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某有名編集者のセクハラ問題で考えた著者との契約関係

他の出版社の編集者も無関係ではいられない原稿料未払いの問題。何が起きても軽症ですむ某編集者が著名な方だったため、セクハラ問題がクローズアップされたが、仕事の進め方もかなりきわどいものだった。
セクハラはダメだ。
それはもう書くまでもないので、今回は原稿料未払い問題について、どうしてこのようなことが起こるのか、出版業界における編集者と著者との関係について考えてみたい。
編集者が企画した書籍がどうやって発売までこぎつけるのか、出来上がってみればシンプルなようだが、実際に歩いてみると実は様々なハードルというか罠が各所に待ち受けるような道程である。
一般的な出版フローとしては、おそらく各社とも似たり寄ったりで下のようになる。

① 企画立案
② 企画通過(会社として出版OK)
③ 作家選定・制作開始・編集
④ 発売日決定
⑤ 販売施策・プロモーション企画検討・受注
⑥ 入稿・校正・校了
⑦ 納品・取次搬入
⑧ 店頭発売
⑨ 契約締結・印税支払

ちょっといろいろな業務レベルがごっちゃになってはいるが、まあ、重要なポイントを書き出してみた。
作家選定と企画は表裏一体であることが多いので、そもそも作家に了解を取り付けてから②になるケースも多いだろう。また、⑨の契約締結のタイミングもケースバイケース。出版社・編集者・作家ががっちり信頼関係で結ばれていれば、このフローで全く問題がない。そして、おそらくこれが伝統的な業界スタイルである。

さて、では今回の事件に関連して、問題が生じるとしたらどこか。
先ほど信頼関係と書いたが、三者(出版社・編集者・作家)のうち出版社と著者は直接話さないので、要である編集者がすべて問題の原因(と同時に出版という創造性の源)と言っていい。

まず、①企画立案はそれがなきゃ始まらないので、どんな編集者でもどしどし企画すべし、ということでそのこと自体は問題になりえない。いやまあ、結果が赤字になる企画ばかり提出すると②に支障をきたすので問題にならないわけではない。
鋭い人ならそう書いただけで想像がつくかもしれないが、ここに一つ闇があって、一般の会社でいう企画稟議の決裁が実に不透明なのが出版社である。そもそも新規の企画については売れるかどうかの判定はかなり難しい。そして、最終的にどう完成されるかはやってみなければわからないことが多い。経営陣は「この編集者が作るこういう内容と方向性の企画なら、うんまあ大丈夫だろう。ひょっとして売れるかも」と考えて決裁するのである。
ジャンル・テーマ、作家実績と対象客層のマーケティング、初刷予想部数と実売予想部数、コスト見積もりなど、常に戦略的に企画判断しているんだろうと素人は思うかもしれないが、そういう要素はもちろんあるけれど、判断の根っ子は結局バクチである。
「これだけ売れますよ」というプレゼンを信じるかどうかだ。

ということで、売れっ子編集者であれば多少、甘めに判定されるし、売れない企画が多い編集者には厳しくなる。出しても出しても売れなければ、当然、編集者としてはクビだ。
その傾向がはっきりした時に、売れっ子編集者はどういう行動傾向に出るかと言えば、
「うん、この企画なら間違いなく会議は通る。〇〇さん、どうです、3か月くらいで書けますか?ざっくりした内容でいいので構成考えて出してもらっていい?」
とすでに半分、いやほぼ正式発注になっていて、企画はどんどん進む。
売れない編集者は逆にビクビクしているので、
「すみません、企画が通るかわからないので、仮のお話なんですが、こういう企画です。どうでしょう、書けそうですか……?あ、企画通ってから声かけてほしい?そうですよね……」
と、そもそも企画を出すことすらおぼつかない。
しかし、それでは自分の立場が危うくなるので、思い切って虚勢を張り、次の案件では
「目次構成とあらすじだけ書いてもらっていいですか?それで会議通しますので」
といかにも落ち着き払った様子でグレーゾーンに目をつむって踏み出す。その心は、《出版したければあなたも多少はリスクを負ってください。会議が通らなければボツになって、当然お支払いもできないですけど、常識としてわかってくれますよね》なのだが、著者のモチベーションを下げたりしたくないので、ことさら正直に口に出したりはしない。
この両者の企画が会議でNG判定だったらどうなるか。

実は、会議で一発NGならまだ傷は浅い。例えば、最終決裁まで複数のステップがある場合、編集部会議でOKが出て話を進めていたら、かなり後になって役員会議でNGになるといったケースも起こりえる。これは出来の悪い部長や気まぐれな取締役による人的災害である可能性もあるし、編集担当者のプレゼン下手・世渡り下手が遠因かもしれないし、純粋に社会・経営状況の急変によるやむを得ない場合もあるが、著者サイドとしてはかなり迷惑である。時間を使って作業したにもかかわらず、稟議が通っていないのだから、当然、契約書はなく、おそらく支払いもされないだろう。
支払いを担保するためには契約書を交わす必要があるが、法人格相手に契約を交わすなら、その企画稟議を経営陣が承認しなければならない。そして、経営陣がその承認を判断するために多少の細かい中身を知りたいとして、そのために著者が作業しなければならないとすると、支払いが担保されない仕事をせざるをえないというジレンマがここに生じる。
ジレンマを生じさせないためにはどうするか。

