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女子マネ化する女性たち


女子校•リベラル•ユートピア

もう20年程前、埼玉県にあるリベラルな女子校に通っていた。

当然だが、1学年400人、3学年まとめて1200人、全員女。

文武両道の精神のもと、文化祭、体育祭、生徒会などすべての活動を女子だけで作っていく。

生徒会長は女。文化祭実行委員も女。

「女子しかいないんだから当たり前でしょ」と言われると確かにそうなのが、思い返せば共学の公立中学に通っていた頃は、あらゆる「長」は100%男子だった。女子はなっても副会長。女子がトップに立って、頼もしく1000人以上を引っ張るなんて、かなり特殊な社会だろう。女子校ならではだと思う。

女子校に通っていて興味深かったのが、語弊があるかもしれないが「男性的」な女子が一定数存在することだ。体育祭では縦割りで3年クラスから選ばれた団長とチア長がリーダー役となる。団長になるのは、大抵ショートで「男の子っぽい」女の子だった。

文化祭のミスコンも特殊で、いわゆる女子アナ的な容姿の子はあまり出ない。「彼女にしたい子」だけではなく「彼氏にしたい子」部門も設けられてあり、事前投票で各部門1位だった子たちがステージで競う。その競い方もパン食い競走とか(笑)、ミスコンらしからぬ争いが繰り広げられていたっけ。ステージ上にはかわいい子から、めちゃくちゃかっこいい系の子まで、髪振り乱して必死にミスの座に勝ち取るために争っており、そこにはメディアが喧伝する「かわいい」なんてなかった。

女子の女子による女子のための学校。今となっては、その3年間は本当に、本当に貴重なユートピアだったと分かる。

女子校卒、女子マネ化

女子校、ユートピア。しかし、卒業して何年かたって、「あれ?」と思うことが増えた。

例えば、学校内で有名なバンドのボーカルで低い声でブルーハーツなんて歌っちゃう先輩。都内の有名大学に進学したと聞いていたが、その何年後かに一般職で事務をやっていると人づてに聞いた。先輩はいつもエネルギッシュで、文化祭でも体育祭でももちろんみんなの前に立って先導していた。その先輩が主に総合職のサポートに徹する一般職? 先輩なら部下を何人を持って海外出張もこなすような営業が向いていそうなのに。なんて、こちら側のイメージを押し付けて思ってしまった。

他にも、同窓会で久しぶりにみんなに会うと「同じような感じの女子」に寄ってきているように感じた。セミロングで清潔感のある茶髪、メイクも目を中心に丁寧にほどこしている。話題は、プロポーズされた、次は誰の結婚式…などなど。婚約指輪を見せ合い、どこのブランドなのか1人ずつ言っていく、値段も、「うちは40」(40万円のこと)とか「うちは給料3ヵ月分にしてもらった」とか言い合うのだ。「◯◯ちゃんはすごいよ、60だよ」に賞賛の声があがる。

「昔は耳出しベリーショートで彼氏もいなかったのに、◯◯も女になったね〜」「今は事務をやっているけど結婚するから会社をやめて主婦になるんだ」なんて声も聞こえてくる。

その場でうまくリアクションできず、「みんなキャラが変わった」と心の中で1人思ったのが27才くらいのときだろうか。

今となっては、あれは単にキャラが変わったわけじゃないんだな、と思う。

彼女たちは、生き延びるために最適化したのではないか。もっと言うと変わらざるを得なかったのではないか、と思うのだ。

女子校時代にリーダー役を引き受けていきいきしていた子や、体育会系部活に所属して「かっこいい」と女子におっかけされていた子が、卒業後に「変わる」ことを、私は女子の女子マネ化と呼んでいる。

要はこういうことだ。この社会でリーダー役は男性が引き受けることが多い、大学のサークルでもそうだし、会社に入ればずっとそう。女性は一般職などサブ的な立場に立つほうが、男性が「扱い」やすいし、セミロングでモテ系のファッションメイクに徹したほうが男性にモテやすい。女子の女子マネ化は女子のコスプレでもある。

もちろん女子たち、当事者が自身の意思を持ってその役に徹するのならば、それでいいと思う。しかし、女子校時代の友人たちが、リーダーシップ能力を発揮して生き生きと活躍していたのを知っている私は、もしかして最適化せざるを得なくて変化した人もいるんじゃないかと勘ぐってしまう。

女たちはサブに徹するべきなのか。おとなしく意見を言わないべきなのか。男性を立てて愛嬌で生きていくべきなのか。

そんなことはない。女だって腕を振ってもっと大きく動くことができる。「女子」らしくなく、ダイナミックに。リーダーになりたい人が、なる能力のある人が、周りを気にせずに実力を発揮して生きられたらいいのに。いや、生きられるようにしないといけないなと思う。


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