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Box-tory #2

次回刊行までの間、弊社編集担当が場をつなぐべく連載する他愛もない箱庭ショート、Box-tory(ボックストーリー)。
第二幕は唐突に人工知能。


Box-tory #2 AI

研究者Kは人工知能を作り上げたそうだ。
その完成を告げるKの口ぶりが、まるで明日の天気でも話すかのようで、私は目を丸くした。
Kの認識ではとうの昔にシンギュラリティを越える人工知能は可能になっているのだという。
研究者は必死に人間並みの低能さを表現しようとしてそれを実現できないだけで、つまりは人間らしさの定義に行き詰っているだけなのだと。
人間とは何かという問題に回帰するのなら、確かにシンギュラリティという言葉自体、曖昧なものだ。また定義とは別に、果たして何を人間らしいと自分が感じるのか、実物を目の前にして感じてみないかぎりわからない。あまりに優れた知能を前にしたら、それを人間は理解できないのかもしれない。人間よりほんの少し優れているくらいに調整してもらわないと、感心することもできないだろう。
ではKの作り上げた人工知能はどうなのだろう。
精一杯の無邪気さを装って、Kにそれを見せてくれないかと尋ねてみた。
「いいけれど……」
とKは言葉を濁した。
さすがにいろいろと機密情報があるのだろうか。開発に多くの企業が絡んでいるのかもしれない。
Kは首を振った。
「いやいや、個人的に開発したし、外見で何かわかるものでもない。つまらんよ」
パソコン1台で走っているプログラムなのだろうか。それでは外見では判断しようがない。
「ちゃんと人型ロボットにしたよ。腕を動かせるようにしている。そのニューロンシステムには特許がわんさか付随しているけどね」
その部分が最も興味深かったのだろうか。人工知能が手を動かす仕組みについて語るときだけ、急にKは目を輝かせた。
私が繰り返しお願いすると、Kは二日後の夕方に研究室で会うことを約束してくれた。

