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思いがけず悪意


 (前回の続き)

統治の倫理が思いがけず悪意ある行動を生み出してしまう。
 
統治の倫理は集団を維持するために必要な行動をリスト化している。だから、国家や軍隊といった大きな集団だけでなく、マフィアやヤクザにも当てはまる。友人や家族といった小さな集団にも通用する倫理だ。

ぼくは集団が苦手である。高校も中退したし、大学にもほとんど通わなかった。会社で働いていたときも、職場の人間関係で苦労した。それぞれが良い人であっても、集団になるとなぜかイヤらしい人間になってしまう。そう思うことがある。

 どちらかといえば、ぼくは左派的な考えを持っている(気になる人はぼくの他の本を読んでほしい)。だから、左派が書いた本をよく読む。しかし、左派という集団になると、やはり苦手なのだった。

 社会問題を解決するために連帯する。ほかの政治的な立場に比べて、左派は集団の持つパワーを重視する。抗議集会やデモをしたり、労働組合や協同組合を結成する。その理屈は十分わかるのだが、やはり集団になると人間のいやらしさが出て、苦手なのだった。

 集団のイヤなところをざっと書き出してみる。 
 
・ボスに逆らえない。年長者や古参メンバーがえらそう。
・下っ端の扱いがひどい。いじめられる。下働きがある。
・集団のための無償労働がある。恒例行事は休めない。
・組織ごとに意味不明な独自ルールがある。組織の改革など新しい試みはつぶされる。
・集団の決定に異を唱えてはいけない。同調圧力がすごい。
・出る杭を打つ。優秀な人の足を引っ張る。
・人間関係がねっちょりしている。陰口がすごい。
・強制的に加入させられるが、脱退は許されない。
・中心メンバーしか知らない情報がある。重要な情報を隠す。秘密主義。
・自分たち以外の集団を敵とみなす。ほかの集団のメンバーと親しくすると裏切り者扱い。
・一度でも裏切り者認定されると、集団から抹殺される。
 
お気づきかもしれないが、これらはすべて「統治の倫理」を裏返したものだ。たとえば、「位階尊重」という倫理は「ボスに逆らってはいけない/下っ端の扱いがひどい」となるわけだ。

まあ、集団のイヤなところをわかりやすく一言で表すと、「特攻隊に行け!」というところだ。お国を守るために未来ある若者を飛行機で軍艦に突っ込ませたように、集団は自分たちを守るために個人の自由を犠牲にしようとする。しかも、その犠牲になるのはしばしば権力を持たない弱きものである、ということだ。もちろん、特攻隊は極端な例だけれど、集団を維持するためにさまざまなかたちで個人の自由を制限しようとする。

 しかし、それ以上の問題なのは、ぼくたちが集団のために行動したいと心から思ってしまうことである。単純に「みんなのためにこうしろ!ああしろ!」と強要されるだけではない。みんなのために犠牲になりたいと自発的に思わせられてしまう。そんな仕組みがぼくたちにはある。
 
「統治の倫理」はぼくたちの脳に刻み込まれているのだ。

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現在執筆中の本の草稿を掲載していきます。 悪意といったテーマになるかな、と。 目標は月2回以上の更新です。また、過去に執筆したエッセイや論…

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