言葉は時代を映す鏡だ。「JK」という言葉をつくり、「ゆるい」という言葉ひとつで人生を変えた私が思うこと

AmazonプライムのCMに最近よく出てくる『ゆるキャン△』がちょっと気になって
どういう作品なんだろう?とWikipediaを開いたところ、こんな言葉が目に入りました。

「“ゆるさ”という言葉は“しなやかさ”でもあるなって感じた。5人の女子高生も、しなやかに人間関係を変化させていっていて、この“しなやかさ”こそが作品の魅力であり、面白さだな」

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E2%96%B3

『ゆるキャン△』は『まんがタイムきららフォワード』2015年7月号から連載がスタートした作品です。

実は私は「ゆるい」という言葉で人生を変えた人間です。

ゆるキャン△の連載が始まった2015年夏。
私は東京近郊のマンションの一室にいました。

当時の私は「ゆるさ」「しなやかさ」なんてものとは無縁で、
とにかく真面目に、正しく、一生懸命に、が正しいと思っていて
かっちかちで、しなったりすることはなく
外から少しでも力を加えられたら粉々に割れてしまうような人間でした。

ドラマによく出てくる、空回りしている新入社員みたいな。

そんなだったので、仕事も全くうまくいかず、精神的にも肉体的にも参ってしまって
会社を退職したばかりでした。

けれども不安な気持ちは一切なく
「やっと自由だ!」
という気持ちでいっぱいでした。

そこで私は決めたのです。
「これからは、ゆるく生きるぞ」
と。

それまで毎日始発、終電、休日は週に1度あるかないか、
先輩の顔色をうかがい、立っているのがやっとなくらいびくびくしながら仕事をしていた自分は
もうこの世界のどこにもいなくなったんだ。
明日からは好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、好きな時間にご飯を食べて…
誰に怒られることもない。
ああ、わくわくするなあ。
ゆるいなあ。

そうだ!
「これからは、ゆるく生きるぞ」
って。

それからはいきなり始めたライターのお仕事がうまくいってしまい、よりゆるさに拍車がかかっていくのですが
そんな時に見つけたのが
ネットニュースのすき間にならんだ『ゆるい移住』の文字でした。


「『ゆるい』…、私と同じだ」


当時は「地方創生」だの「地方移住」だのという言葉が
一般人の耳にもなんとなく入ってきはじめた頃だったと思います。

そのため、移住政策に力を入れる自治体もちらほら出てきていたのですが、
そのほとんどが
「家をあげるから移住して〇年住んでね」
「お金あげるから、移住して起業してね」
のように、
「支援するから住み続けてねor働いてね」
という条件付きでした。

そんな中、私がたまたま目にした『ゆるい移住』は
福井県鯖江市にある住居を無料で開放するから
半年間好きに住んでね。
働けとか、その後も住めとか、条件は一切ないよ
という、行政の政策とは思えないほどぶっとんだ
まさに『ゆるい移住』だったのです。

田舎出身の私にとって、田舎に魅力を感じることは一ミリもありません。
もちろん住むつもりなんてこれっぽっちもないけれど、
名前も知らない町で半年も生活するってどんな感じなんだろう?
私の目指す「ゆるさ」がそこにあるかもしれない。
そう思って、何の気なしに申し込みをしてみました。

詳細は省きますが、結局私はこの体験移住で福井県が大好きになり、
数年後には地元の人と結婚して
今では福井県を拠点の一つとしています。

簡単に言えば「ゆるい」という言葉にピンと来ただけで
人生が大きく変わってしまったわけです。

さて、今回の本題は移住の話ではなくて、
あの頃「ゆるい」という言葉に何かしら心を揺さぶられた人間がどれだけいたのか、
ということです。

一緒に移住に参加したメンバーの中にも
「ゆるい」って言葉にピンときたよね!
と言う人は多かったんです。


あ、ちなみにここから書くことは一切の調査をせず、独断と偏見だけの超個人的な意見なので
事実とは全く異なる可能性もあります。
ご了承ください!


冒頭の『ゆるキャン△』に戻るのですが、
ゆるキャン△が始まったのも、私がゆるさを求めたのも、ゆるい移住の募集が始まったのも、同時期でした。

多分それは私だけではなくて
多くの人が「ゆるさ」を求めていた時代だったからだと思います。

つまり、言葉はその時代の価値観を映す鏡だ、と思うのです。

ちなみに「ゆるい」というのは
だらしないとか適当、というのとはまた違って、
まさにゆるキャン△で言われている「しなやかさ」なのです。

見栄を張りすぎない、
頑張りすぎない、
でもどこかにちゃんと筋が通っているから信用できる、
間違えたことは謝る、
立場や個性で差別したり線を引いたりしない、
ちゃんと議論する…

いろいろ思い浮かびますが、
わたしにとってのゆるさ、しなやかさというのはこういうイメージかな。

夫婦別姓とか、脱ハンコとか、
以前は当然だと思われていたことが、日々変わっていっているこんな時代だから
かたすぎず、でも流されすぎず、
ゆるくてしなやかに変化できるような人間でありたい。

そんな思いが、今の私たちの中に漠然と存在しているから
「ゆるい」という言葉が刺さるんじゃないかな
って思います。

ちなみに、「ゆるい」界で最も有名なのは「ゆるキャラ」だと思いますが、
ゆるキャラが商標登録されたのは2004年11月、
ブームとなったのが2007年頃、
流行語大賞にノミネートされたのは2008年
だそうです。

