81歳 幼少期の大冒険 10
「私の小学生時代の遊び」
私が生まれる前に関東大震災で破壊された浅草浅草寺の隣りの12階が残っていました。
この建物は紫雲閣、通称12階と言い、破壊されても東京の名物でした。何故ならば、12階建は日本で1番高い建物でした。
日本で1番大きな建物は同じ浅草の国際劇場でしたが、浅草まで千住から歩いて1時間ですからよく遊びに行きました。冬は浅草の手前の酉の市で皆が投げるお賽銭を拾いに行き、吉原遊廓を通過の時はお姉さん達が店の前で呼び込みをしており、お姉さんから食べ物を貰って一緒に食べました。夏は荒川まで歩いて2分です。千住新橋から荒川に飛び込むのがやみつきになりました。
飛び込んだまま死んだ友達が何人もいたので、親からは絶対に飛び込みはダメと言われていました。進駐軍の兵隊がジープで、ぱんぱんと呼ばれた娼婦と一緒に酒盛りをし、橋の上に停めたジープから飛び込んでいました。兵隊や娼婦からはチョコレートや缶詰を貰い、弟と一緒に食べた事もあります。千住新橋の下の二ヶ所に貸しボート屋が有って二ヶ所で10隻のボートがあり、夜は誰も居ないので、自由に乗り回し、小学生でボートのベテランになりました。
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