見出し画像

子どもの教育格差と自己責任論

NewsPicks の Weekly Ochiai に出演しました。

前回の「コロナ格差と教育を考える」に続いて今回は「子どもの教育格差と自己責任論」と教育格差がトピック。

なかなか白熱した議論が繰り広げられたが、こんな議論をしていては、教育格差の課題は一生解決されないな、、、と猛省した。そもそも番組として教育格差の実態や自己責任論について全く言及できていないので、観てくださっていたかに申し訳ない気持ちも。

番組が終わって、もやもやする気持ちしか残らなかったので、書くことにしました。

データは取れるようにするべきだ
松岡先生のデータの必要性に対する議論は正論でしかない。教育領域、福祉領域でデータが集められてこなかった事に対するフラストレーションは十二分に共感できるし、理解できる。

結局データがなければ机上の空論になるし、データなくして施策を遂行する事は、各々の経験に基づくバイアスがかかってしまい、必ずしも成果に繋がるとは限らない。そして成果を測定したり費用対効果を検証することができない。

課題は待ったなし、そんな悠長な事を言っている場合ではない
ただ、データを取れるようになるまで待ってはいられない。子どもの貧困から派生する教育格差の問題は待ったなしの問題である。また、データが取れたとしても果たして根本的な課題解決に繋がるのかは不明である。

僕たちが解決しようとしている課題はデータだけでは表現できない複雑で難解な課題なのだ。

Teach For Japan の代表を務めていた時、困難校と言われている学校を訪問した事がある。まさしく子どもの貧困問題を集中的に抱えている地域の真ん中にある学校だった。中学校にも関わらず、グランド周辺にはタバコの吸い殻が捨てられており、その中で、とある中学生と座りこんで話す機会があった。

画像1

彼は自分の置かれている状況を把握しており、どうにかしたいと思っていた。高校に入ったらアルバイトして少しでも自立に向かっていけるように頑張りたいとも考えている子だった。そんな彼から衝撃的な一言を投げかけられた。

「まっちゃんわからんと思うけど、ワシがどんだけ頑張ろうとしても親が反対するんや。殴られることもある。ワシが働いて金稼ぐってことは、世帯所得が上がって、金(生活保護)が入ってこなくなるんや」

これは彼の事例でしかないが、こういった事例が山ほどあるのが子どもの貧困問題や教育格差の問題である事は忘れてはならない。

これはデータではどうもならんのです。

データよりもまずはログ
冒頭にデータを取る事の重要性については触れたし、松岡先生の本中室牧子先生の本を読んでいただければ、十分に必要性については理解してもらえると思う。

ただ、データは政策や施策レベルを検証するのには良いが、本当に目の前の子を救うためにはそこまで役に立たないと考える。先ほど申し上げたようにあまりにも個別具体的な事例が多いからだ。

ただ、ログは絶対にとっていくべきである。子どもの貧困といえど、「生活レベルで苦しい」のか、「学習特性と学校の教育が合わない」話なのか、「家庭状況の問題」なのか一つ一つ課題の真因が違うのだ。

そこに対して現場レベルでは、限られた資源で、一生懸命支援をしている。ただ、非常に厳しい労働環境でもあるので、離職率も高かったり、各所機関と連携する際も情報伝達も不十分な実態もある。それを無くすためにもログをしっかりとデジタルで残し、適格に状況を理解しながら必要に応じて情報共有をし、包括的に支援する体制や仕組みが求められている。

つまり、検証を目的にしたデータ収集は不毛であり、課題解決に向けたデータ収集が今求められているのだ。

石戸さんが主張している教育のDXはマストで、もはやインフラの話
現代の格差の構造は、学校外教育(塾や習い事)に通う事ができるか否かによって明確な学力格差の開きがあり、進学格差に連鎖する。全世帯の大学進学率が73.2%なのに対して、生活保護世帯の進学率は半分程度の33%まで減少。

