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大学DXのガバナンスと監査―衰退する日本と監査人の仕事


要約

日本が、世界の中で存在感を失い衰退に向かう中で、日本の私立大学は、今後一層難しい経営局面を迎えることになる。それに伴い、大学の監査人の意義と役割は、大変重要なものになってゆく。ただ、そのことは同時に、監査人が厳しい立場に追い込まれる場面に遭遇することにもなることを意味している。その結果、例えば、大学の監査人が監査上の見解相違を事由に辞任するケースも生まれてくる。こうした場合でも今の制度上は,退任監査人による意見表明の機会が十分に与えられているわけではない。その結果、監査人は、すべてから見捨てられたように見える立場に立たされることがある。
それでも、こういう時にこそ監査人は、その力量を発揮し粘り強く正義と公正を貫かなければならない。

1. VUCAの時代と監査人の業務

Willem van de Velde the Younger: Ships in a Calm Sea

現代は、経済のグローバル化、テクノロジーの劇的な進展、気候変動などによる自然災害によって、Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)を抱えた先の見通せない社会であるとされ、VUCAの時代と呼ばれている。今日では、これに新型コロナウィルスパンデミックが加わることで、我々はさらに先の見通せない社会に生きていることになる。
これに対して、監査業務は常にフォーマルであり続けることを求められており、VUCAの時代における重要な導灯となりうる。しかし、一方では、監査業務がVUCAの中で経営に苦闘する経営との齟齬を生む。大学においては、監査はますます重要な役割を担うことになると言われながら、一方では監査人の苦悩を増大させている。

2. 衰退する日本

2.1 衰退途上国と日本の大学

日本は、「衰退途上国」であるという表現を昨今みかけるようになってきた(日経新聞、朝刊、2022年8月31日)。しかし、日本の衰退は、今日始まったことではない。すでに20世紀の終わりに森嶋通夫は『なぜ日本は没落するか』(岩波書店、1999年)の中で、2050年までの日本を見通し、21世紀において日本は衰退が避けられないことを指摘していた。
森嶋によれば、50年先のこの国の情況は、今の教育を見るとわかると指摘する。大学の卒業生は、30年後の日本の中心的な役割を担うようになり、幼保初等中等教育の生徒達は50年後の日本を支える役割を担うようになるからである。そして、当時の学校教育とりわけ高等教育の日本特有の仕組みを鑑みたとき、日本の大学は、4年間でほぼ卒業できる大学という仕組みによって、長い期間に渡り人々から学ぶ意欲を奪い、無難な人材を輩出し続けてきた。既に1954年には、浅井長二が「トコロテン式」(浅野長二 「大学に対する希望」 工業教育1954 2. 1: 24-28. )とよんで、安易な大学教育に危機感を抱いていたものが、20世紀の終わりになっても改善されることが無かったのである。この情況を森嶋は、「日本には大学はあってもユニバーシティはない」と表現していた。森嶋は、日本の大学がトコロテン式であることは、世界的に見ても特異な性格であることをこの一言に込めたのである。その上で、21世紀になっても日本の高等教育の仕組みがユニバーシティではないトコロテン式の大学のままであれば、2020年には日本は無風状態の国になり、2050年には日本は国として存続できないだろうと予想したのである。残念なことにトコロテン式大学の仕組みは、度々反省されては来たものの、今日においても大きな変化は無い。その意味で、日本を衰退途上国とさせた原因の一端は大学にある。

2.2 日本の未来人材

大学がもたらした日本の衰退途上国としての現実は、2020年5月に公表された経済産業省未来人材会議の取りまとめた「未来人材ビジョン」に見ることができる。ここには経済産業省の危機感が色濃く表れている。
森嶋が存命していたバブル期には世界のトップ企業に多くの日本企業が位置していた。やがて、21世紀を前に世界のトップランキングから日本の企業は姿を消した。
図1はその後の様子を示すために、東証プライム(旧東証一部)全社の時価総額と、Google、 Amazon、 Facebook、 Apple、 Microsoft(GAFAM)の5社だけの合計の時価総額を比較したものである。日本の企業に変わって台頭してきたGAFAMは、2015年に東証一部全社の時価総額の半分に迫るようになり、遂には2020年には時価総額は逆転する。今日では時価総額はGAFAM5社だけで、東証プライム1,836社の総額を大きく上回っている。ここに、森嶋の指摘した2020年における世界の中での日本の凋落を見て取ることができる。
 

