私の昔話20

「7歳でやる事か?」
アメ横の叔父さんの店の奥座敷では時々密談をやっていました。店には椅子席とその奥に座敷があり、2階はヤクザの夫婦に貸していました。一階の奥にもう一部屋あり、部屋の左横入り口にトイレがありました。トイレを必要なお客さんは座敷へ上がって用をたしていました。奥のもう一部屋で時々密談をやっていました。その部屋は店を通らず左横から直接入れます。密談のお客さんは左横から入ります。今は全部が密集してつながっていますが、当時から信用金庫がありました、その隣が畑で、その隣が叔父さんの店でした。私は外から見ていました。座敷に2人のヤクザが座り、真ん中の座布団の上に、茶色い油紙に包んだピストルが3丁から4丁乗っており。実弾も箱に入ってありました。お客さんが来ると油紙から出してお客さんに渡し、お客さんは感触を楽しんでいました。何回か見ていましたが、全てオートマチックでリボルバーは一度もありませんでした。当時のアメ横でピストルが売られていたかどうかは分かりませんが、私が高校生の頃、生意気に、いつもアメ横へ通称、洋モク(アメリカタバコ)を買いに行きます。マルボロ、L&M.セーラムなど専売公社では販売していませんでした。私はチェスターフイルドが好きで、いつも、アメ横のGパン屋のおじさんから買っていました。ある時、ピストル手に入る?と聞いた事があります。おじさんは、自動、回転、玉何発と聞いてきて高いよ2万円だよと言われました。大卒の初任給が1万8,000円の時代です。話は元へ戻りますが、ピストル密売の時は店のアメ横側で見張りをやらされました。まだ7歳です。その先では2、3人のヤクザが見張りををしておりました。不忍池側にも見張りがいました。毎回革の鞄に入ったピストルは全て売れました。私と一緒に見張りをしていたのは上野警察の私と気が合う女刑事です。不忍池側には男の刑事が見張りをしていました。私は革の鞄の黒塗りのクルマのヤクザらしきおじさんが帰る時に何度か100円を貰った事があります。今だと1万円以上かも。

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