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小説・うちの犬のきもち(16)・母の日

もうすぐ母の日なのだそうだ。

外は雨で、ぼくは散歩に行けずに自宅警備をしている。窓の外の様子を眺める。おばあちゃんが手入れをする庭は、今日は雨に濡れた土の匂いがして、庭の花も葉も土も植木鉢もどうやら喜んでいるようだ。
雨も悪くない。好きではないけど。

この季節は、空気が湿って、気温が高くなる。晴れの日は夏みたいに暑くなり、雨の日はじめっとしている。雨が多いと散歩も短くなる。雨の切れ目には、近所の犬たちみんな同じタイミングで散歩に出るから、たくさんの友だちに会う。

飼い主たちは雨が上がって良かったわね、また夜降るらしいわよ、暑いわね、寒いわね、というお決まりの天気を挨拶を交わす。

母の日が近くなるとママンは、デパートのウェブサイトをうんうん言いながら眺め、パパンのお母さんにまず贈り物を手配し、おばあちゃんとはホームセンターに行って園芸用品を買う、それが済むと、子供のいる同僚のことを考え、子供のいる友だちのことを考え、子どものいないママンは、考えても仕方のないことを、考えこんで、口数が少なくなる。

人間にはそういう時がたくさんある。気持ちの中にあるのは、嫉妬なのか寂しさなのか悔しさなのか名付けがたいもので、当分の間ぐずぐずした後、まずは、嫉妬ということにして、ママンは検証を始める。自分に言ってみる。
「嫉妬しているだけよ」
するとすぐさま返事がある。
「えーそんなことない。だって、子供がいたら大変だし、今みたいな自由はないとか、しーちゃんのことを大事に出来なくて苦しい気持ちになるし…」
他にもあーだこーだと言い返すので、嫉妬が正確ではないのかもしれないし、嫉妬と呼ぶには抵抗がありすぎて、向き合えないのかもしれない。
「そうじゃないってば! やめてよ、もう」
ママンは逃げるように次の検証を始める。
「じゃあ、寂しさ、なんじゃない?」
「えー、しーちゃんもいるしパパンもおばちゃんもいるし友だちもいるし、寂しいはズレてない?」
「そうじゃなくて子供がいない人としての寂しさ。わたしだけ子供いない、とか」
「疎外感ってやつ? そういうのはまだ感じたことないなあ。想像はできるけど、子供がいて一人前とか言われたらヤだけど、言われないし。子供自慢してくる人もいないし。だから、寂しくもないかな」
「それなら、嫉妬に近いかもしれないけど、悔しい、なのかも。子供ができなかったとか、あの人と違うって見られるとか」
「うーん、悔しい、かなあ。うん、別に悔しくもない。人の親になるなんて、わたしには無理だったな、とかは思う。とはいえ、親になったら親になったでまあ同じような調子で生きていたんじゃないかな、って想像できる。たまたまそういう人生じゃなかっただけで」
「ああ言えばこう言う…。疲れるわ、あんたと話していると」
「なんかごめん」

ママンの気持ちはゆらゆらするけれど、もうすぐ落ち着く。もし本当にママンに子供がいて、その子のことを全力で応援するのは幸せなことだろうな、という夢想をして、その夢想には意味がないと思う。ただ、そういう存在がいる人のことを、素敵だと思うし、子供が好きになれない人のことは、苦しいだろうな、などと思う。

でも、と、ぐずぐずの最後のひとつの考えを手にとる。
体外受精もやってみるべきだったな、という後悔を少しする。
ほどなく、その後悔にも意味はなく、今後の役にもたたないだろうな、と思い至ったところで、数日間のぐずぐずが解消されていく。

「ちょっと貸して」
母の日当日は晴れて爽やかな空気だった。
パパンの持つリードを、ママンはさりげなく奪い、川沿いの土手の上を歩く。たのしくなって、ふんふん鼻歌を歌うママン。
「ふんふんふんふふんー」パパンがママンの真似をする。
「ふんふんふんふふんー」ママンも盛り上がる。「この季節って、いいよね。暑くなく、寒くもなく」
「気持ち良いねぇ」
「しーちゃんの体調も良いし」
「そうだね、しーちゃんもこういう季節が好きだね」
「ピクニック日和だね。ほら、あそこでピクニックしている家族がいるね」

ママンが示した方には、若い夫婦がレジャーシートを広げて座っていた。カーキ色のTシャツに、ジーンズを履いた男が、レジャーシートの一辺に寝転がっている。両手を枕にして、空を見上げている。レジャーシートの反対の隅に、つばの広い帽子をかぶった女が、オフホワイトのワンピースを着て、膝を崩して座っている。脇にはベビーカーがあった。でも、ベビーカーには誰も乗っていない。夫婦の他には見渡す限り誰もいなかった。

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