見出し画像

1974アイドル心の旅

アイドル最盛期は1982年らしい。1982年にデビューしたアイドルは早見優、松本伊代、堀ちえみ、小泉今日子、三田寛子、シブがき隊、中森明菜らがおり、「花の82年組」と呼ばれた彼らに先立つ1974のアイドルと言えば何はなくとも花の中三トリオ(山口百恵、桜田淳子、森昌子)とキャンディーズその後のピンク・レディー松田聖子など、だけど、下町キッズが密かに恋い焦がれたのは山口百恵と薬師丸ひろ子だった、最盛期のアイドルは全体的に年下だったけど、山口百恵はちょっと年上の憧れの女性という感じ、実は総武線ガード下のレコード店で生まれて初めて買ったのはひと夏の経験だった。畏れを抱かせずに年上の女性の色香を漂わせる山口百恵さんはちょっと遠いけど憧れの女性だった、それに対して、薬師丸ひろ子さんは同年代であまり女性を感じさせず、ひょっとしたら通学の電車で乗り合わせるかもしれない身近に恋心を抱ける対象だった。角川映画で見せる目力がとても魅力的であった。だから主演映画をよく観たし、NHKの大ヒット朝ドラあまちゃんに元アイドルの役で登場した時はかつての下町キッズは準主役の小泉今日子さんよりも密かに歓喜していたのだった。下町キッズはセーラー服と機関銃の主題歌(夢の途中)も当然レコードを買った。が、映画の1シーンを用いた秀逸なジャケット写真は憧れというよりも恋心を抱かせるには十分であった、アイドルというのは偶像だけど、下町キッズにとってみればアイドルとは、憧れや恋心を抱かせるリアルな存在なのであった。しかし、1974のアイドルは心のアイドルからメディアのアイドルに旅立っていった、人気番組(ドリフターズ)や高視聴率の歌番組にレギュラー的に出演するのがアイドルとなり、新たなアイドルもテレビのオーディション番組から生まれる偶像になった。心の中で芽生えていた偶像はは心の外で誰かによって作り上げられる偶像になったのである、極めて身近な存在だった、偶像は、極めて遠い存在になった。やがて時は過ぎ会いに行けるアイドルなど、再び身近な偶像化を模索する時が来たけれど、それは下町キッズの時代ではない、1974アイドルは心の中の淡い思い出、永遠の夢の途中になったのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?