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81歳 幼少期の大冒険 12

「私の小学校卒業の頃」
私は小学校入学の時、ランドセルも靴もなく、母親が夜なべして靴を作ってくれましたが、入学式の日、靴の糸が切れてバラバラになり帰りは裸足、翌日から下駄で通学しました。ランドセルはほとんどなく、半数の生徒が風呂敷に包んで通いました。住まいは、千住の大川町公園の前の6畳一間に間借りしており玄関は家主が出入りしており私達は6畳一間の窓から出入りしておりました。小学校高学年の頃父親の仕事が軌道に乗り、近くに家を建てました。
その頃にはランドセルも持つ事が出来ましたが、千住の子供は通学は下駄で、普段は外を裸足で走り回りました。千住を離れる時は下駄ですが、下駄の紐がよく切れ、ベルトに挟んでいる手ぬぐいを破って下駄を修理しました。
小学校卒業の時、謝恩会で生徒にアンパンを出すと噂に登りました。
誰もがアンパンは知っていましたが食べた事がありませんし、売ってもいません。
PTAの力で砂糖と小豆と小麦粉を手に入れ、アンパンを焼いてくれる工場を見つけ生徒全員感動で涙を流しながらアンパンを味わいました。
卒業の日、受持の黒木常雄先生は60人全員を職員室に呼んで、自分の机の上にあった100冊以上の本から選んで、生徒の名前とコメントを書き、一人一人に渡しました。皆感激して泣いている人もいました。50人過ぎても私は貰えないので、腹を立てましたが、60人目に先生がいつも使っている大型の国語辞典をくれました。

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