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大人になるということは、わかることとわからないことの区別をつけられるようになることだ
大人ってなんだろう。
最近よくそう思います。
昔の私は、
大人は何でも知っていて、何でもできて、正しくて、強いものだと思っていました。
それゆえ、自分から見て大人だと思う存在を無意識に攻撃してしまったこともたくさんあったと思います。
反省。
けれども、アラサーの域に突入してみて、
大人って(私が大人だったとしたらの話ですが)何も知らないし、できないことばかりだし、正しいか正しくないかも判断できないし、全然強くない、
想像とは正反対の存在だなと思うのです。
10代の頃は「もう大人だし!」なんて常に言っていたけど、
「まだまだ大人じゃない」って思ってからが、大人の入り口なのかなあ、なんて。
それで、現時点での私なりの「大人」を定義してみました。
大人とは、
自分がわかることとわからないことを適切に区別し、
わからないことは、然るべき人に質問し、
わかるようになる努力ができる人
である。
今日の私が考える「大人」とは、こういうものです。
どうしてそう思うかという理由は2つあります。
1つは、最近「わからないことがわからない」ことが少なくなったこと。
少し前までは、「わからないことがあったら聞いてね?」と言われても、
「わからないことがわからないから聞きようがないよ!」と思うことがとても多かったんですが、
最近それが減ったなと思うんです。
全くわからない領域でも、「多分ここがわかってないんだな」と、うっすらながら把握できるようになった気がします。
もう1つは、誰かとご飯に行く時の準備の仕方が変わったことです。
数年前までの私は、誰かとご飯に行く!となったら、相手のことを徹底的にリサーチしていました。
どんな仕事をしているのか、
その業界は今どんな状況なのか、
その業界に関連して、最近話題のニュースはないか、
相手のSNSは?ブログは?
などなど、かなり細かくチェックしていました。
こうして私は下調べを完璧にこなし、相手からどんな質問や話題が投げかけられても、表面上はそつなく会話をこなせるように武装していたのです。
しかしある時、学歴も肩書きもとんでもないかたに、こんなことを言われました。
「君は、わからない話でも乗るのがうまいね」と。
私よりも圧倒的に偏差値が高く、人生経験も豊富なその人には、
私がその場しのぎの浅い理論武装で取り繕っていることなどお見通しだったのでしょう。
それから何年か経って。
今の私は、誰かとご飯に行く時は
相手にどんな質問をするか準備する
ということを心がけています。
「私が知らないこと、知りたいことの中で、この人に聞いたらわかりそうなこと、なかったっけ?」
そんな風に考えてから出かけるようにしています。
それくらい、知りたいことも増えているのかもしれません。
何年か前は、ストックしておいた知識を披露したらそれでおしまい。
けれど今は、どんどん質問を重ねられるから、話が広がることが多い。
そんな風に感じています。
あれ、私
ちょっとだけ大人になってたかもしれない。
そんな今日の考察でした。
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