初めての落語
■柳家小三治
落語が好きと言いながら私は三遊亭萬橘の話しかしていない。
たまには他の落語家の話もしよう。
2014年3月9日(日)行徳文化ホールI&I「柳家小三治独演会」
私が初めて生で聞いた落語である。
開口一番は、柳家はん治の〝鯛〟
小三治師匠は〝やかん〟と〝錦の袈裟〟だったが、今考えると何も覚えてない。
むしろ、はん治という人は情けないオジサンだなあ……と弟子の方を覚えている。
生落語は初めてだが、私も昭和の生まれである。
うちの父方のおじいちゃんは三遊亭圓生に顔が似ている、ぐらいは言える程度のうす~い知識はあった。
林家三平が額に丸めた手を当てて「こうしたら笑ってくださいね」だの「どーもすいません」だの言ってたのも知っていたし。
立川談志というタレントが参議院選挙に出て当選したくせに酒に酔ってクビになった?とかいう噂も知っていた。
けれど、生の落語を聞きに行く機会はなかった。
というか恐くてとても行けたものではなかった。
当時の落語関連本を覗いてみれば、圓生がおじいちゃんに似てるなんて軽口を叩いたら怒られそうな雰囲気だった。
何しろ落語は古典芸能らしい。
博学で碩学で顕学な有識者の方々がとても難しいことを語っていた。
私のような無知な小娘が興味本位で聞きに行ったら、青筋立てて叱られるに違いない。
けれど柳家小三治という人の『ま・く・ら』という本は面白かった。
『もひとつ ま・く・ら』『バ・イ・ク』も図書館で借りたり、文庫本を買ったりして次々と読んでいた。
だから、近所に来るなら……という軽い気持ちで聞きに行けたのだ。
私の中で落語の敷居はかなり低くなった。
気をつけて見れば近所でもいろいろ落語会をやっている。
3月29日(土)には市川市民会館の会議室のような小さな部屋に「市川寄席」を聞きに行った。
古今亭今輔、春風亭柳若、神田松之丞(現・伯山)の出演だった。
演目は記憶も記録もなし。
私が落語沼にはまったのは、5月になってからだった。
5月18日(日)千葉市民会館における「ちば落語名人会」
柳家喬太郎の〝ちりとてちん〟と三遊亭白鳥の〝マキシム・ド・呑兵衛〟を聞いたのだ。
面白い!
落語って面白いじゃないか!!
その足で同会館の事務所にチケットを買いに走ったのを覚えている。
たぶんそこでは買えなかったはずだが、いろいろなチラシは手に入れた。
そうして落語三昧の日々が始まった。
小三治の弟子の柳家三三、小三治の抜擢で一人真打になった春風亭一之輔、地元出身の古今亭菊之丞、あの面白かった柳家喬太郎が属する落語教育委員会も……。
三遊亭萬橘に出会うのはもう少し後である。
■フラとの遭遇
2015年1月28日(水)江戸深川資料館における「すっとこどっこい てやんでい こんこんちきのべらんめえ」
三遊亭わん丈、桂宮治、三遊亭萬橘、立川こはる、三遊亭天どんの出演である。
初めて三遊亭萬橘を見た。
半白の髪の落語家が出て来た途端に「何だこれは⁉」と目を奪われた。
出て来ただけなのに、言うに言われぬ奇妙な可笑しさがあるのだ。
そうか。これが〝フラ〟というやつか!
いがらしみきお、という漫画家がいる。
『ぼのぼの』というほのぼの四コマ漫画で名を馳せたが、デビュー当時はかなり奇妙で過激な四コマ漫画を描いていた。
『ネ暗トピア』というタイトルだけで想像できるだろう。
あの漫画の登場人物が落語家になって現れたと思った。
ところで私の記録には、萬橘師匠の演目は〝宮戸川〟とあるのだが本当か?
萬橘師匠が〝宮戸川〟を持っているとは知らなかった。
あ、いや。今日は萬橘師匠の話ではなかった。
小三治師匠である。
柳家小三治が近所に来る時は必ず見に行った。松戸市民会館、習志野文化ホール、千葉市民会館……。
やがて、いろいろな落語家を聞きに都内どころか地方遠征までするようになっていた。
きっかけは立川志の輔のチケットが都内では取れなかったからである。
もしや、地方なら取れるのでは?
と挑んだら案の定!
愛媛県の内子座まで出かけるのであった。
いや、だから小三治の話である。
2017年9月9日(土)松戸市民会館「柳家小三治独演会」
これが中止になり、チケット代が払い戻された。
小三治師匠が入院したのだ。
高齢だし、もう復帰は難しいのでは……と半ば諦めていた。
けれど、2017年11月29日(水)新宿文化センターにて「秘密の小三治」開催!