A)企画会議に通るまでの作業はすべてタダ働きの可能性があることを著者サイドが納得している。
もしくは、
B)返還不可の手付金を設定して、出版するしないにかかわらず、著者サイドがあらかじめ一定額の支払いを受ける。
あるいは例外的なケースかもしれないが、
C)最初から完成原稿なので、著者サイドは特に追加作業がなく、ただ判定してもらうだけ。

という状況である必要があるだろう。
このうちBが認められるような著者なら、そもそも企画は通るので問題にならない。そのため、現状としては実質的にはAの状況しかない。
問題なく出版できればAの状況だったことを知らずに済むが、ダメだった場合はしぶしぶAを後付けで認めることになる。
無能な編集者の口車にのった自分にも多少の非はあるし、面倒なことを言って今後の関係にヒビが入るのも嫌だ。いくら払えと主張する根拠も薄い……。そんなところだろうが、当然被った迷惑の度合いがひどくなると、今回の話題のように炎上することになる。

結論としては、編集者サイドはなるべく正確に企画の承認可能性を見極め、その状況を誠実に著者サイドに伝える努力をすることと、著者サイドはAの状況であることを理解し、企画NGの可能性を踏まえてどこまで作業できるか判断し、それ以上は企画確定後にするか、もしくは出版の確約をメールなど書面で取り付けるべきだろう。そうでなければ、著者はもう目をつむって信じるしかなく、結果どうなろうと多少の自己責任の非は残る。

信じるか信じないか、そんなことで悩む前に契約書が交わせれば係争するような状況は回避できるだろう。出版するのだからその条件を文面におこして契約する。それがなぜそんなに難しいのか。
今度は契約という観点から考えてみよう。

最初に挙げたフローで言えば⑨。契約は最後の項目になっている。さすがに発売前にちゃんと契約するのが当然だろうが、実際に署名されるのが発売後というケースもある。今までの話で言えば、②が済んだら③のところで契約を交わせば良い。
しかし、交わされない。
なぜか。
②③の段階では当然、原稿は完成していない。タイトルも仮だ。④で初めてISBNを割り振って、タイトル・定価・判型を一旦、確定する。しかし、制作を進めるうちにカバー・本文用紙も変わるかもしれないし、ページ数が変わればハード費も変わる。⑤で受注がうまく吸いあがらなければ初刷が変わって定価変更になるかもしれない。
そう、初刷部数が決まるのはほとんど⑥の最終段階、校了のタイミングだ。
もっとも、実績の固まった作家や、特殊な施策としてあらかじめ部数を決めたり、そもそも方針として早い段階で刷部を決定する出版社もあるだろう。しかし、大量のタイトルを刊行して大量に流通する日本の出版業界の業務フローにおいては、最も無駄なく効率的に配本し、かつ必要最低限の在庫を確保するために、刷部は印刷製本の直前に確定するのが通常である(もちろん、紙の発注手配があるのでだいたいの刷部見込みはあらかじめ現場が立てていたりはするが)。
つまり、条件を確定して契約書に起こせるのはもう発売直前になってしまうのである。
校了まで睡眠時間を削って必死に推敲を重ね、全力を出し切った著者は、校了後に契約書が送られてきても即座に署名捺印しないかもしれない。してもしなくても、もはや本が出版されるのは確実だから急ぐ必要もないのだ。結果、発売後に締結されたりする。
では、諸々確定しなければ契約できないのはそもそもなぜか。
それは、契約契約とわめいているこの契約とは出版権設定契約だからだ。この作品を出版して日本国内で販売する独占的権利をうちの出版社が持ちますよ、という内容の契約なのである。
企画が承認されてすぐに契約できないのは、著作物が完成していないからだ。仮にタイトルを決めて契約するとしよう。気が変わってその後、タイトルを変えた。さあ、この契約書は何について出版契約したのか。存在しないタイトルについて契約しても紙屑同然である。