図 1GAFAMと東証一部の時価総額推移

 しかも、衰退する日本を支えるはずの人材は、様々な点で世界に見劣りしている。
図2は日本の人材への投資額と勤労者の自己啓発の国際比較を行ったものである。人材への投資はGDP比で他国に大きく見劣りするばかりか、年々縮小する一方で、個々の勤労者の自己啓発に関する意欲も、他国に大きく見劣りしていることが見て取れる。
 

図2 人材投資と自己啓発の国際比較

社会的にみても個々人としてみても日本の社会は学びから逃走しているということができる。その背景には、ロングライフラーニングの習慣を与えることができない日本の大学のトコロテン式教育がある。この課題を20年前の森嶋は鋭く指摘していたのである。加えて、国内の労働者を当てにできないのであれば、海外の労働力を頼りにするという選択肢もあるが、この点を見ても、日本は絶望的である。

図 3国別高度人材魅力度ランキング

図3は、海外に出ようとする高度人材が、どの国に魅力を感じているかのランキングであるが、日本はOECD諸国の中でも、アジア諸国の中では韓国を下回り、ヨーロッパ諸国ではチェコやハンガリーに並んでいる。つまり、高度人材を招聘しようとしても高度人材を呼び寄せることが困難な状況になっていることを意味する。
さらに、高度人材以外の特定活動に区分される技能実習生などの一般労働者においても、近年の円安で著しい低賃金となっており、日本を選択する理由は次第に失われている。
日本の未来人材は、国内の労働者においても海外からの外国人労働者においても希望のない状況が生まれている。

3. DXの意義

Pieter Mulier II: A Ship Wrecked in a Storm off a Rocky Coast

経済産業省は、こうした未来人材の展望に危機感を抱きDX(デジタルトランスフォーメーション)を提唱し、衰退途上国からの日本の脱却を目指そういとする意図が見て取れる。しかも,事態は深刻であり、猶予はないという危機感がある。このため、DXには、「2025年の崖」という期間を限られた目標が設定されている。2025年の崖とは,2025年には、多くの古いシステムが動作しなくなるという事態を指し、経済産業省によれば、その対策に必要なIT人材は、現時点で決定的に不足しているとする。
なお、この2025年の崖には、「昭和100年問題」と呼ばれる問題が含まれている。かつて「西暦2000年問題」が世界中で取り上げられ、多くのシステムが不具合を起こすと騒がれたが、同じ問題が日本の場合には、昭和元年から数えて100年目の2025年に起こりうる。元号で日付を管理する多くのシステムは、平成・令和においても昭和のまま元号を管理し、見かけ上平成や令和に昭和の年号を置き換えている。このため、昭和100年になると二桁管理している年号は桁あふれを起こし、正常な動作ができなくなるのである。
この昭和100年問題は大学も無縁ではない。経理財務システムや人事システム、図書館システムなどに潜んでいると考えられる。保守料の支払いを行っていない、企業や大学ではこの問題に直面する可能性がある。
閑話休題。経済産業省の危機感の根底には人材育成の仕組みの決定的な欠陥があるという認識にあり、経済産業省が掲げるDXには、DXを契機として人材育成の新しい仕組みを政策的に構築したいという思惑がある。人材育成という意味では、文部科学省の政策と重複する部分がありながら、文部科学省の掲げるDXと経済産業省のDXは思惑が根本的に異なる。
文部科学省の意図をみるために、図4にリクルート進学総研が整理した大学におけるDXの概要を示す。

図 4大学のDX

この区分に従えば、「経営DX」は従来のIT化推進の上にあり、「教育DX」と「研究DX」も従来の文部科学省の示す政策の推進という側面が強くでている。ここから、文部科学省の政策は、経済産業省が抱く日本の衰退という危機感とはまた異なる立場にあることがわかる。経済産業省が文部科学省とは別に、「未来の教室」など独自の教育政策を示そうとしているのは、両省の政策的思惑の相違があるためである。

