初めまして。篠原風鈴本舗会長 篠原儀治と申します。 大正13年11月14日生まれ。12の頃から風鈴作りの修行を始めました。昭和57年と平成26年に江戸川区無形文化財の認定を受け、平成元年に東京都優秀技能賞(現東京マイスター)を受賞し、平成16年10月1日、石原都知事より名誉都民の称号をいただきました。 江戸風鈴を長年作り続けてきたご褒美と思っています。 これもひとえに江戸風鈴を愛し、応援をして頂いた皆様のおかげです。 ありがとうございました。 人生95年も生きてきますと今
私、篠原儀治は大正13年向島に生まれます。当時吾嬬町は東京府下南葛飾郡請地町字吾嬬と言っていました。 見渡す限りの田園地帯で、とてものどかなところでありました。 子供の足で歩いて数分の所に日活の撮影所があり、時々オープンでロケーションをしていました。池があり、金魚の養殖所があり、畑があり、牛馬の屠殺場などがありました。 私の上に女ばかり3人いて、4人目に生まれた男の子が私であります。その後、弟が6人、妹が1人計11人の兄弟姉妹となります。 昭和初期の我が家は、職人が6,7
まずは風鈴の起こりから少しお話しいたしましょう。 HP上の「江戸風鈴とは」というページと重複するところもありますが、併せてご覧下さい。 そもそも風鈴とは、約2000年前の昔唐の時代、岐王が東西南北に玉片を、 中央に舌(ぜつ)をつるして、舌の当たる方角で吉凶を占う占風鐸(せんふうたく)という道具から始まりました。 わが国の僧達が仏教とともに「風鐸」を日本に持ち帰ります。 法然上人絵巻に、極楽浄土に存在する宝樹の風の音色にあこがれ風鈴を持ち歩いていた「空阿弥陀仏」という僧の記