーっぱいお勉強してるよな!お家でも保育園でも毎日新しい事だらけだもんな!だから泣かなくたっていいんだゾ!


教えたがりのお節介

こんなご時世ですから、子供には何か一つでも多く武器を持たせてやりたい。鎧兜も着せてやりたい。そう思う親御さんは多いと思います。
私だってそうです。そう思って毎日ピアノの練習をさせてます。
ただ私の場合、どうも学校とか、公教育に対して「くだんねー」と思っちゃうフシがありまして(教師からすればクソ可愛くない生徒だったと思います)所謂「お勉強」みたいな事は気乗りしないんですよね。
勉強が嫌だったというよりは、むしろ純粋に面白がっていただけなのに水を差されるのが不愉快というか。内申点がどうのとか言われるととたんに「だりぃ…」って感じになってしまう。
だから息子にも学校は読み書きそろばんだけ教えてくれりゃあええわ、くらいに思ってんですよ。
じゃあ、かといって学ぶことに関してやらせる気がないかと言われればそんな事もなくて。(毎週noteに書いてるくらいなので)

小学生の頃、私がなりたかったのは「恐竜博士」でした。
図書室の恐竜図鑑を眺めて一人で楽しんでればいいものを、わざわざ友達を引っ張ってきて「これはアンキロサウルス。そっちはティモルフォドン」とかいってわざわざ教えてあげるんです。
しばらくすると友達はどっか行っちゃうんですが(そらそうだ)
私の胸の内は「今日もいっぱい教えてあげたぞ!」という想いで満たされていました。
仕事でフィットネスジムのインストラクターをやってた時もあれやこれや自分の持ってる知識を伝えて喜んでもらえるのが嬉しかった。

こんなママが家にいるわけですよ。
まして一人息子、あれもこれも教えてやりたい気持ちは人一倍どころか十倍くらいあるわけです。


子供の頭のなかで起きているのは

子供に何かを教える時に、大人が教え込もうとするのはよくないようです。
親が何もしなくても彼らは毎日膨大な量の新しい情報を吸収して生きています。
それはもう砂漠で水を飲むように。
そこへ無理やりこちらが教えたいことをねじ込もうとすると
どうやら“流れ”みたいなものが乱れたり、滞ったりするようです。
彼らは大人と違い体系的に学習しているわけではないので、手当たり次第ランダムに情報を入力し


AとBは似てる
BとCは似てる
AとCは似てない
DとEは似てる
EとFは似てない
AとFは似てる

といったかんじで分類と統合を繰り返し、その小さな脳で膨大な量の演算を毎日毎日処理しているように見えます。(そりゃお腹も空くよね)
一見非効率に見えますがこういったやり方の方がまっさらな脳に何かを覚えさせるのには良いのでしょう。
しかも人間の脳は外から入力された情報を指示通りではない形でネットワーク化する。それを間違いとするか、発見とするか。
いずれにしても「超」スーパーコンピューターですよ、これは。
毎日有機的に進化する子供の脳。
これがAIにできるか?

絶対にできません。
人間がAIになる(のように振る舞う)ことはできるでしょうが、
AIが人間になることはできません。
AIは無機物だからです。

話がそれました。
つまり、子供に何かを教えたいのであれば
子供の脳が飲み込んでいく情報に織り込めばいいのです。


教えたいことではなく、教えられること全部

何か子供に教えたいと思った時に、子供の興味関心を向けさせるために誘導したり、その機会をうかがって待ってみたりとなると、かなり面倒だし大変です。途中で親の方が嫌になっちゃうと思います。
なので、教えたいことを決めて教えるのではなく、「あ!今だ!」というタイミングを捕らえ、その時教えられることを教えるのがいいように思います。

ひらがなを教えよう、カタカナを教えようとするのではなく、
自分が持ってる教えられるものをいつでも全部教えてあげようと思って生活する。(その中には勿論ひらがなやカタカナも含まれるでしょう)
大人ですから教えられることはいくらでもあるはずです。
子供よりはるかに多くの知識があるのだから、折を見て一つ一つ教えてあげればいい。

子供の見せる“好奇心”という足の速い動物の“しっぽ”を狩る、そんなゲームと思います。


しっぽ狩りの仕方

息子はYouTube大好き。特にマインクラフトの動画や子供向けホラーゲームの実況動画なんかが好き。
そうなるとPCを占領されてしまうこともしばしばあります。(この記事だって息子が寝静まってから書いてる)
そこで思いついたのがPCのPW入力でアルファベットを教えてしまおうというもの。
PC起動時のPW入力を最初に教え、しばらくしたらPWを変更するということを何度か繰り返してるうちにアルファベットを小文字も含め全て覚えてしまいました。
息子は一刻も早くYouTubeが観たいので、いちいちママを呼ぶくらいなら覚えちゃった方が早いんでしょうね。
YouTubeすご。

入力しないとYouTube見れません!