いわゆる一門会である。
はん治、福治、燕路、一琴、三三、三之助、小八による覆面座談会。
一琴師匠は紙切を披露して、小三治師匠は〝死神〟だった。
正直この会で私が覚えているのは、三三さんがまるで子犬のように嬉しそうに師匠のお世話をしていたことだけである。
〝死神〟に関しては失礼ながら、病み上がりだから仕方がない……と諦め半分に思ったことである。
2018年6月6日(水)東京芸術劇場にて「柳家小三治独演会」
ついに独演会に復帰!!
待ちかねたぞ!
とはいえ「秘密の小三治」で覚えた危機感は残っていた。
タイジョブ?
というのが正直な気持ち。
結論としてはダイジョブじゃなかった。
いや、あくまでも私の気持ちが、である。
開口一番の一琴さんの〝転失気〟に続いて小三治師匠登場。
そして長い長いマクラの後で〝青菜〟
これで時間が押して、仲入り後は一琴さんの紙切り、そして小三治師匠はあいさつだけになった。
まだ身体が本調子ではないので〝青菜〟の旦那が扇子で仰ぐ仕草がうまく出来なかったと述べていた。
それは確かに見ていてもわかった。身体も言葉も、いろいろとつらそうだなと。
私自身が最もつらかったのはマクラが長いばかりで脈絡のないことだった。
シロクマのピースの話を始めたのに、途中で脇道にそれて立ち消えになっている。
シロクマのピースに関して、師匠が何を言いたかったのか。
知りたくてならなかった。
■微妙な話
2019年8月12日(月)よみうりホール「柳家小三治独演会」
私が小三治師匠を見た最後である。
三三さんが開口一番で〝五目講釈〟小三治師匠は〝千早ふる〟〝長短〟だった。
こないだは病み上がりだったし……と思ってまた聞きに行ったのだが、今度こそもういいと諦めた。
2021年10月7日 柳家小三治師匠は他界された。
それまでに何度も落語会を開催されたが、私は行かなかった。
さて、これからの話はかなり微妙である。
以前かなりご高齢の落語家の高座を見に行ったことがある。
詳細は省くが、あまりのことにかなりげっそりした。
つくづく見に行かなければよかったと思った。
ツイッターでそう呟いたところ、ファンの方々から怒られたり悲しまれたりした。
若い頃からその師匠を見て来たファンの方々にとっては、高座を見られるだけで喜びなのだ。
どんなに老いて滑舌が悪くなっても、噺がおぼつかなくなっても、その姿は神なのだ。
それは、わかる。
わかるけれども……。
落語は古い芸能である。
祖父母や親に連れられて幼い頃から見聞きしていた、なんて年季の入った古参ファンがいくらでもいる。
(三三師匠のように揚句にプロになってしまう人もいる)
昨日今日、聞き始めたにわかの私が言うのも烏滸がましいだろう。
頓痴気かも知れない。
そう自覚しつつ、にわかの正直な感想を書く。
八代目桂文楽師匠の有名な話。
〝大仏餅〟の登場人物の名前が出て来なくなって「勉強し直して参ります」と高座を下りた。
そしてそれが最後の高座となった。
私が好きなのは、その姿勢である。
プロとしてはそうあって欲しいのだ(単なるカッコつけだとしても)。
言葉が出て来なくなったら、話が迷走するようなら、もう高座に上がらないで欲しい。
偉そう?
うん。ごめんね。でも客だし。お金払ってるし。
卑しい?
もし仮に、圓生に似た父方の祖父が(いや既に亡くなってるけどさ)老齢ゆえに言葉もおぼつかなくなり、筋道のない話をするようになったなら。
さすがに私とて「うん、うん、そうだね。おじいちゃん」と努めて優しく話を聞くだろう。
でも、高座にいるのは私の祖父じゃなく、プロの落語家だ。
お金を払ったのは娯楽のためなのだ。
悪いけど、見舞いや介護のためじゃない。
つまり、まあ………そういう微妙な話です。
正しいとか正しくないとかいう話じゃないです。
考え方の違いに過ぎません。
冷たいと思ったなら許してください。
じゃあ、おまえの贔屓の萬橘師匠が年老いて、噺を忘れ言葉もおぼつかなくなっても高座に上がっていたら……どうする?
そう問われれば、見に行かないと即答する。
好きな噺家のみっともない姿は見たくない。
それに、あくまでも私の感覚だけど萬橘師匠は八代目文楽師匠に似たカッコつけのような気がする。
老いたら引き際も自分で決めるのではないか。
いや、それ以前に私の方が年上なのだから、先に鬼籍に入っている可能性の方が高い。
何も心配するこたない。
くどいようだけど、年老いて高座に上がり続けるのが悪いとは決して言っていません。
信念は人それぞれなのです。
でも……私は未だに小三治師匠に聞きたいんだよ。
「ねえ、師匠。それでシロクマのピースがどうしたんですか?」
亡くなるまでずっと追いかけていたら、どこかに答はあったのかも知れないけれど。
初めて生の落語を聞かせてくれて、落語家の行く末についても考えさせてくれた小三治師匠でした。
ありがとうございました。
最後に今を生きる落語家さんたちの写真を並べます。
いずれも撮影拡散許可ありです。
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