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昨日は敬老の日

先日、美容室で白髪染めをグレーにした。

茶色に染めていた髪が伸びて根本の3〜4㎝が白くなっていた。
その長さに揃えて全体をバッサリカットした。
清々しいまでのベリーショート。
一昔前のママさんバレー選手の髪型だ。

それで黒髪と白髪の比率を見てもらったら8:2ですと。
意外に少なかったな白髪。
でも、グレーに染めてしまったわ。

どうせBBAだし。
仕上がりは松重豊みたいだった。 
「孤独のグルメ」かよ。
井之頭五郎かよ。
ガッカリしてたら、
「すごくカッコいい!」
と褒めてくれる人がいて救われる。

神戸の旧ハンター邸

敬老の日だから、敬老してくれグレーヘアのBBAだぞ。
電車ではもう堂々とシルバーシートに座れるぞ。

いや、そういう話ではない。
敬老と聞いて思い出したことがある。

何度も言うが、私は実家と何十年も没交渉だった。
つい数年前に帰省したのは母の葬儀だった。
その時も気づいていたが、昨年父の葬儀に帰ってはっきり意識した。

兄や妹は、父母を「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ぶのだ。
何となれば彼らには子供がいるから。

だが独身で子供もいない私は、ずっと変わらず「お父さん」「お母さん」のままだった。
葬儀の間もその呼称を変えることはしなかった。

もし私が定期的に実家に帰省していたなら。
甥や姪にも会っていたろうし、自然に「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ぶようになっていたかも知れない。
だがその機会はなかったし、今後も永遠にない。

両親に孫を見せてやれない親不孝者。
……みたいな考え方があるらしい。

さては親孝行教の信者共だな?
ざけんなよ!!
私は親を幸福なジージやバーバにするために生きてんじゃねーぞ!

それは結果論だろうがよ!
そういう結果になりたくないと思うような家庭環境を見せつけといて、甘えたことを言ってんじゃねーぞ!

とか言うと、でも兄や妹はその結果論を引き受けたのだから、私一人がひねくれ者なのだという意見も出て来そうだ。

「みんな同じように育てたのに」と両親は口癖のように言っていた。
当人たちがそう思っていただけ。

「日本は男女平等」って意見にちょっと似ているな。
そう思ってるのはゲタ履かされている男子だけ。
女子は大なり小なり不平等を感じている。

いや話をそこまで広げなくてもよろしい。
簡単に言えば、感じ方は人それぞれってやつだね。

だから私は意地でも彼らを「じいちゃん」「ばあちゃん」とは呼ばないのだった。

兄や妹が、甥や姪が、散々にそう呼んでやったんだろ。
それで満足しろや。
私の知ったこっちゃない。

と、亡き老親を少しも敬老しない私なのだった。
じゃあ、おまえも敬老されるな?
そら、そうだわね。
敬ってもらわなくても結構です。
(誰に言ってんの?)

などと考えた昨日は敬老の日であった。

旧ハンター邸全容
建物も敬老されるものとそうでないものがある


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