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第一回・江戸風鈴とは
まずは風鈴の起こりから少しお話しいたしましょう。
HP上の「江戸風鈴とは」というページと重複するところもありますが、併せてご覧下さい。
そもそも風鈴とは、約2000年前の昔唐の時代、岐王が東西南北に玉片を、
中央に舌(ぜつ)をつるして、舌の当たる方角で吉凶を占う占風鐸(せんふうたく)という道具から始まりました。
わが国の僧達が仏教とともに「風鐸」を日本に持ち帰ります。
法然上人絵巻に、極楽浄土に存在する宝樹の風の音色にあこがれ風鈴を持ち歩いていた「空阿弥陀仏」という僧の記述があります。ここに「風鈴」という単語が確認できるのですが、呼び方は「ふうりょう」「ふうれい」など様々あったようです。
後に同じ漢字で「ふうりん」という読み方になり、風鈴もいろいろな材料によって作られるようになりました。
その一つがガラスでした。瑠璃、玻璃、ビードロ、ギヤマン、グラスと様々な呼び名がありましたが、2000年の長い歴史を経て今日にいたり、学校の教科書ではガラスで呼ばれています。
ガラス風鈴は1700年初期に作られ始め最初はとても高価なものでした。市井に出るのは1800年頃、大変人気があったといわれています。
「江戸風鈴」という名は江戸時代から伝わり、江戸時代から変わらぬ手法で、今もここ東京(江戸)で受け継がれていることから昭和39~40年頃に私がつけた名前です。
よき時代の風雅を楽しまれることをおすすめする次第です。
今回は第一回ということでかたぐるしい文章になってしまいましたが、その内肩の力が抜けてくればと思っています。それでは、次回お楽しみに。
「あさがほや まだひのけなき 硝子師(びいどろし)」俳諧東土産より
江戸時代、ガラスをふくらます窯の前のびいどろ師の様子です。
また、当時売り声を上げることが常だった物売りと違い、風鈴の音色がお客さんを呼び込んだことをうたった
「売り声のなくて買い手の数あるは 音に知らるる風鈴の徳」
という狂歌も残されています。
(本文は旧篠原風鈴本舗公式HPより加筆修正をしています。)
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