【猫や猫】その後あれこれ
写真はアルパカである。
口から草を垂らしている。
五代目江戸家猫八先生がおっしゃるには、アルパカは「お?」と鳴くそうだ。
晴れた日曜日。
猫めの墓参りに行くことにした。
駅前からバスに乗ること40分。
駅周辺のうねうね細い渋滞道路を過ぎるとバスは、だだっ広い田園地帯に「ほらよ!」とばかりに敷き延べられたアスファルト道路をひた走る。
田舎では自家用車がないと、この上もなく不便なのだと思い知るひととき。
ようやく犬猫慰霊碑に辿り着く。
犬猫……いいけどさ。
他のいろんなペットは別なんだね。
狭い敷地内には何人もの家族がお参りに来ていた。
みんな愛されていたんだね。
待機すること数分。一人になって猫めのお参りをする。
一瞬で終わった。
慰霊碑のすぐ横が動植物園の敷地である。
田舎だから植物園の広さがハンパない。
時間的には墓参よりこちらの散策が完全にメインである。
動物園だけなら手頃な広さだった。
家族連れで賑わっている。
リクガメ、カワウソ、レッサーパンダにワオキツネザル。
そしてアルパカは鳴かなかった。
お子達はキャーキャー歓声をあげている。
園内で買ったおにぎりを薔薇園のベンチで食べる。
バラはまだ咲いていなかったけど、春霞の空はやがて晴れ渡った。
よしよし。
猫めもこれで浮かばれたであろう。
動植物園を見た後、鑑賞植物園の温室を歩く。
こちらは動物園とは打って変って人の姿が少ない。
こっちのが慰霊って気分だな……なんて思う。
熱帯気温の室内を歩いて行くと、美しい翡翠色の花房がぶら下がっている。
ヒスイカズラ!
これだこれだこれを見たかったのだ。
パシャパシャ写真を撮り、大いに満足するのだった。
実のところ、墓参を済ませたらスーパー銭湯で汗を流して、新宿末廣亭に行くつもりだった。
五代目江戸家猫八襲名披露興行である。
猫八先生はアルパカを鳴いてくださるだろうか?
と動物園では思ったが、だだっ広い植物園や温室を歩き回って疲れ果てていた。
いや、もちろん猫めの慰霊も大変なことであった。一瞬だったけど。
軽く三十分ほどバスを待ち、田舎の容赦ない不便さを痛感しながら帰宅する。
家に着く頃には、肩に猫めが乗っているような気が……。
いや、それじゃ化け猫ですから。
ただ、猫めはもう単なる〝ぐーちゃん〟に戻った気がした。
身体は天に昇り、名前だけが残ったのだ。
って意味不明だけど、そんな気がしたのだ。
ぐーちゃんの写真の前に猫缶を備えてある。
ふと思いついて小さな器に水を汲んで缶の横に置いた。
微妙な違和感……。
翌日には水を片付けた。
ぐーちゃんは食卓で皿の横に置いた水を飲まなかった。
食事を終えるといそいそと出窓に上り、そこにある器の水を飲むのだ。
風呂場には私の風呂桶とは別に、猫用に常に水を張った桶を置いてある。
その水は特別なご馳走感があるらしく、食事の後で直行することはない。
「そうだ!今日はあそこの水を飲みに行こうかな」
と思いついたかのように、ふらりと訪れるのである。
その姿も見られたくないらしく、そっと私の目を盗んで行く。
まるで隠れ家レストランである。
今も風呂場にぐーちゃん桶は残っており、時々水を取り替える。
防災用に使えるし……と言い訳しながら。
猫トイレや猫砂は、みまかるなり廃棄した。
トイレ部屋だけが残ったのは、粗大ごみに出す必要があったからである。
実はこれは、トイレ部屋としてはあまり長く使わなかった。
ぐーちゃんが箱の奥をオシッコで濡らすようになって使うのを止めた。
単なる棚として中や上に物を置いていた。
結局、粗大ごみに出しそびれて今も棚として使っている。
陽気がよくなるにつれ、どことなく猫のシッコ臭さが漂い始めた。
暖かくなって匂いが拡散するようになった?
やはり捨てるか?
迷いは尽きない。
最近はやっと部屋と部屋の戸を隙間を空けずに、ぴったり閉めることが出来るようになった。
窓は網戸も開けて換気をする。
いい気になって夜も開けていたら蚊が入って来た。
そんな季節になったのね。
結局、網戸は必須となる。
家に戻って来るたびに違和感に襲われる。
誰もいない。
おかしいな。
ここはぐーちゃんと暮らすために借りた部屋なのに。
そう遠くない将来、ここを引っ越すつもりである。
きっとね。
いつかね。
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