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暮らすまちは、もっと好きになれる。森ノオトで体感した2年間|河原木裕美さん(森ノオトライター卒業生、サポーター)

森ノオトにかかわる人たちの声を聞きながら、ローカルメディアのあるまちの現在地を描くインタビュー企画。今回は、2023年3月までの2年間、森ノオトライターとして活動した河原木裕美さんです。バリに暮らしながら森ノオトの記事を読んでいた裕美さんが、一時帰国のタイミングで森ノオト編集部の仲間に。そして再びバリに戻った今、森ノオトでの経験や思いをお聞きしました。

——インドネシア・バリ島で結婚・出産し、家族との暮らしを営む裕美さん(ろみちゃん)。海の向こうから、地元の“イマ”を届ける森ノオトの記事をチェックしながら、一時帰国したときの楽しみを見つけていたのだそう。ろみちゃんが、森ノオトのライターになろうと思ったのはなぜ?

ライターになりたかったわけじゃないのですが、森ノオトが好きで。息子が就学前に日本に2年半帰国することを決めていたので、どうやったら接点を持てるのかなって考えていたんです。そんな時に、森ノオトのライター養成講座の募集が目にとまって。ちょうど2020年はコロナが広がり始めた時期で、森ノオトが窓を開いているのって、それくらいしかないんじゃないかな?って思ったんです。今しかない!という、なかばせっぱつまったような気持ちで申し込みました。

森ノオトの裏側を知りたい。それが出発点


——森ノオトのどんなところを好きって思っていたんですか?
 

そうですね……。言葉にするのは難しいけど、空気感というか。みんなが違う記事を書いているんだけど、事実をそのまま伝えるんじゃなくて、データ上にはないストーリーや思いが入っているのが面白くて。行ったことないけど、行ってみたいという気持ちになったり。力強く元気付けられるわけじゃないけど、何か引きつけらる。どうしてひかれるのかなと、答えを探すために講座に申し込んだのかもしれません。講座を受けることで、どうやって森ノオトらしい記事ができるのか。その裏側を見られるかもしれないと。森ノオトへの興味ですね。

 

バリと森ノオトをつないで数カ月ぶりの再会!!上がろみちゃんと第二子の赤ちゃん。下は私

一人で書いていない。その過程で森ノオトらしさが生まれている


——実際にライターになってみて、裏側は見えたかな??

 ライター養成講座の修了レポートで生みの苦しみを経験して、続ける?という気持ちが内心あったのですが、流れの中で導かれるままにライターをすることになって。

毎月の編集会議では、記事のフィードバックをもらえて、書くだけで終わらない、その過程にたくさんの人がかかわれる。書いてからのフィードバックがあることで、次の記事につなげられそうだなと思ったり、自分だったらこう書くな……と考えたり。自分が見えていた世界だけじゃない。いろんな視点から記事を見られるのが面白かったですね。

ライターは一人だけど、一人で書いている感じじゃないんだなと。いろんな人が読んでくれて、いろんな視点を入れられる。そういうのが記事ってことなんだ、その過程で森ノオトらしさが入っていくんだ、ということを体感しました。

ろみちゃんも参加した2022年9月の編集会議。会議では一つの記事をみんなの視点でフィードバックし合う

——特に印象に残っている取材や記事をあげるとしたら?

 どれもが印象的ではありました。フラワーダイアログの事業で、公園愛護会の活動をSNSで紹介する取材があって。息子とよく行く公園で、同じエリアなのに普段は全く接点のないおじいちゃん、おばあちゃんたちが、公園をよりよくしてくれている。支えられているんだなと思いました。

「どうせ読めないから、記事を大きくして持ってきてね!」って取材した方に冗談で言われていたんです。秋の取材でしたけど、霜の降りるころになって、大きく印刷してクリアファイルに入れてお礼の報告に伺ったんです。「お〜」「息子さん元気か?」なんて言ってもらって。味わい深い交流がありました。森ノオト読者層とは全然違う方たちとつながることができたことが、私にとってすごく面白い経験でした。取材は終わっているんだけど、何カ月たってもおじいちゃんたちの活動はもくもくと、当たり前に続いている。ハッとする思いがしました。

青葉区と森ノオトとの協働事業「フラワーダイアログあおば」のFacebook、Instagramの投稿をチームメンバーとして担当


フラワーダイアログのSNSでは「スタッフK」の名前で投稿してくれました。街の緑や公園を支える裏側をろみちゃんらしい視点で

記事を書くことで終わらない。暮らしがじんわり変わる。


——森ノオトで活動してどんな変化がありましたか?

伴さんの取材(ブランフェルシアロースタリー)を取材してお店にコーヒーを買いに行くようになったり、まんまるーむを取材してわらべうた胎教マッサージに参加させてもらったり。取材をして記事を書いて終わりじゃない。暮らしに入ってくる。記事を書くことで大きな変化があるというより、ちょっとしたマイナーチェンジという感じ。伴さんの取材でブランフェルシアの花を知り、実際に私も庭で育て始めたり。工藤さん(やもと農塾)の取材で『田園の憂鬱』という本を知って、その本を読んでみたり。インタビューで探究心が芽生えて、どんどん私の暮らしがつくられている。書くことで終わらない。それが面白いのかもしれないですね。

※『田園の憂鬱』(佐藤春夫著、新潮文庫)

 

ろみちゃんのライター養成講座修了レポートは、こどもの国エリアにあるコーヒー店「ブランフェルシアロースタリー」。独特の色彩感覚のある鮮烈なデビュー作でした


——バリへの帰国が決まり、森ノオトとのかかわり方も悩んでいた時期がありましたね。どんな気持ちでライター卒業を選んだのですか?

森ノオトの編集部は書くことをベースにしているので、アウェーの地でこの先のかかわり方はどうしたらいいんだろうと模索していました。せっかく見つけたコミュニティをこの先どうしたらいいんだろうと。あるとき、森ノオトの「メディアおはなし会」で、まどかさん(森ノオト理事長)とあゆみ編集長が、卒業を前向きにとらえていたことが、考え方を切り替えるきっかけになりました。

2年ライターをやってきた中で、自分から地域を知ろうとすること、興味を持って近づくことで、住んでいる地域はもっと好きになれる。そう思ったんです。バリのことも、もっと自分から好きになっていく努力ができるって。森ノオトで伴走してもらってやってこれたから、できる!という自信が芽生えてきたんです。住んでいる場所のことを知ったり、住んでいる人とつながれる。それを体感した2年間だったので、ライターという肩書きじゃなくてもいいんだと。このエリアから離れても、大丈夫、こんなふうに自分から一歩を踏み出していけるんだと。安心してライターを卒業することができました。

 
(おわりに)

ものごとをとらえる独自の感性と表現力、好奇心に向かっていくその行動力。2年間森ノオトで活動をともにしていくうちに、私はすっかりろみちゃんファンに。ろみちゃんの記事もまた、読み手の暮らしにマイナーチェンジを与えていることでしょう。

バリで家族と暮らすろみちゃんが、生まれ育った地元で、育児期間の2年間を過ごす。そこで選んだ森ノオトで活動することは、ろみちゃんにどんな変化をもたらしたんだろう。謎解きのようなインタビューでもありました。暮らすまちでの豊かさは、自分でつくっていける。海を越えて、再び異文化の中で暮らすろみちゃんの中にある思いにふれ、なかなか言語化の難しい森ノオトの活動の本質が詰まっているのではないかと、真夏のインタビュー後、じわじわと私の心にインパクトを与え続けています。

 取材:梶田亜由美

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