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人物列伝① 秋田和徳氏(グラフィックデザイナー)前編 〜黒夢のオファーから1999年まで〜

 筆者と関わりのあるクリエイターなどの人物列伝、書き始めるなら第1回はこのお方と前々から決めていた。今回は、トークイベント「Editors talk」の出演者紹介も兼ねている。

 秋田和徳さんと最初に出会ったのはなんと1992年。筆者は宝島社の月刊誌「BANDやろうぜ」の編集者(と言っても最初はバイトに毛が生えた程度)で、秋田さんは主に書籍部に出入りし単行本の装幀などを手掛けていたデザイナーさん。直接仕事をお願いしたのは93年の春。筆者は入社から1年足らずのころ会社のエラい人から「キミが売れると思うバンドをひとつだけプロデュースして。うちの雑誌で売り出して」との使命を受け、「今、売れるっていうなら黒夢に決まってますよ」と、まだ地元在住のインディーズバンドだった黒夢の3人を密着取材することに。そこで、ページのデザインは、通常であれば雑誌と契約を結んでいるデザイン会社の人にお願いするものなのだが、筆者は “黒夢らしい” 尖ったカッコいいページにしたかった。すると、勤めるフロアが隣だった書籍部の先輩N氏が「それなら秋田くんにお願いするといいよ。秋田くん、そういうの得意」と推薦してくれた。フリーのデザイナーに発注することは特例だった。
しかし秋田くんって、書籍部に出入りしてる全身黒のファッションのあの人か…?という印象だったのだが、実際、担当ページのデザインをお願いすることになって対面した秋田さんは、ありえないほど細い脚の革パン姿、黒のサングラスといういでたちで「BANDやろうぜ」編集部に現れた。グラサンを外すと眼光鋭く、語り口は低く穏やか。筆者は臆することなく最初からああだこうだとデザインに関するオーダーをまくし立てたはずなので、おそらく“クソ生意気なバンギャ上がりめ!”くらいの印象を持たれたのではないだろうか(苦笑)。いま思えば筆者は20代前半、秋田さんもまだ20代だったころの話。時の流れとはおそろしい。。

 そうして黒夢初の連載「夢中占夢 〜むちゅう ゆめを うらなふ〜」は始まり、その後、秋田さんを初めて黒夢のメンバーに紹介することになったのは93年8月28日。なぜ日付まで分かるかというと、その翌年に発売となる黒夢の単行本(連載名と同じ)にそう書いてあるからだ。91年から94年10月30日までに何があったかは大体あの本にすべて書いてあるので重宝する。
 すでに上京し、品川のスタジオでレコーディングの準備をしていたメンバーや、メジャーデビュー時のレコード会社・東芝EMIの担当者と会ってもらったのだが、デビューアルバム『迷える百合達』などのデザインを秋田さんが担当することに決まったのはそれからすぐのことだったのだと思う。
(その時、黒夢のヴォーカル清春氏が秋田さんと話していた内容をよく覚えているので、その話はまたいつかの機会に。)

 これは昔から思っていることなのだが、秋田さんを誰かに紹介すると、みんなすぐに秋田さんを好きになってしまう。デザインはもちろん、人間としても。たとえば筆者の後輩の女子Kが、ある日、編集部へ出社するとよそ行きのような服を着て唇を真っ赤に塗っていた。「どしたの、それ」と聞くと「だって今日、秋田さん来るんでしょ。打ち合わせに」。本気か。どうやらみんな本気のようで筆者の前任者のHも、そのあと紹介することになる編集者Aもみんな秋田さんが大好きで「どうしよう、緊張する〜」などと頬を紅潮させるのだ。アーティスト(男性)にしても、必ず「秋田さんにライブを見てほしい」と言うし、ライブ後、筆者を見つけると「今日は秋田さん一緒じゃないの?」などとかなりの確率で聞かれてしまう。秋田さんに何か言ってもらうことがたまらなく嬉しいようなのだ。筆者ももちろん秋田さんが好きだからいろんな人に紹介するのだが、それ以上にみんなが秋田さんを好きになってしまうので、ちょっと一歩引いたような状態でみんなを観察する役柄となっている(笑)。

 みんなが秋田さんを好きになる理由として一番に挙げられるのは、言うまでもなくその真摯な仕事振りと、仕上がってくるデザイン(アートワーク)に込められた秋田さんの “対象への愛” を感じるからだと思う。アーティスト本人ならば、作品を見て “自分は愛されてるんだな、理解されてるんだな” と嬉しくなってしまうだろう。秋田さんの仕事場には常に音楽が流れている。たとえばアルバムジャケットの仕事ならばその音源を聴き込み、細部に渡って秋田さんなりの解釈がデザインを通じて込められる。それを見たリスナーも、自分の愛するアーティストが理解されている喜びを噛みしめる。そんな愛の連鎖さえ生み出す美しいデザインワークを、一歩引いた立場からずっと嬉しい気持ちで眺めさせてもらってきた。
なかでも、98年あたりに紹介させていただいた漫画家・楠本まき氏とのコラボレーションはそれは見事なものだ(その経緯は、2021年7月に刊行された『線と言葉 楠本まきの仕事』にも寄稿した)。
もともと『KISSxxxx』(楠本氏の伝説的漫画)の線の細い登場人物のようだと思っていた秋田さんが、1999年発刊の『KISSxxxx』愛蔵版の装幀を手掛けることになり、わたし自身が一番ニヤニヤしてしまっていた。
発刊イベントには『KISSxxxx』読者であった “まきChildren(まきチル)” を自称するミュージシャンが我れも我れもと参加し、その後、彼らはこぞって秋田さんにデザインを発注したがるという流れに…。遠慮せずに書くとcali≠gari(カリガリ)やPlastic Treeなどのバンドがそうである。また、楠本まき氏との、現在なお続く共同体のような作品群もすべて素晴らしいのでぜひ手に取ってじっくりと見ていただきたい。

 そして、これまで文中に登場した黒夢をはじめ、cali≠gariやPlastic Treeらを音楽誌「FOOL'S MATE」で担当し、記事をつくっていたのが東條雅人氏だ。この記事の後編では、秋田さんと東條さん、その関係性についても書かせていただきたいと思う。


(文=伊藤美保)

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