私の昔話5

「地獄への第一歩」
まだ夜が明けない清水川駅に着きました。誰かが出迎えてくれた分でもなく父親から聞いた母親の記憶をたよりに父親の実家、口広の部落へ向かいました。清水川駅は下北半島の入り口、野辺地、狩場沢、清水川と続き、青森駅の手前にあります。3月の清水川は陸奥湾の潮風が肌寒く、歩いても歩いてもたどり着かない遠い道のりでした。当時は家に表札など無く、人通りも無く、やっと訪ね当てた父親の実家でした。引き戸を開けて入ると祖母が玄関に居て、よく来たなと出迎えてくれましたが、続いて出て来た祖父がすごい剣幕で母に怒っており、家には上げてもらえず、私達は早々に外へ放り出されました。親子3人、今来た清水川駅へ向かって重い足を引きずり、戻るしかなかったのです。何日後に来るか分からない列車を待って、戦火の東京へ戻るのかと思った時に、幼な心に母親をガードしようとしていた気丈な5歳の私も緊張が崩れて泣き出しました。母親も声を出して泣いていました。
母親と祖父の間に何があったのか何度も聞きましたが、もっと大きくなったら話すと言い私が成人してからも聞きましたが、言葉を濁し、結局母親は墓場まで持っていってしまいました。清水川駅近くまで歩いた頃、後ろから追って来た父親の妹に呼び止められ、近くに親戚が居るからと、今夜泊まるところを探しに隣の小湊まで歩きました。
実際には、さらに遠い道のりと背負った弟の重さに母親は何度も凍りついた道路に座り込みました。

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