私の昔話19

「おばさんとの別れ」
市川国府台病院に入院中の父親は5人兄弟でした。長男は上野アメ横の謙二郎叔父さん、次男は気狂いだからと言われ私は一度も会った事がありません。三男が私の父親で、四男が戦地で耳に銃弾を残したまま帰還し、青森の家をつぎ、私を1番可愛がってくれました。その下に妹が1人いました。青森の雲谷で最近100歳で生涯を全うしました。その妹が数ヶ月上野へ来て花嫁修行をしており、出来るなら上野で相手を見つけてと謙二郎は考えていたようです。よく働いた色白の津軽美人でした。いつも私とピッタリで夜も一緒に寝ました。1人の時はいつも泣いていました。アパに会いたいとホームシックにかかっていました。私は自由に生きられるので最高と毎日思っていたので理解出来ませんでした。ある時相談を受けました。青森へ帰りたい、しかし怖い兄貴は許してくれないので黙って帰りたいと。夕方の忙しい時間は、皿洗いと私の面倒をみる係だったので、忙しさにまみれて帰ったらと、7歳の私は協力する事を承諾しました。昼のうちに荷物を聚楽の横の朝鮮人部落に預け、叔父さんの許可をとって浅草の花屋敷に行きました。津軽美人のおばさんは今までにない笑顔で楽しんでいました。上野駅のガード下の屋台で2人でラーメンを食べ改札口まで送りました。明日の朝青森へ着きます。良かった、良かったと思いちょっと寂しいが案外気持ちはスッキリしました。店へ戻ったら叔母さん怒りましたが、叔父さんはそれで良かった、ご苦労さんと言い、それ以上何も言いませんでした。

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