81歳 幼少期の大冒険18

「三十三間堂から清水寺へ」
売店のおばさんにボストンを預け出発しました。
どうしても1番最初に清水寺へ行きたかったのでおばさんに、遠いか近いか聞きましたら、誰も歩いた事ないので分からないけれど1時間も歩けば着くとの事、途中に三十三間堂もあるし、電車かバスにしたらと言われましたが、歩きますと言って駅の外に出ました。清水寺に興味を持ったのは、あの素晴らしい清水の舞台より、清水焼きの清水六兵衛と高橋道八です。高橋道八は天分五年に清水六兵衛より二年遅れで世に出た人ですが、2人の作品は?立ち読みの白黒写真を京都ガイドの中に見つけ、東京を離れる前から、誰の作品でもいい、清水焼きならいい、母親に、湯呑みを買って帰ろうと決めていました。清水寺へ向かう坂の途中左側のおばさん一人でやっている陶器屋で緑系の花模様のペアの湯呑みの一個だけ売ってくれないかとおばさんにせまった事を覚えています。その湯呑みは私が結婚して札幌へ赴任するまで食器戸棚に有りました。おばさんに、京都研究に来ている事を告げ、ノートを見せ、陶芸家、清水六兵衛と高橋道八の事も書かれていたので私に興味を持ったようです。
他の3冊も見せ、おばさんは本格的に見始めたました。私はその場に座らされ、出されたラムネを飲みながらおばさんの質問に答えておりました。4冊のノートを読み終わると私の希望する湯呑みを包装して、いい物を見せて頂いたお礼ですと言って手渡してくれました。お金を渡そうとしても、いらないと言って受け取ってくれませんでした。私は頭を下げ、清水寺への坂を上がって行きました。清水寺の前に三十三間堂へ寄りました。私の記録では三十三間堂は蓮華王院本堂と言って、三十三間の長さより1001体の先手観音が壮観でした。

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