「大学に行かなくても成功できるよ」という話も聞く。大学に行く事が全てだとも思わない。ただ、データで見ると、大学に行けるかいけないかは人生に大きな影響を与えているのだ。

男性の最終学歴が高校と大学の場合、初任給は43,600円もの差があり、最終学歴が中学と大学で比較すると涯年収は7,600万円ほどの差が生じる。女性の場合は1億5,000万円にも差が開くと言われている。

さらに深刻なのは、この格差は次世代に連鎖していくという事だ。

就労の在り方や働き方、仕事の性質が現代社会のように工業化社会の延長(に近い状態)では、目の前にある学力格差・進学格差は解消していくべきである。(理想を言えば、そもそもAI社会下の仕事の在り方やベーシックインカムの是非等の組み込んで教育のグランドデザインを早急にしていくべきだが、時間はかかる。何度も言うが子ども達は「待ったなし」の状況だ)

学力格差や教育格差の解決に対して、人依存のモデルは限界がある。うまくいく事例もあるが、人依存になるためスケールできない。「人増やせ!」議論を前提にした議論は避けなければいけない。

DX(デジタルトランスフォーメーション)があらゆる業界にインパクトを与えているように、教育の領域や福祉の領域でも効果は発揮する事が想定できる。

少なくても、僕が見ている現場では塾に通えない子どもたちが質の高いオンデマンドの授業にアクセスできるだけで学習意欲を高く保ち、学習しているケースはある。

もちろん「それは意欲が高い子ども達にしか効果がない。意欲がない子どもたちに対する支援にはならない」という批判は甘んじて受ける。

だが、意欲の高い困窮世帯の子どもたちに成果がある時点で成果である。それは否定するべきではない。

また、意欲がない子どもたちに効果がないのは、今のところスケールする規模感になっていないからであり、教育のDXが「旧来型の授業をオンラインにする」に思考がとどまっているからである。

教育のDX、オンライン教育に未来はある
質の高い授業をオンラインにするのは入り口でしかない。オンラインに良質なコンテンツを供給するところから始め、そのプラットフォーム上で教育データや学習ログを蓄積していく。そうする事に一人一人の特性を把握する事ができる。その特性に合わせて個別最適化された学習内容を届けていったり、リアルな介入を可能とする。

うちのオンライン学校では性格診断に基づいた教員のマッチングも行っている。特定の教科が嫌いになったり、学びが嫌いになる事は先天的な事ではない。最初に教えてくれた先生が生理的に受け付けなかったり、先生の教え方が生徒の学び方の性質が合っていない事が原因だったりする。性格診断を行い、生徒・先生のマッチングを行うだけでも学習効果は各段に上がる。そこにさらに学習データを蓄積し、データ解析やマッチングの精度を高めていくのだ。

教育の質を向上するのにも貢献できる。先生から生徒、そして生徒から先生のフィードバックも、定量的なデータを集めることができる。授業中のありとあらゆる情報を活用するのだ。当校では、授業中の発言やクイズの回答状況を分析し、生徒にポジティブフィードバックも提供することができるようになる。近い将来、表情を解析できるようになる。どのポイントで集中力が切れてしまったのか等を理解する事で先生が授業設計の改善に生かす事ができるのだ。

画像2

きめ細かいデータを収集する事で、これまで授業の中では見過ごされた小さなきっかけも広い、生徒のやる気を引きだすツールにすることができるのだ。

コンテンツそのものもデジタルを活用し、よりエンゲージメントが高いものにしていく事ができる。当校ではVRやARを使って理科の実験ができるように準備を進めている。

オンライン教育はただ単に意欲が高い生徒の学習効果を引き上げるにとどまらず、厳しい状況にいる子どもたちに良質な教育を提供するために有用なツールなのだ。

松岡さんの話していた「何も変わっていない」は間違っている
データや統計で見れば何も変わっていないと感じるかもしれない。そして課題の深刻さから、もっともっとやれる事がある事は僕は十二分に理解している。松岡さんのフラストレーションは否定しない。

