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地方で生きること|地方で躍動する人

ずっとその土地で生きてきた人は、その土地に対しての思いが強くて当然です。地方で生きる人は、その地に対しての思い入れの強い人ではないでしょうか。

田舎に行けば行くほど、その土地の人間関係はポッと出の新参者には理解できません。幼少期から続く慣習の中には、その土地の人たちの「血と汗と涙」が染みついているからです。

とくに、情報入手がたやすくなったネット社会では知ったかぶりのエセIT移住者が地方の情弱者をたしなめるようになっている気がします。

しかし、ちょっと待ってほしい!

地方で根付いてきた人は、何かを犠牲にしつつ地方の環境で積み上げてきた時間があります。その時間と経験を否定できません。

スマホを自由自在に操作できるエセIT移住者が、地方のガラケー信者をたしなめるイメージで「新風を巻き起こしている」などと勘違いしている気がします。

何が言いたいかというと、地方へ移住してくるITリテラシーの若干高そうな人は、地方の人に敬意を払うべきということ。

地方のその土地に根付いてきた人は、その人なりに守るべきものを守ってきています。

その精神力とロマン、忍耐、信念を否定してはNGです。現代がIT方向へ傾いているからこそ、ITリテラシーの高い人の行動は地方の情弱者を馬鹿にしてしまうかもしれません。

ITリテラシーの高い移住者は、地方の年輪を軽く否定してしまうから、「外様に言われる筋合いはない!」と思われる可能性があります。

そこでその土地の人と新参者が距離を置いてしまえば、結局、地方は変わりません。つまり、壁が崩せなくてその状態が続いてきたわけです。

地方で躍動する人

だけど、地方には昔から根付いている筋があります。その筋とは、積み重ねてきた歴史のことです。言い換えると、伝統ともいえるかもしれません。

伝統は変わる可能性があります。もちろん、淘汰されて過去のものになることも考えられるでしょう。

そういえば、黒電話やポケットベルなどは、どこへ行ってしまったのでしょうか。地方の年配者でもすでに使っていない産物と考えられます。

何が正しくて何が正しくないかは、決めつけられません。決めつけられないから、世の中をまとめるのが難しいってこと。それは、都会も地方も同じこです。

地方で躍動する人は、その辺も温度を感じて対応できる人です。決して、相手を否定せず、受け入れる体制のある人ではないでしょうか。

地方で躍動する人は、気が付いたら地元民と間違われるほど根付いています。そんな自然の流れで溶け込むことを考えてみましょう。


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