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縁もゆかりもない土地への移住を決断できた2つの理由

二川智南美

こんにちは。二川智南美と申します。

群馬県出身で以前は東京の編集プロダクションに勤めていましたが、縁もゆかりもなかった宮崎県新富町を訪れたら「住みたい!」という直感がビビビときたので、彼氏(現夫)を連れてスピード移住しました。今は夫婦で新富町の地域おこし協力隊をやっております。

と、自己紹介すると「なんちゅう行動力(笑)」とか「彼氏よくついて行ったね!」なんて褒めて(?)いただきます。ありがとうございます!

一方で、「移住なんて大きな決断をなぜできたの?」「周囲の人は反対しなかった?」といった質問もよくいただきます。仕事の都合でもない、親戚もルーツもない、パートナーもまったく無関係の、たった1回訪れた人口1万6千人の土地へ移住する。あれ、こうやって客観的に書くと、ものすごく無謀に見えますね? みなさんの疑問、ごもっともです。

ところが私には「大きな決断をした」という自覚がありません。移住をためらわなかった理由は2つあります。

1つ目は「南九州移住ドラフト会議(現在の名称は九州移住ドラフト会議)」に参加していたこと。“球団”と称した地域が、“選手”と呼ばれる移住志望者を指名して、地域との関係をつくるイベントです。“選手” だった私を指名したのが、 “球団” の新富町でした。

こうした背景があって新富町へ足を運んだので、初訪問にもかかわらず、史跡や名所に限らない町の特徴や、課題、取り組みを教えてもらえたり、町のキーパーソンに会えたりと充実した時間を過ごせました。

なにより、「指名されたから受け入れてもらえそう」という安心感がありました。一方的に魅力をPRされるより、「あなただから来てほしいです」とアプローチを受けるだけで、その地域への好感度はぐっと上がります。恋愛と同じですね。

移住をためらわなかったもう1つの理由。それは、私の両親も、縁もゆかりもない土地への移住者だったから。なんだったら、祖父母も同じことをやっています。

宮崎に住むと報告した時、両親は「これで遊びに行く拠点が増えたわ〜」と喜んでましたし、祖父母は「いいんじゃない」とあっさりした反応でした(笑)。

家族がこんな感じですから、私自身の移住に対するハードルは低いどころじゃありません。「いつか自分も見知らぬ土地へ移り住むのだろう」と無意識に考えていた気がします。

移住のメリットがいくらあっても、「移住を決断する」という一歩を踏み出せるかは、土地への安心感やロールモデルの有無、そして背中を押してくれる存在が欠かせないのではないでしょうか。


二川智南美
宮崎県新富町 地域おこし協力隊

東京で歴史系の本をつくる編プロに勤めたのち、九州移住ドラフト会議で指名を受けた新富町に移住。22年3月まで町役場に席を置き、広報誌のリニューアルなどを行う。現在は地域商社・こゆ財団の広報チームとして、町の魅力発信のための記事・チラシ作成などを行う。協力隊任期後に向けて、どんなメディアを作ろうかと奮闘中。


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