私の昔話4

「青森へ苦難の5日間」
現在上野、青森700キロは新幹線で3時間で行けます。母の話だと5日間かかったようです。上野駅の冷たい割れたむき出しの砂利と石の上に1週間も寝泊まりしていました。大きな戸は開け放しのため3月の寒さに凍りつくようでした。
死んだ人がそのままのため駅内は死臭がただよっていました。やっと列車が来ると言うので何百人が並びました。しかし直ぐに我れ先に列車に乗り込むため私達はどの車両も満員で乗るところがなくあきらめていましたが、母親と背中の弟、私を引き上げてくれた人がいました。私達は入り口付近に隙間を見つけ、板張りの床に座ることが出来ました。座席の下もトイレの中も連結器も人でいっぱいでした。走っては止まり、走っては止まりの連続でした。母親の話しですと宇都宮を過ぎてから空き始めたと言っておりました。その頃中の床に座り、だいぶ寒さをしのぐ事が出来、連結器から入ってくる寒さが和らぎました。しかし、敵機襲来でサイレンが鳴り、皆、列車を降りて近くの神社のある林の中へ残雪を踏みながら逃げ、しばらくB-29から見えないように沈黙していました。ある時は一日中田舎の駅に停まっており私はホームや線路で遊んだり駅や人家のほとんど無い周辺を探検して歩きました。その内青森や北海道へ渡る乗客が打ち解け、話しあったり、わずかな食べ物を分け合うようになりました。

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