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トルコ、文化が衝突する。


エジプトの前に滞在したイスタンブール、カッパドキアについて。
感じたことをつらつらと。

建築や絵画に、世界に対する捉え方が表れる。

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例えばモスクはイスラームが世界をどのように認識するのか、教徒たちに伝える役割を果たす。

最も高い天井には最高神が描かれる。
そしてその天井を支える周りには、最高神を支える他の神々が描かれている。

宙を見上げればそこに神が在る、といった具合に。


教義という世界に対する認識体系を基に、モスクという認識可能な世界が構築されている。


おそらく、文字が読めない者に対しても、視覚的に、世界がどのように成り立っているのか、モスクを通じて伝えることが可能となるのだろう。



その文化の文字とパターンは比例する。

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アラビア文字とモスクで随所に見られるパターンはどこか形が似ているように感じた。

一方向へ流れるように綴られるアラビア文字。
一定のリズムで延々と続いていくかのごとく、天井や壁に描かれているパターン。

どこか同じような雰囲気がある。

文字とパターン、どちらが先に生まれたのかはわからない。

壁に書かれた文字がパターンとなったのか、
壁に書かれたパターンが文字となったのか。

どちらにせよ、似ているのは間違いない。




傾斜が街の景観を美しくする。

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イスタンブールの朝。
よく晴れた空の淡い蒼色と、昇りゆく朝日のエネルギーに満ちた橙色の、グラデーションに染まる街を見た。

その美しいグラデーションを背景として、トーンが統一された建築物が佇む。

少し海から離れたホテルの屋上からその景色を眺める。
ホテルは坂の途中にあったから、丘の上というわけではない。

それでも、この街の全部を我がものとして見渡せているような感覚を抱く。
朝日に照らされる海も、世界一美しいと言われるスルタン・アメフトモスクも、一望できるのだ。


理由は街全体に傾斜がついていることだろう。

昇りゆく太陽とその下にある海に対して、街が緩やかな斜めをつけて向き合っている。

だから、どの地点においても、屋上からの景観が美しい。
眼前を遮るものもなく、空と海と街を見渡せる。


自然的な土地柄なのか、それともデザインされたものか、どちらなのだろう。



文化を学ぶこととは、文法を学ぶことだ。

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カッパドキアにあるギョメレの修道院群。
ここにはかつて迫害されながらも、ひっそりと受け継がれていたキリスト教の寺院がある。

寺院の多くに壁画が描かれており、どれも見たことがある題材がテーマとなっている。
キリストの生誕や最後の晩餐といったようなものだ。

異教徒から迫害されつつも、信仰心を支えとし、風雪に耐える。
そのような状況下で、これらの壁画はどのような意味を持ったのだろうか。

非キリスト教の自分は、これらの文法を解さない。

ここを訪れる、おそらく隣で見ている欧米からの旅行客は、何かしらの意味を見出しているのだろうか。

文法を学ぶことこそが、文化を学ぶことなのだと感じた。

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