わたしの昔話14

「アメ横での私の交流」
アメ横ではいろいろな人と知り合いましたが、1番心が打ち解けたのは殺された朝鮮人のお兄さんでした。聚楽の横の朝鮮人部落に何度も泊まり、一緒に語り合いました。おじさんの店の2階に居た背中に般若の刺青を彫ったヤクザのお兄さんは毎日顔を合わせましたが何となく好きになれなかったのは喜怒哀楽が激しく、奥さんをいじめる事が多く働かなかったのが気になりました。毎日店に来て夏でも熱燗を飲むヤクザの親分が居ました。必ず私に10円をくれます。5円でうどん、そば、ご飯、山積みの果物が買えた時代です。この親分1万円の麦わら帽子をかぶっており、この帽子が自慢で、坊やも大人になって立派なヤクザになれば1万円の帽子がかぶれるから俺の後継にになれと言われました。ヤクザの親分から貰ったお金はおばさんに渡しましたが、本当は千住の母親に渡せばどれだけ助かるか考えておりました。しかし常に幼心に一宿一飯を考えておりました。おばさんは衣食住の他、小遣いまで毎日、私が店の中を掃除すると、くれました。また1番気が合ったのは男の年寄りの刑事と若い女の刑事ですが、女の刑事に会いたくなると、上野警察に行きました。留守の事が多かったですが、私が行くと向かいの下谷神社を散歩し楽しい一時でした。ある時、店でおじさんが食い逃げ犯を捕まえ、女刑事に引き渡す時に逃げられてしまい、女刑事は追いかけ、捕まえて柔道で投げ飛ばし、しめ縄で結いて身動き出来ないようにしました。手錠もピストルも持たず、しめ縄だけだったように思います。

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