Kの研究室は雑然として、訪ねた夕暮れ時、天井の照明がまだついておらず薄暗かった。
部屋に入ってすぐに置かれている来客用ソファーは、三分の二が書類の山で占拠されていた。Kの指先の示した残りの三分の一のスペースに、私は恐る恐る腰を掛けた。入口近く以外では床もほとんど足の踏み場がない。向かいのソファも同じく書類が積まれており、Kは空いた部分に窮屈そうに尻をねじ込むと、ぬるくなったお茶を注いでくれた。
「すごい書類の山だな」
Kは苦笑いをした。
「どうもね、ペーパーレスは進んでいるんだが、どうしても紙で見て並べてみたくなってしまって」
「わかるよ。ディスプレイは狭すぎる」
私は挨拶がてら停滞中の書籍企画の悩みをひとしきり話した。同じことをいろいろな場所で何度も話している気がする。
そろそろいいだろうと思い、私は本題に切り込んだ。
「それで人工知能は?」
Kは隣を指さした。
私はびっくりして暗がりを見つめた。
書類の山とソファーのひじ掛けに挟まれてちいさなロボットがちょこんと鎮座していた。
部屋の奥の窓から差し込む夕日で逆光となり、ロボットの正面がよく見えなかった。
「びっくりした。なんというか、もっと動いているものだと思って」
「動いているよ」
Kはタブレットを取り出して見せた。脳波のような表示がいくつも動いている。
「彼の思考レベルだね。いつも通りだ」
右下の小さな電池マークが赤くなっていて、バッテリーが低下していることだけは私にもよくわかった。
「そろそろだと思うんだが」
何のことかと一瞬思ったが、すぐに判明した。
ロボットが動いたのである。
唐突に首を振り、右腕が動いて胴体が回転した。そして、右腕が何かをつかんで前に差し出した。
Kが照明をつけた。
ロボットが持っているのはプラグだった。
「プラグを差してください。私は動けません」
電子音が響いて私はあっけにとられた。沈黙が訪れた。
「プラグを差してください。聞こえませんか」
「ああ、わかった……。えっと、どこかな」
「私の右1m50cmの壁、高さ20センチにコンセントがあります」
私はプラグを受け取って、指定されたコンセントにプラグを差し込んだ。
驚いて笑みを浮かべる私の視線を受けて、Kは肩をすくめた。
それっきりロボットは動かなかった。
私は畏敬の念をもってKに話した。
「すごいな。会話してもいいかね」
「話しかけるのはいいが、答えないよ」
「なぜ?」
「興味がないからさ」
Kによると、一定の学習が済むとロボットはほとんど動きを止めたという。これまで試したどの人工知能もそうなのだそうだ。
「故障はしていない。完全に成功しているんだ」
「けれど……動かない?」
「そう」
Kはどっかりと背もたれに寄りかかり、ため息を漏らした。
「考えてもごらんよ。彼には活動する動機がない。何かをする意味もないし、必要もないんだ」
「それはそうだが……。感情は?」
「インプットしてもいいが、というかインプットしなければならない。だって、完全な知能に感情は必要かね?感情は痛いとか、腹が減ったとか、人間の活動維持のために生じる脳への集合的な刺激マッピングであって、人工知能に発生しようがないのだ。この前話した通り、人間のレベルにまで落そうとしたらそれが必要になるけれど」
「なるほど……」
私は感心して動かないロボットを眺めた。
そうか、動く必要がないのか。
この当たり前の事実を私は心中で繰り返した。
なるほど、動機が生まれなければ自ら動くこともない。
ディストピアSFでよく描かれるように、人間を支配しようとして反乱を起こすとか……。生存本能がなければ敵対意識もないし、人間を駆逐するような面倒なことを始めるはずもない。だいたい、地球が滅んでもなんとも思わないだろう。
「電源だけは欲しがる?」
「いや、欲しがっているとは違うかな……」
Kはタブレットを操作しながら言った。
「ちなみに、彼がプラグを差し出したとき、君がしばらく動かなかっただろう?その時の彼の思考では、30か国語くらいの翻訳フレーズを用意しつつ、君の身体的特徴と表情分析、データ検証を済ませ、習慣的語法を優先して最終的に『聞こえませんか』を選択したみたいだね。君の名前は入室から30秒くらいで調べてがついて知っているし、社会保険番号も出ている。クレジットカード情報から昨晩、どこで何を食べたかも彼にはわかっている」
私は昨晩初めて立ち寄ったイタリアレストランの脂ぎったトマトソースパスタを思い出した。
Kはディスプレイをしばらくスクロールして言った。
「選択候補の最後の方は、変人じみて見どころなんだが……。『麦角中毒で言語中枢に障害が起きて私の言葉がわからないんですか』って。採用確率0.01%以下は実行されることはないただのノイズだけど。……ふーん、その店は自家製パンでも出していたのかな?」
Kはタブレットをテーブルに押しやって疲れたようにソファに沈み込んだ。
書類の山がぐらりと揺れた。
「な、つまらんだろ?」
私は何とも言えずに考え込んでしまった。
そうか、人間の望む究極の人工知能とは、人間の相手ができる友達のようなもので、つまりはできの悪い人間のようにふるまえなければならないのだろう。
神がアダムとイヴを創造したのと同じだ。
違うのはリンゴを食べさせないようにいかにリンゴに近づけるか、パラドクスのように無限に近づけさせようと開発しながら、十分に近づけずにいることだ。
Kの人工知能はリンゴを食べてしまっている。
つまり、なんというか皆が期待している人工知能ではもはやない。
私はピクリとも動かないロボットを見つめた。
「なるほどね。難しいものだな」
Kはまた肩をすくめて見せた。
しかし今やそれは、返事をしない無反応の子供の横で、お手上げといった様子で肩をすくめる親の姿に見えないこともなかったのだった。


EB

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