4 レジームシフトへの備えと大学監査人の立場

文部科学省の政策的思惑は、ジェレミー・ブレーデンとロジャー・グッドマンの『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』(‎ 中央公論新社 2021年)から窺い知ることができる。同書によれば、日本の私立大学は、この20年大学少子化という課題をほとんど倒産することもなく乗り越えてきたが、その要因は2つあり、第一は、私立大学経営が同族や同窓などで構成されることにより、理事長の素早い意思決定による経営が実現されていること、第二は、 経営の失敗を救済する文部科学省の護送船団方式の政策が功を奏してきたからとしている。
これからもこの2つの制度を維持することができれば、大学のレジリエンスは、今後とも安泰かもしれない。しかしながら、同族的な経営が日大事件などで見直される一方で、今後、政府として日本の衰退途上国からの脱却を目指すという政策的な動機が、文部科学省の護送船団に対する思惑よりもさらに強く働けば、従来の文部科学省の護送船団方式に支えられてきた私立大学経営は、大きな変化局面を迎える。とりわけ新型コロナウィルスパンデミックによって、日本の財政事情は大きく傷ついている。財政的に余裕を失う中で、大学だけが護送船団方式で守られてゆくという道筋はますます狭いものになっている。
護送船団方式の見直しのような大きな変化局面は、一般に経営環境の二極化(レジームシフト)を生むと考えられている。すなわち、大学経営に成功し大きく飛躍する大学が出現する一方で、急速に衰退してゆく大学が現れる。今後の大学経営は、そうした荒波を乗り越える覚悟が求められることになる。今まで私立大学が経験したことのないような激しい競争の中で大学経営は、内部統制問題などの課題を抱えることになる。
リーマン・ショックに見られたように、レジームシフトの下では、経営に苦しむマネージメントが、内部統制を大きく毀損する行動に出ることがある。同族的な私立大学経営では、そのインパクトはより大きなものになる。その時に監査制度が適正に機能しなければ、組織は致命的な結果を生むことになる。それだけに監査人の役割は重要となってくる。

5 大学監査人の役割

現状の大学の監査人は、リーマン・ショックを経た企業の監査人とは異なる環境にあり、大学監査人の地位は、企業の監査人に比べて十分守られているとは言えない。同族経営をよしとしてきた私立大学においては、かつての企業の監査人がそうであったように、監査人には未だ重要な位置づけを与えられているわけではない。加えて、大学の政策官庁である文部科学省は、一方では監査の重要性を訴えながら、長い間護送船団方式政策を進めてきた背景から,実際には、監査人の立場を理解することに乏しい部分がある。
最近の事例として、国立大学では、大学統合が進められているが、統合のプロセスの中で文部科学省と監査人との間で意見相違があり監査人が辞任するという事態が生ずることがあった。今後、私立大学でも類似の事例が起こるだろう。現行の制度上は、監査人の意見相違に関して、退任監査人の意見表明が十分になされる機会が与えられることはない。企業監査などにおいては、監査人は辞任するにあたっては,任期満了のような無難な辞任理由ではなく,退任監査人の意見表明をすべきだという議論がなされているものの、これを大学の監査人に適用されるようになるまでには時間がかかる。
こうして,監査人は、大学からも政策官庁からもすべてから見捨てられたように見える立場に立たされることがある。しかし、こういう時にこそ、監査人は、監査原則に従った監査人の力量が当然に求められ、粘り強く正義と公正を貫かなければならない。

6. 終わりに

Turner (1775-1851) - The Decline of the Carthaginian Empire

衰退途上国となった日本においては、最近の円安の効果もあり、企業は海外にシフトするか海外の資本に支配されるかしており、若者は、現在は余り大きなトレンドになっていないものの、今後も手若年層の低賃金が続き、経済的動機が強くなれば、日本の低賃金を嫌って海外にわたってゆくトレンドが生まれる。海外から低賃金の日本に頭脳労働者は訪れない。森嶋の予想が正しければ、2050年には、日本は企業も若者もいない、高齢者ばかりが残る社会になっていることになる。
その過程で成功する大学は海外にシフトし、他の大学は、経営困難に陥りながら、国内で次第に衰退してゆく。しかし、大学が経営困難に陥ろうとも、内部統制問題を起こさずに大学は運営され続けなければならず、そのため監査人の監査原則に基づいた監査行動は重要なものとなってくる。周知の通り、監査人は「ISO19011: マネジメントシステム監査のための指針」などにおける監査原則の中で高潔さや公正な報告を求められる一方で、監査人の力量として倫理的であること、決断力があること、粘り強い不屈の精神を持つことなどの要求事項が定められている。これからの大学の監査人は、この監査原則に基づく本当の意味での力量が問われることになる。 


(本稿は,2022年9月13日に行った講演を基に構成した)


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