私が村上春樹に出会った日

2012年9月、
私は、それまで名前も聞いたことがなかったヨーロッパのある街にいた。

Fontainebleau
フランス・フォンテーヌブロー。

ブリオという名前の王室狩猟犬が、狩猟の最中に泉を発見したという伝説「ブリオの泉(フォンテーヌ)」が地名の由来と言われている。

この街には、フランスで最も大きい宮殿 Château de Fontainebleau(フォンテーヌブロー城)がある。
周囲にはForet de Fontainebleau(フォンテーヌブローの森)と呼ばれる広大な森があり、11世紀以降は王族の狩猟場として使われていた。
その頃、狩用の別荘としてフォンテーヌブロー城の前身はすでに存在していたが、現在のフォンテーヌブロー城は、1528年に建築されたイタリア・ルネッサンス様式の城が基となっている。

その後も増改築が繰り返され、フォンテーヌブロー城は時代によって姿を変えていく。
室内装飾や彫刻の意匠は、フォンテーヌブロー様式やフォンテーヌブロー派と呼ばれ、フランスのみならずヨーロッパ中北部、ついにはドイツやロンドンにまで影響を与えたそうで、その頃のフランス王室の栄華が想像できる。

フランス王室の客人もこのフォンテーヌブロー城に滞在することが多かったというが、フランス革命時に調度品が売り払われるなどして宮殿は荒廃。
その後皇帝ナポレオンは、フォンテーヌブロー城を自身の権威の象徴にしようとしたが、1814年にはここから流刑地に旅立つこととなった。

そんな、フランスの栄華と衰勢をじっと見守ってきたのが、
フォンテーヌブロー城であり、フォンテーヌブローの街だ。


9月のフォンテーヌブローは暑くも寒くもなく、心地良い気候だった。
半年近く過ごしたリヨン近くの田舎町に別れを告げた私は、フォンテーヌブロー城から500mほど離れた場所にあるケーキ店の2階にいた。

築何年くらいなのだろう。
1DKの小さな部屋は、小綺麗にはしてあるが、柱や床や、ところどころに木の傷みがある。
床は小学校の教室のような板張りで、たまにミシッと足が沈む。
それまで、かつて貴族だか地元の名士だかが住んでいたというお城で暮らしていた私にとっては、フランスで初めての、普通の(?)家での暮らしだ。

こんなものだろう。
可もなく不可もなくといった部屋だが、おしゃれなランプやレトロなタンスに、お店のマダムの心遣いを感じて満足した。

私は翌日から、この建物の地下でパティシエ見習いとして住み込みで研修させてもらうことになっていた。
街の雰囲気も素敵だし、世界的に有名であるこの店のシェフも、奥様で店の事務仕事などをしているらしいマダムもとても優しそうで、新たな生活への期待に心を踊らせていた。


1週間後。
見習い生活の想像以上のハードさに、私はすでに根をあげそうになっていた。

私の勤務時間は、朝5時半から夜7時まで。休みは週2日。
昼過ぎまでパティスリーで働いた後、salon de thé(サロンドテ≒カフェ)でキッチンと接客の仕事がある。

日本の労働環境に比べたら天国というほかないのだが、
私と同時に研修に出発した友人たちは、昼過ぎには仕事を終え、自由時間を謳歌しているという。
労働時間が長めの星付きレストランで研修している友人たちも、お客さんからのチップが嬉しいだとか、月収が結構いいだとか、随分いい暮らしをしているらしい。

どうして私だけがこんなに疲れているのだろう。


叫び出したい気持ちを抑えて、1週間分の洗濯物を抱えてコインランドリーに向かった。
日曜日のフォンテーヌブローは、マルシェ(市場)が開かれ賑わっている。晴れ渡った空の下、フォンテーヌブロー城を横目にチーズやジャムや野菜を買っていると、不思議と心が少しだけ軽くなっていた。


フォンテーヌブローからパリへは、電車で40分程度。
日本で言えば、千葉と東京みたいなものだ。
この店にやってくる日本人研修生は、休日はたいていパリに出かけるものらしい。
しかし生来の出不精である私は、この街に住んだ約半年の間で、パリに出かけたことは10回もなかったように記憶している。
(フォンテーヌブロー城ですら、帰国の数日前になってやっと足を踏み入れたくらいだ。しかもコートの下はパジャマで笑)