その頃私は女子高生だったので、年齢的にもゆるさとは遠いところにいたはずです。
見栄を張りたいし、がんばりたいし、
みんなにいい顔して友達とうまくやりたいし、
こっちのグループと仲良くする、って決めたらその中で生きていかなきゃいけないし、
部活はやめちゃいけないし、
ちゃんと勉強しなきゃいけないし。

そんな、ゆるさとは反対の場所にいたから気づかなかっただけで、
私が思っているよりももっと早く
「ゆるさ」は求められていたのかもしれません。

さて、言葉が時代を映す鏡だ、と書きましたが、
この点に関して私にはとても印象的な思い出があります。

2007年の春。
私は高校1年生でした。

この頃の若者言葉(っていうとめっちゃダサいw)は基本的に
アルファベットで略す
というものでした。

例えば「PK」だったら「パンツ食い込んでる」
とか。
(他の例が全く思い出せませんでした泣)

その1~2年前まではもう少し長めだった記憶があって、
例えばさやかって名前だったら「SYK」みたいに、母音のみを消す、くらいだった気がします。
AKB48が活動開始したのが2005年12月なので、まさにそんな感じの時代。

ちょっと変わりますが、さらに数年前、メールアドレスは「メルアド」と略されていました。
それがメアドになり、2007年頃、私たちは「アド」と言うのが普通でした。

このように、略語は2000年以降、より短く、より短く、という方向に変化していました。

さて、ではPKのような略語はどうやって私たち女子高生に浸透したのでしょうか。
正直、全く覚えていません!!

けれども、誰に教えられることもなく、
私たちは当たり前のように略語を使っていました。

きっと日々
「今PKなんだけど~」
「なにそれ?」
「パンツ食い込んでるってこと~」
みたいな会話を無意識にしていて、その中でどこからともなく始まったものなんだと思います。


ここで、現在では幅広い年代に認識されている「JK」という言葉について考えてみます。
JKが、JK以外の幅広い年代に浸透した原因は、いわゆる「JKビジネス」だろうと思います。
2000年代中盤以降に発展したと言われていて、私たちが「JK」という言葉を使っていた時期とほぼ一致します。

けれども、あのころ”現場”で「JK」という言葉を使っていた私たちにとっては
「JKビジネス」なるものは大人が私たちの流行にのっかっただけの安易なネーミングであるし、
そこから「JK」という言葉を認識した大人たちが「JK」=隠語のように認識してしまうのは我慢ならないです。

だって、JKという言葉を作ったのは私なんですから。


これは本当に本当の話です。
ただ、私のようなJKは、少なく見積もっても全国に数千人はいただろうというだけで。


私のまわりに限った話かもしれませんが、「JK」という単語が出てきたのは、他の略語よりも少しあとでした。

「今PKなんだけど~」
「数学MD(まじだるい)」

みたいに、文章を略すほうが先に定着していて、そのあとにJKという言葉が生まれたんです。

私の場合は、そんな略語でしゃべっているときに
「てことは、私たち女子高生だからJKじゃない?」
と言ったことを今でもはっきり覚えています。

多分、こんな会話がほぼ同時期に、全国各地で行われていたんだと思います。

じゃあ、JKという言葉に反映されたあの時代らしさって何なんだろう。

私は「簡素化の頂上」だと思います。

2000年代後半、
何よりも価値があることは「早さ」だったように思います。

メールの送受信に10秒近くかかった時代。
もっと早くやりとりしたい、
もっとネットが早くなればいいのに…
買い物ももっと楽に早くなれば…

世代を問わず、多くの人がそんな風に思っていたのではないかと思います。

事実、ファストファッションという言葉が生まれたのは2000年代半ば頃だそうです。

でもあれから10年以上たった2020年代の今、
ファストファッションってどうでしょう?

それよりも、環境に配慮して、素材にこだわったもの、いいものを丁寧に長く使う。
流行に流されず、長く使えるものを厳選して手元に置いておく。
そんな価値観のほうが主流なのではないでしょうか。


じゃあ言葉のほうはどうなったのか。

今も使うのかわかりませんが、2017年頃は省略も最終形態を迎えて
「ま」(まじ)
「り」(りょ)=了解
など、ひらがな一文字でやり取りすることがありました。

ただ、これと入れ替わ(ってるのかは不明。共存してるのかも)るように、やたら長い言葉も使われるようになりましたよね。

例えば「激おこぷんぷん丸」とか。
これは2013年頃にバズったツイートから流行ったものなので、発生起源がちょっと他と違うかもしれませんが、
私たちの世代なら「怒」で済ませていたものを、なぜわざわざそんなに長くするのか、ちょっと理解が難しいです。

けれどもそれは、より感情を細かく伝えるだとか、語呂だとか、見栄え、かわいさみたいなものを追求した結果なんじゃないかと思います。
それは、2000年代中盤~後半にあった、
なんでも短くて早いほうがいい!とは全く違った感覚だなと思います。


長くなりましたが、
こんな風に、言葉は時代を映す鏡なんだと思います。

だから、言葉で生計を立てている人間としてはいつも敏感でいたいし、
その裏にある時代の流れまで深く考えられたら、
日本語がもっと楽しくなるんじゃないかなって思ったりもします。

次の時代は、どんな言葉が流行るんでしょうか。

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