またべつのある日、珍しく息子が静かにしています。
これは絶対何か企んでいる!
そう思ってふっと見やると、ホワイトボード用のペンで冷蔵庫に落書きをしている!(ひぃぃ)
慌てて消そうとすると、これがあっさり簡単に消えました。
おお!冷蔵庫ってホワイトボードだったんか!(たぶんちがう)
息子はニコニコしながら覚えたての数字を、1,2,3…と書いていたので
「ママも書いちゃお~」と言いながら私は漢数字を、一、二、三、四、五と書きました。
息子は「なにそれ~」と言いながらくねくねして真似て書いてくれましたが、四と五は納得がいかなかったようです。

四は線4本じゃないんかい。
五は線5本じゃないんかい。

以前の記事でピアノの練習時に歓喜の歌の詞を息子と読むようになったというお話をしたのですが、その時息子に「それはなに?どういうこと?」と突っ込まれるので、最近は突っ込まれてないことも私の方から教えるようになりました。
子供だからまずは平仮名、次にカタカナ、漢字と教えるのではなく、分かりやすく説明できそうなことは全部教えていきます。一度にいっぱいは難しいですが毎日やってるとそれなりの数になる。
例えば「楽園の園は保育園の園と一緒だよ」とか「歓も喜もどっちもよろこびって読むよ。だから歓喜ってめっちゃよろこんでる感じするねぇ!」とか。

ホワイトボード便利です。小学校にあがったらデカいの買ってやろうかしら。

息子はGoogleアースも好きです。
くるくる地球を回せるのが楽しいんだと思います。
拡大縮小したりストリートビューで遊んだり。
息子が見ている場所を「地球儀ではここだよ。立体地図ではここ」とさしてあげるとふんふんとわかったように聞いています。
あとは少しクイズっぽくしてみます。
シナイ半島のあたりをさして「紅海から地中海に続いているか、いないか、どっちだ?」と聞くと「えーわかんなーい」と返ってくるのでそういう時は「拡大してみ!」というとノリノリで調べてくれます。
「つながってーーーーる!」
と教えてくれる。
そこはスエズ運河ね、運河ってのは人が作った海の道ね。こっちはジブラルタル海峡、これは運河じゃないよ、でもどっちも毎日船がいっぱい通るよ。

こんな風に一つの事柄から芋づる式に広げていくと教えてあげられることが無数に出てきて、こちらも楽しくなります。

押入れの下にPCを置いたら秘密基地っぽくていいんだそうです。

子供の意識を親の意図する方向へ向けさせるより、子供が見ているものを横から補足してやる。
これが好きなら、こんなのもあるよ?
それはこっちにもあるよ。
子供がもともと不思議に思っていたものの周辺を紹介するくらいの感覚がいいように思います。
その場で全てを覚えてしまうわけでは勿論ないですが、彼らの脳の特性を考えれば、意識下には必ず積もっているはずです。

これらはほんの一例で、その時々に応じて違ったやり方でやっています。


知識だけでなく、知恵も

我が家にはAmazonで500円だった中古の広辞苑と同じく中古の漢和辞典があります。なるべくそれを使って調べものをするようにしているのですが、その時に必ず息子に辞書を持ってきてもらいます。
「ちょっと辞書とってー」というと、うんしょうんしょと持ってきてくれる息子に

「わからないことは?」

と聞きます。
そして息子に、

「ひとつひとつ調べる」

と答えさせる。
このやりとりを必ずします。

これからも色んなことを教えてあげたいとは思うけれども、何もかもを息子に教えてあげることは不可能です。
そうなると知識と一緒に知恵も伝えておかないと。
わからないな、なんだろうなと思った時は面倒くさがらずに一つ一つ調べる。そういうもんなんだと今から教えておきたい。
(最近では「はい。ひとつひとつ調べてね」と辞書を手渡されます。「はい。ありがとうございます」といって受け取ります)


狩りに行こうぜ!

こんな風に暮らしていると私自身が勉強になることも多いですし、勉強したくなってきます。
「へー初めて聞いた。今度教えてあげよー!」となるし、いつかはママを超えてもらわないと困るけど、そう簡単に超えられるわけにもかないぞとなってくる。
あと十五年くらいは負けられない!(大人の意地ってもんです)

放っておいても子供は熱心に情報収集しているので、大人があれこれ考える必要はないのでしょうけれど、
私が楽しいのでやっているというのが本当のところです。
息子の好奇心のしっぽを追っかけて、捕まえたり逃げられたり。反対に教えられたり。

今日は日曜日。
よっしゃー、狩ってくる!

この集中力に勝るものはない


(お読みいただきありがとうございました。スキをぽちっとしてくれたら嬉しいです)


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