81歳 幼少期の大冒険 5

「野宿と駅の待合室への宿泊」
野宿を想定して夜、千住の土手に行ってみた、怖くて無理だった。5歳の頃、青森の疎開で真夜中、生きるために畑へ忍び込んでキュウリやトマトを盗んだ、母親にやめろと激怒されたが何度も繰り返した。弟は喜んで青いトマトにかじりついた。食べる物がなく空腹の毎日だった。野宿は無理なので、上野駅の待合室へ日曜日になると人の動きを見に通った。今、ハードロックカフェがある場所に大きな待合室があり、東北から出て来て待合室を旅館代わりにしている人は沢山居た。駅へ通じる地下道は40、50人の子供の浮浪者であふれていた。京都、大阪の事は上野駅では分からなかったが、こちらが積極的に出ると上野の駅員さんも積極的に京都や大阪に電話して待合室や売店がある事を確認してくれた。
私の考えは待合室に泊まる事と売店に無料で荷物を預ける事だった。当時何処の駅でも手荷物一時預かりは出来たが有料だった。

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