企画稟議が通過した直後に契約しようとして、できる契約があるすれば、おそらく一般的な請負契約か、あるいはこれから制作する著作物について、一定期間すべてこの出版社から刊行することを約束するような包括的専属契約だろう(筆者は法律の専門家ではないので、荒っぽい議論になるがご容赦いただきたい)。専属契約はありえるかもしれない。しかし、ジャンプ連載漫画家でもないかぎりお互いメリットはないし、支払いが明記されなければ著者サイドにとって問題解決にならない。
そして、請負契約だとして、例えば出版されてもされなくても一定の支払いを、例えば前払い保証印税のような形で約束する契約については、結局、上述のBと同じで、出版社サイドとしては、どうせ出版するのなら無駄な労力である。あらかじめ保証印税を払えと言われて、契約書を交わして払ってもいいと判断できるような作家は必ず出版する作家だから、交わす意味がない。
いやいや、そんなことを言っているから問題が生じるのだ。業界を改善しよう、きっちり契約を結んでみようと志高く契約を試みたとする。
すると、出版社サイドからしてみると、保証印税を契約書通り払ったが、この著者がいつまでも著作物を完成できなかったらどうするのか。約束通りの期日で原稿を仕上げられず、販売機会を損ねたり、期待通りの水準に達しなかった場合、責任は誰がとるのか。約束通り発売するのか。万が一、流行りモノで時流を逃したら市場に出せないような企画なら、最初から発売を止めた方が良いかもしれない。そうなると締切期限に間に合わなかったら契約不履行で支払った印税を返還する条件を付けることになる。
ちょっと待て、返還してくれなかったら誰が回収作業をするのか。そんな無駄な業務に割く人員などいない。わざわざリスクを生じさせるような契約ならしない方が良いではないか。

出版されなかった場合の原稿料支払いなどを担保する、という問題意識から、思わず「保証印税」の語を出して、そちらに話が引っ張られてしまったが、著者サイドからすると、結んでほしいのは、仮に出版されなかった場合にそれまでの労力に見合う金額の支払いでだろう。
ということは、前払い保証印税というよりは、出版されなかった場合に一定の支払いを規定する請負契約ということになる。
それは企画通過後にできるのか。できる。しかし、前述の通りやらないだろう。会社にとっては企画が通っている、つまり出版が決定しているのだから、自明のことだ。社の決定を伝えて、それでも何かしら契約しろと著者がごねたとしたら、それは信頼関係を損ねかねない。
③のタイミングでは出版契約は結べず、請負契約は出版社サイドからしたら無駄な労力だ。

そして、今回話題になった案件で言えば、イケると思っていた②がダメだった。著者は発注された時点で②がクリアされていないなど思いもよらない。犠牲にしたものは泣き寝入りするには大きすぎたので訴え出た。
結局のところ、契約書を作りたいのは、著者サイドからしてみれば①のタイミングだ。企画を持ちかけて、何か依頼した時点で契約書を交わして最低限の支払いを約束してほしいのだ。
さて、この契約は可能か。
無理だろう。
②を経なければ会社は契約できないし、会社の金は使えないのだ。
それに、極端な話、企画の話をして何かしら検討してもらったら最後、絶対に支払いが発生するということであれば、編集者は新規企画など誰にも相談できないのではないか。
これ面白いよね……そうなるとこれが必要だね……こうするのがいいんじゃない?……じゃあ、誰それさんの文章が必要かな……こっちは誰それさんに確認だ……誰それさんがこんなアイデアを出してきて……。
そんな風に出来上がっていく企画で、企画稟議が通る前に編集者以外は何の作業もない、という状況はたぶんありえないだろう。
つまり、ブレスト段階から明瞭な企画を生み出して企画稟議にかけるまでの混沌領域は、創造性のるつぼとでもいうべき状況で、受注・発注の側面だけ切り出して見れば誰が儲かる儲からないで無意識に綱引きしている曖昧領域なのである。つまりカネの話に限っていえば、編集担当者はこれで儲けて会社での地位を上げたくて発注先を物色するし、著者はどれだけ印税で儲けられるか、どこまでの妥協で受ける受けないを決めるか見極めたいと思って駆け引きしているような状況である。
このさなかで結べる契約などない。
まあ、金銭にシビアな見方をした場合はそうだという話だ。だいたいは皆で企画をわいわい相談して、面白くなりそうだ、じゃあ企画が通ったらスタートだね、そんな感じで進んで金銭の話はあとなので、やっぱりこの段階で契約しようなんていう話にはならない。


もう一度同じ結論だが、著者サイドは、相手にしている編集担当と出版社が信頼できないかぎり、話を真に受けて作業してはいけない。本格的に取り組むにしても、万が一放り出されたとしてもこの企画なら他社に提案できる、という状況にしておくくらいのリスクヘッジのバランス感覚が必要だ(売れっ子作家には縁のない話だろうけど)。
編集者は前述のとおり、企画が通るまでは誠実に状況を説明して、著者に同意を得なければならない。出版できると思っていたところでハシゴを外されるのは編集者も著者も同じで、実に惨めな気分に陥るが、中規模以上の出版社の構造として今後もなくならないだろう。企画会議も人間関係の中で行われるので、理不尽なことなど日常茶飯事だ(これまた売れっ子編集者には縁遠い話かもしれないが)。
著者としては、あとは決裁者と編集者がほぼ同一であるため、こうした出来事が起こりにくい小規模出版社と仕事をするか……。しかし、小規模出版社は儲けたいと思う著者にとってはやはり不利だろう。一方で販売力の高さを見込んで大企業と仕事をしようとしたら、その分、読めないステークホルダーが多くなる。
今回のような出来事は程度の差はあれ、決してなくならないと思う(セクハラはもちろんダメ)。
それを肝に銘じて、常に互いに違う方向から石橋を叩きながら、編集者も著者も誠実に相手に向き合う他ないだろう。

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