私の昔話8

「玉音放送」
母親がそんなに苦労してまで青森に居たのは、父親が必ず迎えに来るとの約束があったからです。
春になり小湊小学校の校庭の桜を毎日見に行き、そこにある二宮金次郎の像の事を寝物語に母親から聞くのが楽しみでした。やがて夏になりラジオで天皇陛下の放送があると言う噂が立ちましたが、家にラジオが無かったので、役場と村に一軒だけある食堂にラジオがある事が分かり、食堂へ聴きに行きました。放送当日、店に入りきれないほどの人が集まったため、全員立ったまま棚の上のラジオから流れる玉音放送を聴きました。しかしそこに居た誰も天皇陛下の話した内容が理解出来ませんでした。唯一理解出来たのは私の母親で、戦争は終わった、日本は負けた、と話したら、店内は大ブーイングになり、母に向かって人々が天皇様がそんな事を言うはずがない、お前は気が狂ったかと、皆からののしられたと、母親はよく話していました。やがて国道4号線をアメリカ軍の戦車やトラック、ジープ数10台が青森へ向けて、つながって通ると、皆、戦争に負けた事を実感するようになりました。

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