研修が始まって最初の休日も、もちろんフォンテーヌブローの片隅の1DKで1日を過ごすことを決め込んでいた。

脱水の甘い重たい洗濯物を干し、マルシェで買ったものを適当に片付けてから、
あまり寝心地がいいとは言えないベッドに寝ころがってみる。

この店の日本人研修生は半年ごとに入れ替わる。
歴代の研修生たちは、この部屋で何をしていたのだろう。

見渡すと、キッチンや部屋のいたるところに、彼女たちが暮らした痕跡が残っている。
使いかけのサラダ油、そば、のり、塩胡椒…。

それらを見ていると、不思議とホッとした気持ちになる。

異国の地でたった一人。
私の知っているあの日本は、本当に今この瞬間、この世界に存在しているのだろうか。そんなふうに考えてしまうくらい、私は遠くに来てしまったのだ。
けれども、彼女たちの残した暮らしの跡を眺めていると、
私と同じように、この部屋で1人暮らした20歳の女の子がいたことがわかって、すごく安心する。

私は彼女たちの痕跡をもう少し探してみようと、部屋の片隅にある古びたタンスに目をやった。
1段目には、私が日本から持ってきた化粧水やら薬やら歯ブラシやらが無造作に詰まっている。
この部屋の収納は、ここしかないからだ。

2段目より下は初日に開けようとしてみたが、あまりにも固くて開かず、そのままにしていた。

もう一度試してみよう。
取っ手に手をかけて、右、左、右、左と小刻みに揺さぶってみると、少しずつではあるが、引き出しが開いていくような感覚がある。

しばらく格闘してやっと、2段目の引き出しと一番下の扉を開くことに成功した。

中身は便箋や封筒や折り紙ばかりだった。
彼女たちは、ここで家族や友人に手紙を書いたのだろうか。
日本を思って折り紙をしたのだろうか。

便箋や折り紙の詰まったカゴを探っていると、2冊だけ文庫本があった。


『海辺のカフカ 村上春樹』


上下巻揃って置かれたその本に、私は運命的なものを感じた。


私の父は村上春樹の大ファンで、大抵の小説は実家に揃っていた。
けれどもそれは父の書斎の中だけの話で、村上春樹が私の生活に関わってくることはなかった。

しかし父は海辺のカフカがお気に入りだったのか、2冊の分厚い単行本を、事あるごとに母に勧めていた時期があった。

母は全く気が進まないらしく
「いつも主人公が『僕』なんでしょ。意味わかんない」
「今回は『僕』じゃなくて『田村カフカ』だよ」
「『カフカ』って何?余計意味わかんない。全然興味ない」
と押し問答を繰り広げていた。


猫や石が描かれた表紙からも
『海辺のカフカ』というタイトルからも
内容は全く推測できなかったが、
きっと離島かどこかの綺麗な海で、主人公が一夏の恋に落ちるとか、そういった話なんだろう。
当時小学生だった私は、そんなふうに考えていた。

つまらなさそう…。

母のクローゼットの片隅で無造作につまれた2冊の本と同様、
私の頭の中でも、『海辺のカフカ』は隅っこに追いやられていった。


それなのに、9月のフォンテーヌブローで
10年前に頭の隅っこに追いやったはずの『海辺のカフカ』が今私の目の前にある。


一体どんな話なのだろう。
カフカとは何を意味しているのだろう。

気がつくと私は、『海辺のカフカ』の最初のページをめくっていた。

(カフカとはチェコ語で『カラス』を意味する言葉で、作品の中にも『カラスと呼ばれる少年』が登場します。また、20世紀文学を代表するフランツ・カフカという作家がいます。
村上春樹氏は後に、『海辺のカフカ』とフランツ・カフカの関連について、このようにコメントしています。

この物語とフランツ・カフカの物語を重ね合わせることは、あまり意味がないような気がします。
カフカエスクな世界を描くことを目指して僕はこの小説を書いたわけではありません。
『カフカ』という言葉がつむぎだすある種の響きが、そしてフランツ・カフカが世界を眺めるときの襟の正し方のようなものが、僕には、そして田村カフカくんにも、必要だったのです。

