私の昔話11

私の昔話 戦中戦後第11回 アメ屋横丁
四日市から戻り、焼け野原の下谷西町の我が家の前に立ちましたが、隣の本当なら入学するはずだった西町小学校もありません。その先の下谷神社らしきものは見え、遠くは関東大震災で途中から焼け落ちた日本で1番高い建物、浅草12階がよく見えました。上野駅、聚楽、松坂屋も残っていました。結局、母親の伝で千住に六畳一間を借りる事になりましたが、そんな時、父親が発疹チフスになり、市川国府台病院に入院する事になり、生活に困り私は父親の兄、謙二郎が店舗を構える上野、アメ横に預けられる事になりました。謙二郎夫婦は現在のアメ横の釜めし春の向かいに飲食店を開いており、釜めし春の数軒先に稚内の親戚からスルメを仕入れ、販売する店を持っていました。私の両親と兄、謙二郎との約束が私の知らないうちに出来ていました。それは、一緒に生活する中で私がOKすれば私は謙二郎夫婦にもらわれて行く約束だったようです。何度もそんな事はありましたが、私は嫌だと、つっぱねました。謙二郎は後に飲む、打つ、買うと、明らかに怪しい裏の仕事で奥さんに逃げられ、向島の病院で1人寂しく死にました。父親が引き取り葬式を済ませ、八甲田山の見える墓地で眠っております。父親の兄謙二郎はアメ横のボス?でしたから私はアメ横で7歳では考えられない数々の恐ろしい体験、凄い体験、楽しい体験をしました。

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