私の昔話10

「四日市での生活」
漁村、磯津に着いた日に出たご馳走は忘れられません。それとあまりに母親の姉の家の電灯の明るい事、夜でもハッキリ母親や弟の顔が見えるのです。青森、小湊ではしばらく電灯もローソクも無い生活でした。電球が切れていて、代わりの電球が雑貨屋でも、どこの家でも無かったのです。夜のトイレは外の建物なので、怖くて朝まで我慢しました。ある時3人で青森まで行きました。あちこち歩き回りどこにも電球はありませんでしたが、青森駅近くの雑貨屋で事情を話したら、店の電球を一つ外してくれました。それに干した鱈を店に吊るしてあるのを貰いました。この瞬間だけは青森が好きになりました。磯津で最初に出たご馳走は白米です。本当にこれがご飯かと何度も香りを楽しんでおりました。渡り蟹の茹でたものも初めて見ました。刺身に煮魚もありました。茹でた渡り蟹は母親の兄が届けてくれ、最初の夜は漁師の網元をしている兄の高級住宅に泊まりました。翌日から近所の理容室の空き部屋で無料で生活する事になり、東京へもどるまでの6か月間母親の姉兄の家で食事をしました。父親が磯津まで迎えに来て無事東京へ戻る事が出来ました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?