ページをめくりながらふと思った。
もしかしたら私は10年間ずっと『海辺のカフカ』が、そして村上春樹という作家が、気がかりでならなかったのかもしれない。

いつだったか、友人の家で映画『ノルウェイの森』を見たことも思い出した。

あの時だって私は「なんだかよくわからない映画」と、またも村上春樹を頭の隅っこに追いやったのだけれど、
同時に、あのなんとも言えない世界観に惹かれてもいたのだ。


気になる、
興味ない、
やっぱり気になる…

そんな日々を繰り返した私が、
ようやく村上春樹と出会うことができた瞬間だった。

『海辺のカフカ』は、主人公である15歳の田村カフカが家出をするところから始まる。

そこから村上春樹イズムのようなものはまだ感じ取れなかったが、久しぶりに目にする日本語の羅列に、私はひどく嬉しくなって、時間も忘れて読みふけった。

内容は、10年前に想像したような淡く美しいラブストーリーなんかでは全くなく、
初めて村上春樹に触れた私からすれば、もはやSFではないかと思うくらいのものだった。
(当時はマジックリアリズムという言葉さえ知らなかった。)

しかしとにかく面白くて面白くて、ページをめくる手が止まらなかった。

そして、読み始めた時は
「毎週のお休みに少しずつ読み進めて、毎回日本の空気を思い出せれば」
と思っていたのが、
気づけばあっという間に下巻の後半にさしかかっていた。


入り口の石の秘密は?
時空はどうなっているの?
こんなに謎と伏線らしきものが散りばめられてきて、最後にどう回収されるのだろう。
『ゴールデンスランバー』を超える、鮮やかで衝撃的な伏線回収があるんじゃないか。


はやる気持ちを抑えて、丁寧に最終章を読み進めていく。

あと数ページ、
あと3ページほどだろうか、
あと1ページ!!!

カウントダウンしながらページをめくっていくと…


物語は、唐突に終わりを告げた。


最後の一文と、その先に続く空白をしばらく眺めたあと、
私は何度かページをめくったり戻したりした。

けれども私の勘違いなんかではなくて、物語は明らかにそこで終わっているようであった。

続きがもう1冊あるのではないか。
そう思ったが、何度確認しても、海辺のカフカは上下2巻で間違いなかった。


衝撃だった。

これまで私が読んできた小説たちは、
ラストに必ず謎解きをし、伏線回収をし、ハッピーエンドかバッドエンドかに関わらず、すっきりとした読後感を与えてくれた。

けれども海辺のカフカはどうだ。
盛り上がるだけ盛り上がらせておいて、何も解決せずに終わってしまったのだ。


もちろん村上春樹の作品が大好きな今ならわかる。
あの時の私は村上春樹作品の楽しみ方が全くわかっておらず、
考えるべきでないことを考え、考えるべきことを考えないで読み進めてしまったのだと。

けれどもその時は、
こんなに何もわからないで終わる物語があるものかと、
貴重な休日を無駄にした怒りと虚しさを感じた。ほんの一瞬だけ。


それから私は、すっかり夕日に染まった部屋を見渡してみた。
なんとなく、景色が違って見える。

なんだろう、この気持ち。

ふわふわするような、不思議な感じ。

まるで村上春樹が作り上げた世界に、私が入り込んでしまっていたみたいな感覚がする。

海辺のカフカそのものが、入り口の石なのかもしれない。


それから、私は村上春樹の作品が大好きになった。

理由はわからない。
簡単に言えば、「没入感」だろうか。

村上春樹ほど、旅をさせてくれる作家を私は知らない。

ひとたび読み始めれば、現実世界に帰ってくるのが本当に難しい。
まるで麻薬のように私の中に深く入り込んで、そこから抜け出すことを許してはくれない。


村上春樹作品における異世界への扉。
ある時、それは井戸であり、
またある時、それは高速道路の非常階段であり。

しかし私にとっては、村上春樹作品そのものが異世界への扉になってしまったのだ。


本を閉じてもしばらくは放心状態で、何も手につかない。

その感覚がまた気持ちよくて、私は狂ったように村上春樹作品を読みふけるようになった。

あれから約8年。


今日も異世界の『僕』は
市営プールで泳ぎ、
愛する女性を失い、
夢の中でセックスをし、
パスタをゆで、
そして損なわれているのだろう。


久しぶりに会いに行かなければ。

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