私の昔話15
「上野松坂屋」
何度か1人で歩いて銀座へ行きました。1時間の距離です。楽しみは上野から銀座まで途切れる事なく露店が出ておりました。夜はカーバイトの明かりが光っていました。秋葉原、神田、日本橋と一軒一軒見て歩き道路の反対を戻りました。歩道は石の道路でしたが、車道は舗装されていないのて、風が吹くと銀座通りも土ぼこりが舞い上がっておりました。1番近かったのは5分で行ける上野松坂屋です。松坂屋は1日居ても飽きない楽しいところでした。特に屋上の備え付けの双眼鏡は遠くの景色が見えるのが驚異的でした。松坂屋には案内係の美しい女性がエレベーター係を兼ねていました。私の記憶では、10人ほど居た彼女達は2人ずつ案内係とエレベーターは1人で動かしておりました。私がどうして詳しいのか、エレベーター係の女性は全員友達になっていたからです。松坂屋へ行くと毎日2階の文房具売り場へ行き色鉛筆を見るのが好きでした。また、同じエリアにある万年筆売り場を見るのが楽しみでした。14金の万年筆が売れると、ペン先を書きやすく削ってお客さんに書かせてから販売していました。色鉛筆は当時、赤と青しかありませんでした。しかし松坂屋のウインドの中には10色の色鉛筆が一箱だけありました。売れないようにと祈りながら松坂屋へ行くと必ず見に行き、色鉛筆があると安心しました。ある時色鉛筆が無かったのです。売り場のお姉さんに聞くと売れたよとニコニコしながら言うので私は落胆しました。休憩室で、私を1番可愛がってくれる案内係のお姉さんが松坂屋の包装紙を出し、坊やへの贈り物だよと言ってあの色鉛筆を渡してくれました。このお姉さんとは小学校の高学年になっても千住から遊びに行きました。千住の自宅に夜お姉さんは挨拶に来て、結婚して秋田に帰るからと言われ、手をつなぎながら千住の都電の終点まで送ったのが最後でした。
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