しかし変化の兆しはある。

僕が Learning for All(社会経済的に困窮している児童生徒に対する学習支援事業) や Teach For Japan(教員派遣事業) を立ち上げたときは、一部の学者と現場で奮闘している方以外、誰もこの課題を認識していなかった。

経済界の人や東京にいる「意識高い」方々に訴えかけても「日本には格差なんてない」「途上国の方が深刻だ」「日本に子どもの貧困なんてない」と言われ続けた。

その当時から比較して、子どもの貧困問題や教育格差の問題に取り組む団体や個人はだいぶ増えたと思う。ゴールドマンサックスの4億円の寄付に続いて、先日MUFJも約2億円の寄付を決定した。

何よりも昨日の番組に出ていた山邊鈴さんのような高校生までこの問題の解決のために立ち上がっている。僕は今、BLAST! Schoolという高校生の課外活動を支援する高校生向けインキュベーション事業を展開しているが、多くの高校生が応募段階で格差の問題を解決したいと事業案を提出してくる。

日本経済新聞やNewsPicksのようなビジネス系メディアでもたくさん取り上げられるようになった。

確実に変化しているのだ。この変化を見ずして、フラストレーションだけぶちまけてもどうもならんのです。

課題に対する直接的課題解決と共感力を育む「Teach For America」
僕はやはり Teach For America のモデルに可能性を感じる(もしご存じない方や僕の本Wendy の本 を読んでいただきたい)。全米で最も優秀で情熱のある人材を、大学卒業後に困窮地域の学校に先生として派遣していくのだ。優秀な人材が現場で入ることで、課題解決が一歩進む。二年間限定のミッションを終えた先生も、驚くことに7割が教育領域に残り、3割が他の領域のプロフェッショナルとして活躍していく。

画像3

何が良いかって、今まで教育格差を是正する事や教育に携わる事を考えたこともないようなハーバード大学、コロンビア大学等のトップクラスの人財(卒業生)がこの二年間を通して教育をキャリアとして考えるようになるのだ。

そして、困窮地域の教育現場のリアリティを理解した上で金融やコンサルなどのビジネス領域で活躍していく3割の人財も、課題の本質や課題に対する共感を持ったまま、各々の立場(学校の外)から課題解決にどう貢献できるのかを考え行動を起こしているのだ。

このように課題に対する共感力を持ったリーダーを一人でも多く増やしていくしかない。

やるべきことを、やるだけ
現場を経験しないと何もできないという事ではない。この問題を口にする人たちが全員行動を起こしてい行く事ができれば、課題は必ず改善されていく。

松岡さんは、引き続きデータを収集できるプラットフォームや仕組みを構築する。

宮田さんは、これまでの実践で蓄積されたノウハウを共有しながら発信もしていく。

石戸さんは、デジタルの側面から教育の質の向上や教育の機会均等を実現するための政策立案や事業構築を進めていく。

落合さんは、山邊鈴さんの訴えに応じ、引き続き様々なメディア媒体を通して世論を動かしていく。

佐々木さんは、引き続きNewsPicksで教育格差や子どもの貧困問題について取り上げる。(佐々木さん、続編をお待ちしています)

そして、山邊さんは引き続き自分の目標に向かって走り続ける。

やれる事をやっていくしかないのです。

これを読んでくださっている方も是非とも行動を起こして頂きたい。

それは寄付でも良いと思う。
ハッシャダイソーシャル
カタリバ
あしなが育英会
DxP
Kidsdoor
Learning for All
Teach For Japan
Chance for Children
他にもたくさん団体はある。

Teach For Japan の先生になるチャレンジでも良いと思う。

やるべきこと事を、やるだけ。

一つ一つの行動が積み重なり、いつの日か、「生まれた環境にかかわらず、全ての子どもたちの可能性が最大限生かされる社会」を実現することができるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?